メイドの盗み聞き 4

 シルバ・ハワードがどのような経緯でアッシュ家の養子になったのか、私は知らない。もしかしたらロッテなら少しは事情を知っているかもしれないけど、私があれこれ尋ねるようなことでもないし。


 ただ、養子として育てられながらも結局、後から来たレイに画家としての信と愛を取られてしまったというなら、その心中は穏やかではないだろうなと想像できる。


(……でもきっと同情は、無礼よね。なんにしろ、あまり気持ちのよい話ではなかったわ……。盗み聞きなんかするからよ、エイミー)


 深く反省して、私は扉に背を預けて天井を仰いだ。そらの間は変わらず静謐せいひつな雰囲気に満ちていたけれど、そこに立つ私の心は来たときと同じように乱高下している。もちろん、シルバ・ハワードの身空を思ってではない。私がいつも1番に気にかけているのは、私の主人についてだけだ。


 淡い金色の髪をゆるく束ねて、姿勢の良い背に垂らし、椅子に座ってまっすぐキャンバスに向かう姿。


 兄弟子に酷評されようと世間からなんと言われようと、私はあの姿を守りたい。フローレンスが絵を描くところを、ずっと見ていたい。


(だって、私は──)


 そして気付いてしまった。私の気持ちの揺らぎのすべてに、フローレンスが関わっているということに。


 良い使用人でありたい。初めはそれだけだった。


 それなのに、いつのまにかずいぶん欲張ろうとしていたみたいだ。


 頼りにされたい、だけじゃなくて。


──この立ち位置を、誰にも取られたくない。それがたとえジェーンであっても……。


 その気づきは、天気雨のように胸の中に降り注いだ。空と雨粒はキラキラと輝いているのに、打ち付けられる水面は騒がしい。


 波紋は広がり、ぶつかり、共鳴し合うようにやがて大きなさざなみになって、私の思考を、記憶を、甘苦しく揺さぶってくる。


(ああもう、こんなところでぐずぐずしてるのではなかった……こんなの、誰にとっても面白いネタになるでしょうよ)


 あるいは、ジェーンなら笑わずに聞いてくれるかもしれない。彼女は最初からわかっていたのだ。私が、フローレンス様にぞっこんだってこと。私の方が、鈍かったのだ。


 今まで彼の前でやってしまった失態や、それに対する反応の薄さを思い返すと身悶えするほど恥ずかしい。それに私は自分で言ったんだった。『惚れる前から負けているのよ』って。


 ──そう。彼のせいだ。私が嬉しくなるのも、悩んでしまうのも。


 顔も、耳も熱い。ドキドキうるさい胸のあたりを押さえつけて、私は目を閉じた。しずまれ、しずまれと何度も繰り返しながら。




 充分に時間をかけてようやく落ち着きを取り戻した私は、人の気配が完全になくなったことを確認してからそらの間を出た。


 掃除の時間はとうに終わっており、今から使用人室に戻ればきっとハンナのお説教が待っているに違いなかった。けど、今日はなんとなく、素直に叱られた方が良いような気がしている。


(……私、これからどんな顔でフローレンス様にお会いしたらいいのかしら……)


 浮ついているような、沈んでいるような。


 自分が一体どこに向かおうとしているのか、自分自身のこともよくわからないまま、私は薄暗い使用人通路を歩き続けながらむっつりと考え込んでいた。



    

    

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