晩餐会の夜 6

 荒いブラッシュワークは貴族連中にはウケないかもしれない――などと邪な考えは捨てて、とにかく早く仕上げることに集中する。


「実はね、エイミー、左右で違う色の靴下を穿いていたんです」


 ぷっと、隣のシルバが噴き出した。ロッテは苦笑している。


「もう、エイミーったら」

「可愛らしい子ですね」


 兄弟子がそう言って、目を細めてロッテモデルを見た。


「少女というのはこうあってほしいと、我々が願うとおりの子に思える」

「そうですね、人間らしくて好ましいと僕も思います。本人はかなり落ち込んでいましたが」


 モデルの彼女ロッテの髪色は、限りなく黒に近い茶色だ。ありふれた色だが、一本の乱れなくきゅっとアップに結われたところが、メイドとしての彼女の矜持の一端を見たような気になる。気弱でおとなしそうに見えるが、芯は強い女性なのかもしれない。


 たしかエイミーは、ゆるいウェーブのかかった柔らかい髪質で、色は艶を消したテラコッタブラウン。三つ編みにして垂らしているか、高い位置でおだんごにしていて、ちょこんとメイドキャップを乗せている。16とはいえ大人の色香には程遠いが、チャーミングといえば、まぁ褒め言葉になるだろう。


 ひとえにメイドと言ってもそれぞれだ。同じ画家であっても、レイとシルバとゴルドがそれぞれ違った技法を用いるのと同様に。


「……フローレンス様とエイミーは、上手くやっているのですね」


 ロッテは静かに微笑んだ。それはエイミー彼女よりいくぶん大人びた、少し疲れたような笑みにも思えた。


「そう見えますか?」

「さぁ、どうでしょう。私などにわかることではありませんから」

「それもそうですね」


 人と人との関係性など、当事者同士ですらわからないものだ。だから、せめて近くにいる人間には本音で向き合いたいと――レイはそう思った。自分が果たしてそうできているかは別として。


「――さぁ、できた」


 結局、余興は2時間近くかかって終了した。レイが筆を置くとすかさず兄弟子たちが道具を回収していく。ほどなくしてシルバも描き終え、二人は緊張でガチガチだったモデルをねぎらった。


 遠巻きに歓談していた招待客たちがざわつきながら戻って来る。そこに師の姿を認めて、すぐさま駆け寄りたい気持ちになった。「できました、先生!」そう言ってスケッチブックを見せると、決まって頭を撫でてくれたのはもう何年も前の話だというのに。


(子どもでもあるまいし)


 ぐっと足に力を入れる。でないと、今の興奮状態のままでは、幼子のように作品の感想を聞きたくなってしまう気がした。


「ロッテ、ありがとう。もういいよ」


 横にいたシルバはそう言って、メイドをねぎらって送り出した。


(……二人は顔見知りだったのか?)


 初対面にしては、あのお堅い兄弟子殿が、妙に気安い。メイドの方も苦笑して、「緊張しました」などと向き合っている。


「さて、では同時に公開していただこうかな」


 ゴルドが合図を送るので、ふたりはキャンバスをひっくり返した。


 今や観衆となった貴婦人、紳士たちが二つの作品を見てどよめく。


「……おやおや」


 兄弟子は、自身の描いた少女と、レイのそれを見比べて苦笑した。


「天才殿は、一体誰をお描きになったのやら」

「貴方と並べられて、正気でいられる画家はおりませんから。シルバ」

「それは私の台詞ですよ、まったく……髪色も、目も肌の色も彼女ロッテですが、雰囲気が随分違いますね……なるほど、こういう女性なのですね。ふむ……この肌の色の重ね方は、どのように……なるほど」


 シルバは絵に近づくと、様々な角度からじろじろと検分し始めた。

 その間にも、モデルを務めていたロッテはさっと裏に戻ってしまう。


「この絵……どこかで見たような。いや、キミの作品を乏しめる意味では全くないのですがね、レイ」

「貴方も少し描き方を変えましたか? 僕の知るシルバ・ハワードはもっと原色に近い色彩の、強い絵を描く画家でしたが」

「私の好みで描いたのでは、強すぎるコントラストが目に痛いなどと言われて、ご令嬢たちに評判が良くないですからね。あえてホワイトを混色しました。この部屋は薄暗くてだめだ。真実を見る目を曇らせてしまう。……君こそ、ゴルド先生の難題を、うまくかわしたじゃないですか」


 シルバは、レイに顔を近づけそっと耳打ちした。


「いいんですか? よい縁談だと思いましたが。ゆくゆくは私も親族になりますし」

「僕は、描きたいものを描いただけです」

「メイドが? ふふ、そうですか。いやそれより、話通り、素敵な花だね」

「……、特に何も意識せず、思い出すままの彼女を描きました」

「愛嬌と親しみを持てる表情だね。人物画としてとても好ましい。さすがです、レイ。はぁ、どっと疲れました。ゴルド先生もいったい我々にこのようなことをさせて、何を考えているやら」


 シルバはため息をついて、自身のキャンバスの中のロッテを見つめた。「せっかくなのでこれは持ち帰って完成させましょう」と下僕フットマンに包むように呼びかけ、さっさと会場から運び出してしまう。


「フローレンス様はどうされますか?」


 梱包用の包装紙を広げた執事が尋ねた。


「……そうですね、僕も持って帰ります」


 絵の中のメイドは、難しい顔でこちらを睨んでいる。まるで、「メイドなんかを見世物にして!」と今にも怒りだしそうだ。


(たしかに。なかなかに上出来かな)


 レイは今夜一番愉快な気持ちになって、まだ乾ききらない乱れた乙女の前髪を、指先でちょいちょいとならして直してやった。

    


    

    

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