失くしもの 1

 王宮メイドの仕事は分業制だが、フローレンス専属の私は掃除も洗濯も自分でやる。厨房横の地下階段を下りると、そこはランドリー・メイドたちの戦場だ。


 ここは春でも熱いくらいにストーブが焚かれている。広い部屋の中央で燃えるストーブで、たくさんのアイロンが温められている。部屋の外周をぐるりと囲むように長机が置かれていて、メイドたちが黙々とアイロンがけを行っている。


 煮洗いと絞りは、隣の小部屋。石鹸の爽やかな香りと湿気が充満した部屋を抜けると、ランドリーのリーダーであるアンが私を出迎えてくれた。


「エイミー、遅かったね。とっくに終わってるよ」


 恰幅のよい下町のお母さん風の彼女は、特に年若いメイドたちから慕われている。メイド長や執事に意見できる数少ない人間でもあるので、困ったときにはアンを頼るよう先輩たちから言われてきた。


 ランドリーから庭へつながる部屋の長机には、今まさに次々と取り込まれている洗濯ものが山積みだ。受け取り手を待つ籠がずらりと列をなしている。


「足下、そこ気を付けな。床が湿っているからね。さっき若い子がそこで石鹸水をぶちまけたんだよ、おかげで床が綺麗になっちゃってさぁ。まぁぬるぬるとよく滑ること!」

「あらほんと。ちょっと危ないわね……ありがとう、アン! あのシャツ、どうかしら」


 画家という人たちは、己の指すら道具にするらしい。そして指に付いた絵具が乾ききらないまま、そそっかしくボタンや、袖やポケットを汚してしまう。


 石鹸でこすっただけでは落としきれない絵の具汚れにはお手上げだった。この調子だと春物のリネンシャツに、指紋でできた虹が描かれてしまうかもしれなかった。

 困った私がアンに助けを求めると、彼女は笑顔で快諾してくれた。


 そこで今朝がた、彼女の指導のもと、丁寧に丁寧に時間をかけて繊維の奥に入り込んだ色素を取り除いていった。ぬるま湯の石鹸水に漬け置きブラシでこすり、つまみ洗いを繰り返した。


 ネイブス・イエロー、ヴァーミリオン、シルヴァー・ホワイトにアイヴォリー・ブラック──。

 フローレンスがパレットに並べただろう色で、何を描いたのか想像しながら。


 四半刻も念入りに洗えば、あちこち花弁のように指紋のついたシャツも、すっかり元の白さを取り戻した。


「このあたしに落とせないシミはないんだから」


 アンは胸を張ってそう言った。たっぷりのぬるま湯ですすぎをし、水を吸ってずっしり重いシャツを開いて形を整え、陰干しロープへと干してくれた。




 レイングランドの春空は不安定だ。けれどここ数日は幸運にも、晴れの日が続いている。シャツ一枚ぐらいなら数時間もあればパリッと乾いてくれる。早朝に洗った別の洗濯ものはすでに取り込まれて畳まれていた。


「ありがたいことにお天道さまが張り切ってくれてるからね、おかげで大繁盛さ。冬物のカーテンも敷物も、陛下の肌着も、今のうちにみぃんなまとめて洗っちまおうってんだから。今朝から戦争みたいに人が入り乱れてさ。ほら、宮廷画家様の分は、そのかごの中だよ」

「綺麗になって本当によかった。忙しいのに手伝ってくれてありがとう、アン」

「いいんだよ、ほらどうだい」

「まぁ、見て! 真っ白なこのシャツ、生き返ったみたい……あれ?」


 皺なくたたまれたシャツを頭上に掲げて、私は違和感に首を傾げた。


(ボタン……どこいったの?)


 フローレンスが好んでつける白地に金彩が施された飾りカフスは、外した覚えがある。けど、首元や前身ごろの留めボタン。それらすべてがことごとなくなってしまっていた。糸くず一つ残らず、綺麗さっぱりと。


(ええ? どういうこと?)


「アン、これ……」

「ん? 洗い残しかい?」


    

 


    

    

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