雨降って地固まると言うけれど、雨も止まなきゃ地は固まらないんだよな

 私は教室で頭を抱えて悩んでいた。

 昨日、早退という形で部活を休んでしまったことを謝ろうと思って唯斗くんの教室に顔を出したら、私は偶然にも聞いてしまった。

 あの金髪女と彼が、昨日のことについて話しているのを。

 彼はどうやら、私が深刻な悩みを抱えていて、それで帰ってしまったのだと思っているらしかった。

 今の私と同じように頭を抱えている彼の姿を見るのは辛かった。だって私が原因でそうなっているんだもの。

 それに、あの金髪女が慰めている様子を見ているのは、私にとって生き地獄でしかなかったから。

 今すぐ弁解して謝りたかったけれど、あの二人の間に割って入る勇気は私には無かった。

 ごめんなさい、唯斗くん。でも、違うの。

 悪いのはあのポンコツ教師なの。

 ポンコツ教師というのは私の担任の本骨ほんこつ先生という女の人で、みんなからポンコツ先生と呼ばれている。

 過保護すぎて空回りすることが多いらしく、そのあだ名がピッタリなんだとか。

 普段はとてもいい人だから、私もとてもすきだったのだけれど、昨日ばかりは許せなかったわね。

 あれは私が昼休みに、万事部に対する依頼である『総合体育大会での試合会場への移動をバスにするよう先生にお願いして欲しい』という依頼を解決するために職員室に向かった時のこと。

 総合体育大会というのは、通称『総体』と呼ばれていて、色々な競技が立て続けに行われる大会なのだけれど、簡単に言えば小さなオリンピックみたいなものね。陸上や水泳、サッカーや野球のトーナメントもあるらしいわ。

 私はただ、その仕事を全うするために職員室に入ってポンコツ教師に『総体についてなのですが―――』と言っただけだったの。

 なのにあのダメ教師は『早退!?』だなんて慌て始めてしまって……。食堂での出来事のこともあって、私もきっと顔色が良くなかったのでしょうね。

 何故か気がついたら早退する流れになっていたわ。

 校内では『あの鶫が早退だなんて……』という噂があっという間に広がってしまったから、私も気まずくなって帰ってしまったじゃない!

 そのせいで昨日は1度も唯斗くんと話が出来なかったのよ!あのポンコツ教師……末代まで呪ってやるわよ。

 私はグーにした手をぎゅっと握った。

 別にあの教師を殴りに行くわけじゃない。

 自分の弱い心を引き締めるためにだった。

 今日こそは素直になるのよ、私!

 ちゃんと誤解を解いて、ごめんなさいって言って、許してもらった上で、こ、告白をするの!

 私はもう一度拳を握りしめた。

 そう、昨日の私は彼を諦めるつもりでいた。

 あんな光景を見てしまってショックを受けた私はきっとどうにかしていたのね。

 けれど、家で静かな場所で一人でいるとどうしても彼が頭に浮かんできてしまう。

 結局、私は彼がいないとダメだった。

 例え彼があの金髪女のことが好きだったとしても、私はどうも諦めきれないらしい。

 彼の恋を応援するなんて出来ないらしい。

 彼との恋を応援される側になりたい。

 そう願ってしまうから。

 とっくの昔に私の心は彼にしか向かなくなってしまっていた。今更それに気づいたの。

 私は今日、彼に告白する。

 唯斗くんに私のことを異性として意識してもらうためにも、そして金髪女への宣戦布告という意味も込めて。

 私は戦うと決めたから。

 そして勝つと決めたから。

 この恋愛という戦いでは負けは死と同義。

 人を好きになるってことはそういうことでしょう?

『彼でいい』はただの遊びよ。

『彼がいい』じゃなきゃ恋愛じゃない。

 何もしないで後悔するよりかは、当たって砕けたほうが遥かにマシなはず。砕けるつもりはないけれど!

 私はその後の授業中も、どうやって告白をするかのシミュレーションしていた。

 シミュレーションの流れは完璧。唯斗くんよりも先に部室で待っていた私は彼が入ってくるなりすぐにごめんなさいと言う。そして彼が許してくれたところで告白よ!

