クレール家の不思議な絵 4
「雇い主を追いかけてきた、だぁ? ……よくわかんないけど、それならあんたもただの使用人ってことね。ならそれらしく、裏口から入るのが筋ってもんじゃない? こんな陳腐な芝居なんかしてないでさ」
「……話、聞いてもらえるんですか?」
「騒がれると困るんだ。来なよ、ほら」
面倒くさそうににため息をつく彼女のあとに従って、誰もいない玄関ホールを、足音を忍ばせて横切る。
私はこうして、初めて訪れるお宅の使用人室に招かれたのだ。
(い、一応、作戦は成功……でいいのかしら)
狭い使用人室に連なるキッチンは、火の気配があってあたたかい。まだ朝食の片付けが終わっていないようで、皿が流し台に積まれたままだったが、不潔という感じではない。
並べられた椅子の数は多く、かつては何人もの執事やメイドがいたことを思わせる。今は、彼女は一人が忙しそうにしているだけだけど。
「お茶は出さないよ。客じゃないんだから」
「はい、もちろんです」
「そのへん適当に座って」
話しながら、彼女はガチャガチャ音をたてて皿洗いを始めた。
なんとなく身が疼いて、私は手伝いを申し出る。
「いい。これはあたしの仕事。それよりあの人、あんたの雇い主って人。有名な画家さんなんだろ? ここに来るのはたいていそういう人間だからさ、雰囲気でわかる。どうせ奥様が呼びつけたんでしょ? あたしの目を盗んで手紙を送ったんだ、また」
あまり仲がよくないのか、彼女の言い方は刺々しい。人間、忙しいとそうなるものだ。私だって経験がある。ここには、圧倒的に人手が足りていない。
旦那様が亡くなったと言っていた。どうやら度重なる不幸があったようだ。
(フローレンス様ったそんなところにほいほい出かけて行ってしまうなんて……)
私はスカートをぎゅっと握りしめた。
「……私の主人は、ちょっとした事件に巻き込まれているんです。家で大人しくするよう警察に言われているのに、マダム・クレールの持つ絵をどうしても直接見たい、と飛び出してしまわれて」
「へぇ、あの絵を? それなら、高く売れるのかしらね。奥様も、躍起になってるのよ。すこしでも家計の足しにしたくって。絵なんて持っててもお腹はふくれないしね。金持ちの道楽でしょ?」
「売るつもり……なんですか?」
「興味あんの? 変な絵だよ。中途半端で。女の子が花を摘んでるんだ。たぶん、女の子。手だけしか見えないからわかんないんだけど、なんかの謎かけ? そういう感じの」
「花を摘む少女……?」
もしこの家の絵が本物の『乙女と四季』だとしたら、入手ルートを聞き出すことができれば、盗難の犯人の手掛かりになるかもしれない。
そうすればあとは警察に任せて、フローレンスの無実が証明されるのを待つだけだ。晴れて潔白な状態で展覧会ができる。この無茶苦茶な侵入作戦も無駄ではないことになる。
(でも、フローレンス様だけの証言ではきっと、あの偏見まみれの警察官は動いてくれないわ。私も、何か証明できるようにしておかないと)
「あの、その絵、私も見ることってできますか……?」
「ええ?」
皿洗いを終えた彼女は、あからさまに嫌そうな声を出した。
やかんのお湯が、吹きこぼれている。私は反射的にコンロに駆け寄って火を弱めた。
「ああ、ありがと。ごめんついでにそのお湯で、カップあたためてくれない? 手に煤がついちゃった。奥様専用のカップは、そっちの白磁に金縁のやつ。お客様が、青縁のやつ。えーと、砂糖とミルクが」
「フローレンス様はいつも、砂糖は2つ、ミルクはなしです」
つい口を出してしまうと、メイドの彼女は黙ってニヤリと口の端をあげた。
「ふーん、メイドってのは嘘じゃないみたいだね。いいよ、同業のよしみで少しなら協力してあげる。ここんところ仕事ばっかりで何の楽しみもなかったんだ。話し相手もいなくてさ。そうね、お茶運ぶ時に、ドア開けといてあげるから、こっそり覗いて見たら? でも、バレないでよ」
願ってもない申し出に、私は頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「あたしはリリー。あんたは?」
「エイミーです」
「同い年くらいかな。あたし18」
「17になりました」
「年下か。ふぅん、あんたはもしかしてあのご主人様とデキてるの?」
私は飛び上がって、慌てて首を振った。
「まさか! いいえっ、違います!!」
「はは、ムキになるとかえって怪しいよ。まぁね、あたしたちだって人間だから、毎日色々あるけど、そういうのは秘めておくに限るよね」
「……リリーさんは、そういうことがあったの?」
彼女は、キッチンのすみに掛けてある、家族と使用人が描かれた肖像画に目をやって「まさか」とだけ呟いた。
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