マダム・クレールの招待 2

「……暖炉の火はもうしばらく消さないほうが良いでしょうね」


 春も盛りというにはまだ早すぎる。


 白くなった石炭の燃え殻たちを慎重にひっくり返して、新しい炭をくべる。じりじりと火が燃え移っていくさまを見届け、私は覚悟を決めて立ち上がった。


(心を乱してはいけないわ。平常心、平常心よ)


 ぎゅっと唇を引き結んで、主人を振り返る。


「今日はどのようにご支度いたしましょうか、フローレンス様」


 手紙をしかめっ面で睨み付けていた青年は、無言のままそれを折りたたんだ。


 急に立ち上がったかと思うと着ていたガウンをベッドに放った。乱暴に見える仕草でもどこか品のようなものを感じてしまうのは、私の目が主人をよっぽど贔屓目に映しているからだろうか。


「急用ができた。外に出かけなくてはいけない」


「城外へ、ですか? けれどたしか……外出は控えるようにと、警察の方が」


 脱ぎ捨てられたガウンを素早くたたんで、私は寝室を出ていくフローレンスの後に続いた。


「自重しろと言われただけで、禁じられてはいない。というかその件、窃盗の犯人扱いの経過も報告なしじゃないか。そもそも何人たりともにも僕個人の行動を制限するようなことはできないだろう。女王陛下雇い主は別として」


「そうかもしれませんね」


 私は頷きつつ、用意した春物のスーツを前に鏡の前に立った。


 たしかに、アトリエにこもってばかりではフローレンスの健康にも悪そうだし、この週末は女王陛下が居城に帰られる日だから使用人たちも休みをとっている者が多い。息抜きにはちょうど良い日かもしれない。


 あいにくの花曇りの空模様ではあったが、窓から差し込む冬を越えたばかりの陽光はまるで赤ん坊の肌のように柔く、彼の髪をほのかにミルク色がかった金色に輝かせる。


 真っ白いシャツに腕を通し、きっちりとスーツを着込んだ主人は凛と美しく、私は誇らしい気持ちになった。この姿を見れば皆、納得するはずだ。彼が、警察に追われるような罪を犯す人物ではないと。


「それでは、今日はどちらへお出かけに?」


「それは……、言わなくてはいけないだろうか」


 タイのゆがみを直していた私は、動きを止めた。


「……いいえ。込み入ったことをお聞きしてしまい、申し訳ありません」


「いや。たしかに込み入った話なんだが……」


「左様ですか」


 聞いていいことなのか、聞かない方が良い秘密なのか。専属となってひと月ばかり経つけれど、私はまだフローレンスの交友関係を深くは知らない。先ほどの手紙に何が書かれていたのか、なぜ彼が行かなくてはいけないのか……それ以外にだって、知らないことばかりだ。


(主人の用事に口を挟むメイドなんていない……それなのに知りたいと思ってしまうのは、きっと……)


 ダイニングテーブルに、飲みやすい温度になった紅茶を並べる。


 カップを手に取った彼は、花模様のそれを目線まで持ち上げ、デザインをまじまじ眺めながら口を開いた。


「……『花と乙女』、か……」


「お気に召しませんでしたか。すぐ替えて参ります」


「いや、いい。違うんだ、君にどこから説明しようか、と思ったんだよ」


「私が伺ってもよろしいお話ですか?」


「そうだ。僕に関係があるというのなら、君も無関係ではないのかもしれないから」


 実は、とフローレンスは紺碧の瞳を思案気に伏せて呟いた。

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