 そうすれば2人はハッピーハネムーンね!やっぱりハワイがいいかしら?グアムなんかも良さそうよね!でも、二人きりの旅館巡りなんてのもいいわよね!混浴で二人きり……なんて、私ったらダ・イ・タ・ン♡きゃっ///


 そんな妄想をしている間に、気が付くと6限目が終わっていた。

 妄想の中では簡単な手順だった。

 けれどもいざやるとなると、やはり緊張してしまう。

 だって、今から人生最大のイベントを自分から起こすんだもの。

 私は緊張から震えてしまう手で教材をロッカーに片付け、足早に部室に向かった。

 けれど、私は部室のドアノブを捻ることが出来ないでいた。その理由は、部室に既に誰かがいる気配がするから。

 その正体はきっと唯斗くん。

 ごめんなさいシミュレーションは沢山したけれど、彼が先に部室にいる想定はしていなかった。

 そのせいで緊張がさらに高まる。

 一体どんな顔で部室に入ればいいのかが分からない。

 唯斗くんのバカ!遅れて欲しくない時には遅れるくせに、遅れて欲しい時に限って早く来ちゃうんだから!

 私は心の中で文句を言いながら、そっとドアに近づいてみる。

 作業をしている音が聞こえるから彼で間違いないはず。

 私は大きく深呼吸して鼓動を落ち着かせると、ドアノブを握った。

 大丈夫よ、まずは謝るの。しっかりと心の底からあやま―――――。

 そう自分に言い聞かせていた時だった。

 突然ドアが開かれ、ドアノブを握りしめていた私は、それにつられるように部室の中に飛び込んでしまった。


 特に他に用事もなく、かなり早く部室に来てしまった俺は、紅葉が来るのを待ちながら作業をすることにした。

 何もしないで待つというのも余計に緊張するし、どちらにしても今日終わらせる予定の仕事だ。

 俺は資料を広げてひとつずつ確認していく。

 何枚目かの資料に目が止まる。

 えっと……総合体育大会の送迎バス申請の依頼か。

 これは確か紅葉が担当すると言っていたはずだ。

 完了の印も付いていないし、おそらくまだ完了していない仕事だろう。代わりにやっておくか。

 そう思い、俺はファイルを片手に椅子から立ち上がってドアに歩み寄る。

 この依頼は本骨先生に伝えればいいらしい。

 バスの手配というそれなりに手間のかかる依頼故に、承認されるかどうかはわからないけど。

 そう思いながら俺はドアを開いた。

「えっ!?」

 一瞬何が起きたのかが分からなかった。

 扉を開いた瞬間に、大きなものが飛び込んできて、俺は今、その大きなものを抱きしめる形で受け止めている。

 それは温かくて柔らかい。今までにこんなふうに触れたことの無いものだと思うけど、一体何なのだろう。

 俺はそう思ってその何かから少し顔を離した。

 高さは俺よりいくらか小さいくらいだな。

 色白の肌は病弱だとかそう言う白さではなくて、透き通るような綺麗な白。絶対に触り心地がいいだろうな。

 顔は小さくて、口もキュッとしていて可愛らしい。

 鼻も高くて、いかにも美人と言われそうなパーツばかりが揃っている。

 そしてその上にある2つの大きな目。

 その目は綺麗で、吸い込まれそうな色をしていて、そして―――――俺のことを睨んでいた。

「って、紅葉じゃねぇか!」

 俺は慌てて彼女から離れた。

 嫌だとかそういうのではなく、驚きのあまり反射的に。

 何を呑気に彼女の実況解説をしていたんだろうか。

 俺は混乱しながらも、本能的に頭を下げていた。

「ほんとにごめん!」

 紅葉はそんな俺をしばらく無言で見つめると、小さくため息をついた。

「まさか、あなたが先にその台詞を言うとはね……」

「ん?それはどういうことだ?」

「いいえ、なんでもないわ」

 不可抗力だったとはいえ、抱きしめる形になってしまった割には、紅葉はいつも通りの紅葉だった。

 もっと毒を吐かれるものだと思っていた。

「怒ってないのか?」

「怒ってないか怒ってるかで言えば、興味なしね」

 2択の質問に第三の選択肢を出してきたよ。

 俺が心の中でそう呟いた、そのすぐ後だった。

(あわわわ!びっくりして昇天しちゃうかと思ったよぉぉぉぉ!ああ、唯斗くんに抱きしめられちゃった///こんなの怒るわけないでしょっ!私は世界一の幸せものです!)という声が聞こえてきた。

