メイドの盗み聞き 3

(フローレンス様が、なに?)


 突然登場した主人の名前に、私はどきりとした。ほとんどぴったり扉に体を引っ付けて、彼の言葉を聞き逃すまいと神経を研ぎ澄ます。


 シルバは政治家の演説のように力強く、かたわらの執事に向かって話しを続けた。


「たしかにレイこそ、次代のゴルド・アッシュだ。誰より養父の真似が上手く、まるでそう、複写機のような。そのセンスは天才的で、そして盲目的でもある。盲信と言ってもいいかもしれない。その幼い天才を、老いた天才が育てた結果、どのような化学反応が起きるのか。我々凡人は見守るしかなかったのですが……」


 ふと声のトーンが落とされる。憂いさえ感じさせるその声は、隣を歩く執事に自身の苦悩を滔々とうとうと訴え聞かせるかのようであった。


「今のレイが彼の最高であり、完成体であるのだとしたら。彼の寿命はここまででしょう」

「……さすがに、たとえとはいえ物騒ではありませんか、ハワード様」

「ええ、もちろん例え話です。なにも彼が命を失うわけではないのです」


 静かに窘めたレンブラントに詫び、シルバ・ハワードは再び歩む速度を上げて、廊下の先を歩み始めた。


「彼らは、もはや古いのです。そしてレイ・フローレンスが前代を超える器かどうも私にはわからない。ただ彼は伸び悩んでいるように見えるのです。これから先、殻を破らねば、ただの模写の天才としては先詰まりでしょう。そのきっかけはどこにあるのか。果たしてそれが可能なのか……ね、楽しみだと思いませんか」


「わたくしなどには、なんとも。ただ、フローレンス様は良き画家になられると、我々一同信じておりますが」

「ええ、そうでしょうとも。そうでなくてはなりません。あのゴルド・アッシュのあとを継ぐのですから」


 そうして彼らの足音は、奥の廊下へと消えていった。


 (……つまり? シルバ様は、フローレンス様のことがお嫌いなのかしら……?)


 詰めていた息をようやく吐いたけれど、私は扉に手をついたまま考えこむことになってしまった。


 シルバ・ハワードの口調は丁寧でいて、反面、底知れない冷たさを孕んでいた。それは身内びいきの真反対に位置するもので、その点で私と彼は全く分かり合えないような気がしたのだった。


(フローレンス様が古い、ですって? あの素晴らしい作品をどんな目で見たらそんな風に思えるのかしら。……それとも……さっきのお話はつまり、彼の嫉妬心、のようなものなのかしら……)


 胸を焼くような憧れを知っている私は、それが妬みそねむ心と紙一重だということに気づいている。


 たとえば私が愛する友人に抱く感情と同じようなものを、シルバ・ハワードが弟弟子に抱いているのだとしたら。

 認めている、尊んでいる。けれどどこかやりきれない気持ちを、長い間、溜め込んでいたのだとしたら。


(ゴルド・アッシュ一門の中で、後継と示されたのは1人だけ。フローレンス様だけなんだもの──シルバ様のお立場を思うと、ね……)


    

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