晩餐会の招待状 5

「また来たんだよ、警察の取り調べ。奴ら、僕の生い立ちや経歴を根掘り葉掘り調べてる。まったく、どこのゴシップ紙の取材かと思うぐらいに」

「また……? 大丈夫でしたか、フローレンス様」

「平気さ。田舎者を叩いても何もでてきやしないんだから。でも尋問っていうのはストレスに変わりないね。しかも、犯人が捕まるまでは外出を極力控えるように、だってさ。展覧会はどうなる? このままでは開催も危ぶまれるかもしれない。ちょっとウェーリの田舎に引きこもりたくなった。静かな海と森が恋しい」


「そんな」

「……なんて、ホームシックのようなことを言う年齢でもないのだけどね。ごめん、忘れてくれ」




§




(何よ、そんなこと言われたら出ていくしかないじゃない……)


 故郷の森に思いを馳せるほど参っているなら、一人になりたいだろう。結局、私一人でとぼとぼ部屋に戻ることになってしまった。

 春の小風はそんな私の背をそっと撫でて通り過ぎていく。


 さざ波のように繰り返す葉擦れの音は、ざわついていた心を鎮めてくれる。深呼吸を繰り返すと、気分は春の海のように緩やかに凪いでいく。


 そう、フローレンスの描いたウェーリの森ほどの豊かさはないが、王宮の裏庭だって素晴らしいものだ。


 小道を優しい木陰で覆うカエデ並木、高級な絨毯のように踏み心地のよい芝。

 宮殿から続く涼み廊下には気の利いたベンチがあって、もっと奥に進むと、四阿ガゼボと石橋のある池がある。その池には何十種類の珍しい睡蓮が浮かんでいて、水鳥が立ち寄って水浴びを楽しんでいる。


 画家が喜びそうなモチーフだらけだ。なのにフローレンスときたら、宮殿に来てひと月は経とうかというのに、いつもあの薄暗いアトリエにこもりっきり。他の客人たちや使用人たちと関わろうともしない。


(さっきみたいに、どんなことを考えていらっしゃるのか、お話ししてくださるといいんだけど。私だって使用人なりに、何か少しでもフローレンス様のためになりたいと思っているのよ)


 これが仕事で、彼が主人だから。

 そんな建前もあるけれど、私個人が彼の作品のファンだから。これに尽きる。良い作品をたくさん見たい。そのために全力で尽くしたいのだ。

 作品作りのための、よい環境を整えるのは専属メイドの仕事だ。そのためにできることを、私は私で考えよう。腕をまくって、庭園階段を一気に駆け上った。


「さてと、早く衣裳部屋に行って、見繕ってこなくちゃ!」


 今は、うんと特別な夜の装いを考えることにしよう。

 正装のレイ・フローレンスを見たら、きっと多くの貴婦人たちが卒倒するだろう。何て言ったってあの美貌だ。

 男性とは思えない滑らかな肌、ミモザ色の優美な髪。気取らない貴公子然とした立ち姿。満月の光でさえ、彼を素敵に魅せるための装飾品にしかならないだろう。


 世間離れした容姿と、画家としての名誉を持つ彼。きっとたくさんの人が挨拶に来る。貴族社会において、何より人脈は大切だと聞いている。

 彼の魅力を最大限引き立てるように、メイドはすべてを完璧に仕上げなくてはいけない。ここは腕の見せ所だ。


(そういえば私が専属になってから、初めての招待よね? 気合い入れなきゃ!)


 頭の中で、燕尾服を纏ったフローレンスを想像する。白いタイを締めた喉元、細身だがピンと伸びた背筋に沿う、燕尾服の品格あるライン。中に着るベストは、最近流行り始めた白にするか定番の黒にするか……。


(ああ、いい! 何を着てもきっとお似合いになるわ)


 にやつきそうになる口元にきゅっと力を入れて、私は宮殿の廊下を急いだ。


(っとその前に。ランドリーに寄って、洗濯物の回収をしよう)


 そのあとは、使用人ホールでちょっとだけお茶の時間をとってもいいかもしれない。そして、皆に相談をもちかけてみるのだ。「フローレンス様の晩餐会の衣装についてなんだけど」と。


 きっと、みんな目を輝かせて考えてくれると思う。

 専属メイドとなってからというもの、かつての仲間たちと少し距離があいてしまったことが少し気にかかっていた。今日はお茶の時間に間に合うといいんだけど。

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