失くしもの 3
私は椅子から立ち上がった。ぼやっと視界が歪んだ気がするけど、ぎゅっと瞬きをすれば元通り。
「ねぇアン、もしどこかに落ちてたら、教えてくれない? ボタン」
「ああ、そうするさ。……あまり気を落とさんようにね。手伝えることがあればいつでもおいで。あたしの方からハンナにも報告しておくよ。本当に大丈夫だね? ほかに、困ったことはない?」
「ありがとう、アン。大丈夫。ボタンくらいすぐ直してみせるわ! お疲れさま」
空元気で笑って見せたが、地下からの階段を登る足がとても重い。
これじゃお茶どころじゃない。今から作業部屋にこもって、苦手な針仕事だ。
§
幸い、予備のボタンを見繕うことはできた。犠牲になったものは晩餐会に使うシャツではなかったし、上手くはないけど、ボタン付けくらいなら私にもできる。
(……でもなんか、嫌な感じ……)
身体がこわばって、肌がピリピリしているような気がする。作業部屋でも、なんとなく他のメイドたちの視線を避けて、隅のほうで針をとった。集中したいのに、なかなか針穴に糸が通らない。
「エイミー?」
「ひゃっ!?」
そんなだから、背後からそっとかけられた声に、下を向いていた私は飛び跳ねて驚いてしまった。
「な、なんだぁ、ジェーンかぁ」
「やだ、何かごめんね。驚かせた?」
「う、ううん、平気。どうかしたの?」
「エイミーがここにいるの珍しいなって思って。手伝おうか?」
「だ、大丈夫。大丈夫よ」
そう? とジェーンは不思議そうに首を傾げている。きまりが悪くなって私は再び手元に視線を落とした。
(違う、ジェーンは違う。きっと私に何か不満があっても、こんな陰険な方法で示したりはしない)
「エイミー、大丈夫? ちょっと変よ。いやだ、本当に顔色が悪いじゃない。疲れてるの?」
まわりのメイドたちから注目されたくなくて、私はジェーンのエプロンを引っ張って作業台の横に座らせた。
「ううん、体調は悪くないの。針仕事が嫌すぎて暗くなってたかも? ね、それよりジェーン……」
今日の午前中、何してた?
――とは、聞くことができなかった。少しでも疑っている、なんて思われたくなかった。代わりに私は、声を落として内緒話をするようにジェーンに耳打ちした。
「よければ一緒に考えてくれない? フローレンス様の晩餐会のお衣裳なんだけど」
「あら、素敵。彼、きっと正装もカッコいいだろうなぁ。それは楽しい悩みね! エイミーのセンスの見せ所じゃない」
「う、うん……うん、そうね。楽しい悩みだわ」
こうして目を見て話していても、いつも通りの明るさで微笑んでくれる。手を動かしながら、ジェーンと一緒に流行の色やヘアスタイルについて語っていると、気分も少しは落ち着いてきた。
(うん、やっぱり、ジェーンは違う。まぁ、こういうことも……あるものよね)
ただの些細な嫌がらせ。このときの私はそう思いたがっていた。
自分がまさか、何かの事件に巻き込まれつつあるなんて、夢にも思わなかったから。
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