晩餐会の夜 -回想 1-

§


 宮殿の華やかな大階段ステアケースを、興奮冷めやらぬ紳士淑女たちがざわざわと降りていく。多色の大理石でできた壁にかかった、幾分お若い頃の女王陛下の肖像が、穏やかな表情で彼らを見送っている。


 黄水仙ダファディルを思わせる鮮やかなイエロードレスを身にまとった令嬢は、中階からの景観のすばらしさにため息をつく。色とりどりのドレスと香水の香りで彩られた階段は、まるで女王陛下自慢の薔薇庭園のよう。


 エスコートする燕尾服の紳士たちの何人かは足元がおぼつかなくて、花と花の間をふわふわ飛び回る蝶のように見えなくもない。すかさず従僕フットマンらがその紳士を支えて、玄関ホールの外へと案内する。


 いくつも馬車が連なるアプローチはガス灯のおかげでぼんやりと明るいが、曇っているせいでまだらに暗い空からは綿のような雪が降っていた。


「まぁ、もう春だというのに」


 むき出しの二の腕をさすってどこかの令嬢が呟く。駆け寄ったのは、夜闇にまぎれてしまいそうなくらいに地味なメイドだった。


「お嬢様、失礼いたします。こちらの扇子を舞踏室にお忘れではありませんか?」

「え? あら、やだわ。わたくしったら」

「帰り道、どうぞお気をつけて」

「どうりで手が寂しいと思ったのよね」


 つんと澄ました令嬢にちょこんと頭を下げたメイドは、急いで踵を返すと元来た舞踏室ボール・ルームに戻って行く。


(忙しないことだ)


 その様子を欄干にもたれて眺めていたレイも、同様に2階の喫茶室ティー・ルームに戻った。給仕役からワインを受け取ると、壁に背を預けて目を伏せた。


 この香りにももう飽きてしまった。


 豪華絢爛で最高に窮屈な舞踏会のなかで、唯一の楽しみといえば、王宮の装飾を眺めることと、彼女らメイドの働きぶりを盗み見ることぐらいだ。


 特に、雪で湿った土みたいに地味な髪色の、あのメイド。


 誰の目にも留まらない密かな仕事ぶりは、おとぎ話で聞く、古い屋敷に住みつく妖精のようだ。そう思って眺めると、彼女の観察はより愉快なものになってくる。


(ほら見ろ。もはや曲芸だぞ、あれは)


 少女は右腕に大皿を8枚のせ、ワイングラス4本を指に通し、左腕にはスープのシミのついたテーブルクロスを抱えて、涼しい顔で大広間から隠し扉を通って使用人通路に消えていく。と思えば、すぐさま新しいグラスをたっぷりと盆に載せて戻って来た。


 管弦楽団の演奏や男女の話し声の邪魔にならないくらい静かにグラスを配り歩いて、そしてまた汚れ物をもって壁の向こうへ。楚々として動き回り、一か所にとどまっていない。あんなに一生懸命働いて、誰もねぎらいはしないのに。


 彼女の名前は、エイミー・リンドベル。


 濡れた土色の髪の毛をきっちり結い上げた髪型は他のメイドたちと共通しているが、ボリュームのある黒いロングドレスとフリルの多い刺繍付きの白いエプロンは、彼女の華奢な体型によく似合っている。首に沿う付け襟に縫い付けられたビジューの輝きが、彼女を実年齢より大人びて見せているようだ。


 この王宮で暮らすにあたっての、レイ・フローレンス次期宮廷画家専属の使用人。一晩眺め続けたおかげで、彼女が仕事熱心で真面目な少女だということはわかった。皿の一つでも割るようであれば、女の使用人など必要ないと言おうと思っていたのに、当てが外れてしまった。


 琥珀色のワインに口をつける。なんとかあくびと一緒に飲み込んだ。


 すぐさま執事がやってきて、今度はぶどうジュースを注いで去って行く。さすがに腹もいっぱいで口をつける気にもならないのだけれど、こうしてグラスを持ち続けなければ自分が困る。


 付き人シャペロンだか女家庭教師ガヴァネスだかの後ろに隠れたご令嬢たちの誘いがひっきりなしなのだ。気を遣って応え続けるのはたいそう骨が折れた。


    

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