 紅葉の心の声だ。

 さっきまでは少しも聞こえてこなかったと言うのに、今になっていきなり聞こえてくるなんてな。

 俺が不思議に思っていると、別の声が脳内に響いた。


(どうも〜唯斗のお姉ちゃんだよ〜♪いちいち動画で本音を聞かせるのも面倒だなって思ったから、2人が話してる間だけ本音が聞こえるようになるようにしました〜♪ちなみに、本音を言っている時は心の声は聞こえませーん♪ってことでよろしくね〜♪ブチッ)


 イナリの声らしい。誰がお姉ちゃんだよ。

 確かにその件は否定したはずなんだけどな。

 まあ、今はそんなことはどうでもいい。

 あの神様はやりたい放題だな。

 面倒だという理由だけでいきなり設定を変えてしまうのか。まあ、こっちの方がリアルタイムで紅葉の本音が聞けるから効率がいいのは確かだけれど……。

 ていうか、最後のブチッていう音はなんだったんだよ。あいつはマイクか何かを使って俺に話しかけてきたのか?

 どこまで行っても神様らしくない神様だ。

 けれど、さっきのアクシデントが功を奏したらしく、イナリの突然の設定変更もあって、目の前で俺を睨んでいる美少女は心の中では超ご機嫌だということが分かった。

 なんだか、罵られた直後にその本人から歓喜の声を聞くというとてつもないアメとムチを受けているような気がして、今にも心が爆発しそうだ。

 かと言って理性を失って抱きしめたりなんてするのは悪手かもしれない。

 心の声が聞こえていることに気づかれてしまっても厄介だろう。

 自分の心が盗み聞きされているなんて知ったら、彼女は俺に心を閉ざしてしまう恐れだってある。

 誰だって隠しておきたいことがあるものだ。

 彼女の場合、隠しておきたいからこそ徹底して表には出さないのだろうし。

 ここはちゃんと落ち着いて、心の声ではなくて、彼女の発した声に対して受け答えをしよう。

「そ、そうか。怒ってないならいいんだ」

「あなたごときに怒っても疲れるだけだもの。それに、あなたはいい思いをできたのでしょう?良かったじゃない」(ああ、思ってもないことをまた言っちゃったぁ。いい思いをしたのは私の方だよぉ……)

 彼女が発した声は確実に俺を馬鹿にしたもので、けれども心の声の方は落ち込んだような声だった。

 涙目になりながら肩を落としている紅葉の姿が目に浮かぶようだ。

 ああ、可愛すぎる。

 正直に言って、今も表情筋が緩むのを抑えるので精一杯だ。

 誰だって好きな人が自分のために一喜一憂してくれているのを見ると、つい嬉しくなってしまうものだろ?

 俺の場合、デフォルトがクールビューティで毒舌な彼女な分、余計に嬉しい。

 すぐにでも部室を飛び出して表情筋を解放したい。

 そう思いながら両頬を撫でていると、紅葉は何かを思い出したように「あっ」と声を上げた。

「どうしたんだ?」

 俺が聞くと、紅葉は少し俯いて考え始めた。

 何か言いづらいことなのだろう。

 その表情はいつも通りの冷たいものだけれど、足をもじもじさせているところからそうなんだろうと確信を得た。

 本心の欠片が表に出てしまっているところがとても可愛らしい。

 数秒間そんな時間が続いたが、紅葉は決心したらしく、顔を上げ、俺の目を見つめながら口を開いた。

「あなたに言っておかなければならないことがあるのよ」

 紅葉はそう言った。

 2つ目の声が聞こえてこないということは、これは紛れもない本音ということだろう。

 俺は、いつもと変わらないように見える彼女の顔に、どこか真剣さを感じた。

「あなたに謝ってもらったけれど、私の方こそ謝らないといけないわね」

「謝るって何をだ?」

「昨日、私が早退してしまったせいで部活が無くなってしまったでしょう?おかげで昨日する予定だった仕事が溜まってしまっているもの」

 紅葉は本当に申し訳なさそうに頭を下げる。

「ごめんなさい。しっかりとしていなければいけないはずの私が、あなたに迷惑をかけることになってしまって」

 紅葉は上げた頭をもう一度下げた。

 好きな人にここまで頭を下げさせるというのは、自分でもどうかと思う。

「紅葉、いいんだ。俺は全く気にしていないからな。むしろお前の体調の方が心配だったくらいだ」

「私のことを心配して……?」

 俺が紅葉の言葉に頷くと、紅葉は顔をほんのりと赤くして、それを知られたくないためか、俺から数歩離れた。

「けど元気そうでよかった、安心したよ」

「ふっ、あなたに心配させるなんて私も落ちたものね」(ああ、幸せ!心配してくれたってことは、少しは私のことを大事に思ってくれてるってことよね!)

