10日目 AM
メイドの憂鬱 1
フローレンスはいつも多くを語らない。
晩餐会の翌日、1枚のキャンバスがブライト伯爵の屋敷から届けられた。木箱に入ったそれは執事たちの手で開梱され、アトリエに運ばれた。モデルは、なんとロッテだそうだ。
この『乙女の肖像』の噂を早々に聞きつけた数人の画商から、フローレンス宛てに打診があった。言い値で買うからすぐにでも欲しい、と。
本当に飛ぶように売れていくのだなぁと、私は感心しきりだ。主人の大活躍は嬉しいものの、まさかこういった雑務が発生するとは予想していなかったので、対応に右往左往してしまった。急ぎの方には電報で、最終的に全員にお断りの手紙を書いた。
「これは、売るつもりはないんだ」
彼はそう言って、愛用のイーゼルに絵を置いてアトリエの隅にそれを飾った。珍しいこと。
何か特別な物でも見るような目で、時たまその絵を眺めているのが印象的だった。
(ロッテ、綺麗だもんね……)
私は画材の補充をするフリをしながらその真新しい絵をちらちらと盗み見る。
普段の彼のタッチとはずいぶん違う滑らかな
気恥ずかしそうにきゅっと結ばれた口、愛らしく柔らかそうな唇。まっすぐこちらを見返す瞳は丸く澄んでいて、髪は乱れもなくきっちりと結い上げている。
全体的に明るい色で少女めいた雰囲気だけれど、かと言って幼過ぎることのない絶妙な均衡の乙女。妙齢、という表現がしっくりくる。
背景はほとんど描き込まれておらず、ただそこにぽつんと少女が座っているだけの絵なのに、妙な迫力があって。
(肖像画は描かないって言ってたのに)
何だかこのアトリエの中に知らない女性が入り込んだみたいで──慣れるまで、時間がかかりそうだった。
§
ブライト伯爵の晩餐会から、2日後。フローレンスの引きこもりは前にも増して酷い。
仕方がないのかも、と私は彼に同情的だ。
というのも、貴族からの招待状──もしくはわかりやすいお見合いのお誘い──が、あの日から大量に届くようになったのだ。
返信の代筆に追われる私は、執務机の横の小さい作業場で凝り固まった肩を回しながらため息をついた。
こういった雑務は本来ならば、フローレンス家の執事の領分だ。けれど、レイの実家に使用人はいないらしいし、かといって放っておくと彼は「忘れていた」と返事を怠るだろう。それはいけない。王宮に居を構える以上、多少なりとも貴族社会と関わって生きていかなければいけないのだからと、主人の名誉を守るべく私は慣れない代筆業に精を出した。
掃除や洗濯など、広い王宮を美しく保つための業務もいつもどおりこなす。どれほど頑張っても自然と使用人部屋に帰る時間は遅くなり、今日はとうとう針仕事中にうつらうつらしてしまった。
「大丈夫? エイミー」
見かねたジェーンが、繕い物をいくつか引き受けてくれるという。私は感激して彼女の手を取った。
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