花と宮廷画家 4

 白くて可憐な花を胸に押し抱いて、エイミーは困ったように眉を下げた。


「あ、あの、フローレンス様……私、このあとも実はまだ仕事が残っていまして……朝、サボってしまった諸々が……ですから」

「そうだな、15分だ。君の15分を僕にくれ」


 レイはモデルとちょうど反対の、ソファの端と端になるような位置に陣取って膝の上にスケッチブックを開いた。


 鉛筆に手を伸ばす前に、まずじっくりと対象を見る。


 俯くモデルエイミーの、前髪が目を隠す感じや、赤く上気する頬の横顔、花束を抱えた方の腕や、もう一方の力の入っていない腕と、なにかを掴もうと伸ばされた指先──。


 15分のうち、実に10分以上はそうしてじっくりと観察して、レイはおもむろに鉛筆を持つと真っ白なスケッチブックに向き合った。


(少女のおもかげ。芽吹く花の柔らかさ。……先生が描き留めたかった感情は、なんだろうか)


 しとしとした雨音が聴こえる。広い宮殿の隅に与えられた自室は静寂に満ちている。


 スケッチはあっという間に終わる。レイは目を閉じて、今の情景を『記憶』した。


「……ん。ありがとう。もういいよ」

「はい……」


 エイミーは立ち上がったと思えば、花を抱えたままふらふらと退出しようとした。ハッとして振り返ると、しどろもどろに頭を下げる。


「あの、今夜はこれで、失礼いたします。ご用がございましたら、ベルを」

「ああ、もう休むよ。お疲れさま」


 メイドの背を見送ったレイは、置き去りになってしまった空っぽの翡翠色の花瓶を見て微笑んだ。


「きみの仕事を取ってしまったけど、いいだろう? あれは彼女に似合いの花だったからさ」


 頬杖をついてしばしそれを眺めて、先ほどのエイミーのスケッチの中に、花瓶を描き加える。


「……これが僕の、『花と乙女』だろうなぁ……」


 くぁっと大きくあくびをして、レイは鉛筆を置いた。

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