 わざとらしくため息をつく紅葉だが、心の声は嬉しそうだし、それに彼女の表情もいつもよりも口角が上がっているように見える。

 という部分は否定したいところだけれど。

 と思ったら、緩んでいることに気がついたのか、紅葉は彼女の頬をペチペチと叩いて表情を締まらせる。

「唯斗くん、もうひとついいかしら」

 その真面目な雰囲気に押されて、俺も無意識に背筋を伸ばす。

 好きな人から二人きりの場所でこの真剣な雰囲気。

 告白かと思ってしまっても仕方が無いと思う。

 現に、俺もそれを期待してしまっている。

 彼女が俺を好きだということは心の声のおかげでわかっているわけだし、告白されてもおかしくは無いと思うのだが……。

「えっと……その……」(つ、伝えなきゃ……素直になるのよ、私!)

 心の声が彼女自身を励ましている。

 紅葉の両手は、勇気を振り絞るようにスカートを握っていて、それを見た俺は胸がドキッとするのを感じた。

 ダメだ、可愛すぎる。

 改めて俺は彼女のことが好きなんだと実感させられる。そして、これから彼女が伝えてくれるその気持ちが、今の俺のものと一緒であれば嬉しいなと思ってしまう。

「唯斗くん、その……あの……す、す、す……」(らめ……緊張すふ……いふぁなきゃ……)

「す?」

 俺は心の声までもが誤字をする程に緊張している彼女を、わざと急かすように彼女の発したその1文字を繰り返す。

 その後押しが効いたらしい。

 紅葉は大きく息を吸って――――――言った。

「すき――――やきは好きですか!」

(好きです!大好きです!言えたぁ!)

「えぇ……」

 好きまでは言えたんだけどな……惜しいな。

 ていうか、すき焼きは好きですかって初めて聞かれたよ。言えたぁ!って言えてねぇよ!

 いやいや、落ち着け。心の声は聞こえてないことにしないといけないんだった。

「ま、まあ、すき焼きは好きだけど……?」

 俺がそう言うと、紅葉の表情が一気に暗くなった。言い間違えていることに気付いたらしい。

「……そう、なら今度いいお店を紹介してあげるわ」

 紅葉はそう言うと、とぼとぼと歩いていき、自分用の椅子に座った。

 失敗が余程堪えたのか、そのままくるりと回転してこちらに背中を向けてしまった。

 せっかく彼女の方から告白してくれるかと思ったけど、やっぱりまだ難しかったか。

 まあ、これであんまりに落ち込まれて残りの時間会話なしというのも気まずいし、俺からも何か言っておくか。

 俺も自分の席に座って頭を回転させる。

 やっぱり、今言っても不自然じゃなくて、なおかつ彼女が喜びそうなことと言えばこれだろう。

 近くにあった資料に目を通しているふりをしながら、あくまでさりげなく言った風に。

「すき焼きにひとりってのもなんだし、行く時は紅葉のことも誘おうかな」

 少しの間が空いて、返事が返ってきた。

「そう、まあ行ってあげないことも無いわよ。唯斗くんの奢りならね」

 いつもの声でそう返す紅葉の表情は見えないが、喜んでくれていることはわかった。

 だって、彼女の心の声がデートだデートだと歓喜していたから。

「もちろん奢るつもりだ」

 イナリの言う期限までは今日を含めずにあと5日。

 紅葉と一緒にすき焼きを食べに行く時には、互いの気持ちを打ち明けられていて、恋人同士になれていることを願う。

 彼女もできる限りの勇気を見せてくれた。

 今度は俺が勇気を振り絞る番だ。


 俺はチェックし終えた資料を左に流し、新たな資料を手に取った。

 まあ、まずはこの仕事を片付けないとだな。

 ここに書かれている依頼は少し手間がかかりそうだ。

 だが、紅葉と一緒だと考えると楽しみで仕方がなかった。

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