薔薇の宮殿庭園 3

§


 


 お茶はすっかり冷めてしまっていた。私が淹れ直そうとするのを制して、フローレンスはかまわず飲み干し、そして今度は最適な花瓶の選定を始めた。


 蔦装飾のある翡翠色のぽってりとした丸瓶。白鷺の首のように細く縦に長い、シンプルな白磁器。私は全神経を集中して花瓶を運び込まないといけなかった。あれもこれも国宝級。割ってしまったらどうなるか、なんて考えたくもない。


「次はこれに活けてくれ」

「はい!」

「そうではない。これを主役にして、もっとラウンドにまとめてほしい」

「はいっ」


 この類まれな芸術家の感性に、間近で触れられる。私の見ている世界と、彼の見ている世界が徐々に重なっていく。その感覚に胸は高鳴った。

 今私は、日常の中にある芸術を探求しているのだ。見る者を癒す優美さ、穏やかさ、健やかさ。それにふさわしいバランスを求めて、花材を取捨選択していく。


 ホワイトローズの大輪を中心に、螺旋状に色の淡い花を配置し、空いた空間をグリーンと小花で埋める。「どうですか!」と意気込んで振り返ると、フローレンスは首を横に振った。

 それならばと、真っ赤に染まった剣のような薔薇をたくさんと、オレンジのミニチュアローズをアクセントに添える。これは色が強すぎてだめ。優しいピーチ・ピンクのロゼット咲きを並べると、「おっ?」と二人の視線が絡まった。

 ──悪くない。

 同じようなことを繰り返し、何度目かでやっと納得の花が見つかった。


 と思ったら、今度は花瓶の周りをぐるぐると歩き回るフローレンス。どの角度から描くか、構図を決めかねているようだ。


(……あ、どうしよう。そろそろ洗濯が終わる時間だわ……)


 時計が目に入って、ふと我に返る。ランチまでもうあまり時間がない。アトリエへの闖入者がなかったら、こんなに時間を取られることもなかったのに。


 貴重な春の晴れ間。ランドリーがパンクしている事情も知っているだけに、できればヘルプに行きたいところだ。内心焦りながらも、主の要望はできるだけ優先したい。散らばった葉や切り落とした枝を拾い集めながら、いつフローレンスに切り出そうかとそわそわしていると、「きみ、」と、活けた花を見据えたまま、フローレンスの方から声をかけてきた。


「は、はいっ」

「そんな風に見られると気が散る。他に用事があるなら、そちらを優先してもらってかまわない」

「えっ? で、ですが私も、お手伝いを」

「僕なら、いいから。あとは自分でできる。ああ、従僕フットマンを呼んでおいてくれ。この花瓶をアトリエに運ばせるから。あと、ランチはいらない。夕方までアトリエに籠ると思う」

「かしこまりました」

「……それから……」


 午後に使うための絵筆を急いで準備し始めた私を見て、彼は口を開いた。


「……言いたいことがあれば言えばいい」

「えっ」


 湿った筆と雑巾を握りしめたまま、私は「すみません!」と慌てて頭を下げた。全身に緊張が走った。他の仕事に気を取られて、心ここにあらずだったことを責められたのかと思った。


「いや、その」


 恐る恐る見上げたフローレンスは、困った様に眉を顰めている。目が合うとふいとあさっての方を向いてしまう。


「怒ったわけではなく……。ただ言葉通りに、言いたいことは言えるようにしておいた方がいいと思ったんだ、お互いに。僕はもともと――気付いているかもしれないけど――おべっかとか、建て前とかが苦手だ。目に映ること以上のことを読み取るのは、絵の仕事だけで充分だから。だから君にも、そういった態度を望みたいと思っている」

「は、はい。思っていることを正直に、ということですね」


 具体的にどうしたらいいかはさておき、この人にこんな顔をされたら承諾するよりほかはない。


「変なことを言っただろうか」

「いえ、……ご気分を害して、叱られたのかと思いました。実はちょうど、ランドリーの手伝いに行きたいと思っていたんです」

「そう。行っておいで」

「でも、フローレンス様のお手伝いもしたくて」

「そういう時は、落ち着いて優先順位を決めるんだ。僕を優先することが、君にとっての最善とは限らないのだから」

「……はい。では、行ってまいります」


「はぁ、どうにも慣れないな。僕は田舎に住んでいたころから何も変わってないのに、今ではこうして使用人を侍らせている。メイドだって執事だって、僕らと同じ人間だろうに、偉そうに使役する権利があるなんて」


 彼の言う通り私たちは同じ人間だけれど、でもやっぱり立場が違うのだ、と思う。


 本音と建て前を取り払った関係だなんて、今まで見てきたどんな貴族と使用人たちの間でも不可能だ。王宮にいる人間は、綺麗であり続けるために暗いものを無理やり心の中に押し込めてしまう気がする。本音を晒しあうようなことはしない。それが弱点になりかねないと、みんな知っているから。


(それに、人を使うことを躊躇うようでは、王宮で生活し続けるのは難しいと思うけど……)


 けど、嬉しかった。人見知りの彼がもしかしたら、私を受け入れ始めてくれているのかもしれない。


(長い付き合いに……なるのかしら。きっと私の頑張り次第よね)


 私はドアの前で背を正す。美しく、完璧な角度でお辞儀をする。

 彼には、美しいものだけを見てほしいから。


    


    

    

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