4日目 PM
晩餐会の夜 1
宴の夜。
辺りを仄白く包む霧。
暖かい照明で浮かびあがる美しい館。
「お待ちしておりました、サー」
「こんばんは。暖かい夜だね」
「ええ、フローレンス様。ご案内いたします」
執事に先導されて長い廊下を歩く。レイは感嘆の思いで壁の絵画たちに目をやった。宮廷画家ゴルド・アッシュの屋敷を彩る美は、さすがどれも名作ばかり。
しかも、ここにあるのは絵画ばかりではない。モネウスの神話画、コーホの肖像に、ルノーの陶芸。主役級の存在どうしでありながらお互いを引き立て合うよう、完璧なバランスで展示されている。足を止めて眺められないのが口惜しい。
あれこれ目を奪われているうちにたどり着いたクロークルームで、エイミーの用意した春物のコートと帽子を使用人たちが持ち去っていく。身軽になるが、気乗りはしない。楽しみといえば、辺りに溢れる素晴らしい美術品を鑑賞することぐらいだ。
最後にここを訪れたのは、シュインガー宮殿に召し抱えられる前だから──2ヶ月前くらいになる。その時と比べて展示はがらりと変わっていて、絨毯も、壁掛けの絵も、より明るい色調になり、屋敷全体が冬から春へ衣替えを済ませた様子だ。
先に通された応接室の絵画の迫力も素晴らしかったが、この廊下は格別で、ここの展示だけでも美術館≪ナショナル・ギャラリー≫並みに価値があるだろう。目の肥えた客人たちはさぞ喜んだに違いない。自分もその1人だが──、ただ今夜は、他に目当てがある。
「『春』はどこに?」
顔見知りの執事をつかまえて尋ねてみた。謎かけのような問いだが、正しく理解されたはずだった。その執事は笑顔を強張らせて、「申し上げられません」と頭を下げたっきり口を閉ざしてしまった。
屋敷の雰囲気が違うと感じたのは、模様替えのせいだけではないようだ。盗難事件があったのだから、使用人達が警戒しているのは当然か。それに加えて、入り口では警察官が招待客の数を確認していた。下手に追求すると彼らの心証を悪くしかねない。
幸い、執拗にレイを取り調べたあの警察官の姿は見当たらない。正直、ほっとする。ただえさえこういう催しは心労なのだから、面倒な人間は少なければ少ないほどよい。
レイは応接室の油彩画を見上げた。今にもほころびそうな柔らかな蕾の花束。宮廷画家ゴルド・アッシュが得意とする花の技法だ。
花も、女性も、師が得意とするモチーフである。『乙女と四季』という連作自体は別段、意外性のある作品ではなかった。
だからこそ気にかかる。その作品が狙われる理由とは、何なのだろうか、と。
高値のつく絵はいくらでもあるはずなのに──。
(金銭目的ではない盗難、ということか……?)
だとすればなおさら、確認するべきだろう。
最後に残った『春』の乙女。何かそこに、手がかりはないだろうか。展覧会の前までにぜひとも一目見てみたいものだが。
そんな風に考えながら廊下の奥に進み続けると、あっという間に大きな扉の前に着いた。
「レイ・フローレンス様、ご到着です」
執事は、慇懃な礼とともに大広間の扉を開けた。ざわつく人の話し声と、料理と香水の匂いが洪水のように流れ込んでくる。先に到着していた招待客の視線がいっせいにこちらへ降り注ぐ。
「あら、あれが噂の……」
「兄弟子たちを差し置いて、出世されたそうね」
「噂どおりの美青年だが、あれは役者の方が似合っているんじゃないかね」
嫉妬羨望のささやきと視線。慣れてはいるが、気持ちのいいものではない。それに何となく、いつもと空気が違う。
(……新鋭派の連中か……?)
集まってひそひそと話している一部の人間とは、特に相性が悪い。
人波を足早にかいくぐって、中庭を臨む窓辺に身を寄せた。
「おお、待ちかねていたよ、レイ」
「ゴルド先生」
恰幅の良い老年の男性は、左右に貴婦人を連れて大広間を悠々と横切りやってきた。名実ともに国内一の画家に、畏敬の念を込めてレイは手を差し出した。
「ご無沙汰しております、先生。本日はお招きいただきありがとうございます」
「よく来てくれた。君の顔を見ると元気になるよ、レイ」
厚い手のひらが、ぐっと力強く握り返してくれる。
「最近なにかと憂鬱なことが多くてね。さぁ、あっちで話そう」
ゴルド・アッシュは若き後継者の背に手をやり、自ら晩餐のテーブルに案内した。
「来た甲斐がありました。お元気そうでなによりです、先生」
「こちらこそ、少々不手際があったようで、その節は大変申し訳なかった」
ちらりと壁際に目をやった師の視線を追うと、件のメイドが小さく縮こまって恐縮していた。エイミーより少し年上の、そして彼女よりだいぶとおとなしそうな──たしかロッテ、という名のメイドだ。この様子ではこっぴどく叱られたのだろう。
「招待状の件は、彼女からすでに謝罪を受けておりますので」
「そう言ってもらえると私の面子も保たれる。さぁ、どうだい、シャンパンでも。ほら、お前たち。もう料理を運んできたまえ。主賓は到着したぞ」
「恐縮です。ところで先生、新聞で知ったのですが。盗まれた乙女の肖像について」
レイに椅子を勧めるゴルドの表情が曇った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます