イ-2)第三芸術/宮澤賢治⑴

(記2021/3/17)

「第三藝術」に関して岩手大学・研究プロジェクト(木村直弘氏ほか)が【宮澤賢治〈農民芸術概論〉の地平】を発表なさっておられる。学問分野からのアプローチには大いに意味があると思うし、アドレスをご紹介しておきます。

https://iwate-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=11321&item_no=1&attribute_id=36&file_no=1


宮澤賢治の「第三芸術」は幾つか見つかったが岩手大学のモノをここでは引用。文字の食違いがあるが、私には大した違いでないから「ママ」です。


第三藝術

蕪のうねをこさえてゐたら

白髪あたまの小さな人が

いつかうしろに立ってゐた

それから何を播くかときいた

赤蕪をまくつもりだと答へた

赤蕪のうね かう立てるなと

その人はしづかに手を出して

こっちの鍬をとりかへし

畦を一とこ斜めに掻いた

おれは頭がしいんと鳴って

魔薬をかけてしまはれたやう

ぼんやりとしてつっ立った

日が照り風も吹いてゐて

二人の影は砂に落ち

川も向ふで光ってゐたが

わたしはまるで恍惚として

どんな水墨の筆触

どういふ彫刻家の鑿のかほりが

これに対して勝るであらうと考へた


<㊟ 彫刻家 or 彫塑家で意味は微妙に異なります>



第三芸術というとき、第二芸術に触れたくなる。それは「桑原武雄」なる文化研究者の存在のお陰と思っている。だから桑原氏は私の恩人。桑原憎しの人がいらっしゃっても一向に構わない。今は憎くても恩人と思える日が必ずくるなら好いのじゃない?科学者の立場・学徒の立場・弟子の立場・教える立場・評論家の立場など‥いろんな立場が有っていいじゃない?それが良いのじゃない?だから良いのじゃない?そう想える日がくればどんな人も感謝することができるのじゃないかしら?


泡(あぶく)は第三芸術が好き。けど第二芸術はもっと好き。完璧な顏は飽きがくる。ちょっとしたシミでも出来たら値打ちがガタンと落ちてしまうじゃないですか。泡が珍しく賢いこと言ったら母はどんなに跳びあがって悦んだことか、今でもはっきり憶えてるのよ。桑原が泡をデキ損ないの第二芸術品だと言ったら、そりゃあムカッとくるわね。共に怒って・泣いてくれた人には微笑むかもね。そのあと桑原には感謝デキるように頑張るわ。感謝できない泡なんて好きになれない。


感謝できないまゝに死んじゃったら救われない。是こそが泡の「第三芸術」と決めてるの。いろいろな立場があるけれど詩人の立場はオイシイとこ取り。イタダキマス!宝剣匠さまの立場はオイシイとこ取りに違いなかったわ。匠さまは工女で詩人、泡は読む詩人。愚痴を言う詩人はいないし、人が嫌いな詩人はいないし、誰かの不幸を願う詩人はどこにもいない。匠さまが「一処一情」の頑張りで矛盾丸を拵えたら共に悦びたい詩人・泡なの。泡はそう思うけど、あなたはいかがかしら?


詩人・賢治は「1人が鍬を入れたら、その鍬を受けとって次の鍬を入れるんだよ」と詠ったみたい。完璧な仕事は誰にも出来ないよ?それは分かるでしょう?失敗もするし、疲労もたまる。みんなで代わる代わるに続けていくの。そのための17文字でないのかな。三十一文字なら完成するかも知れないけれど、長編詩なら完璧かも知れないけれど、世界の文豪は一冊だけで満足したかしら?世界は永遠に続くのね。世界の終わりがきても、詩人に終わりは来ない。それとも終わりは近くて好い?


宮澤賢治の第三芸術と泡の第三芸術がそっくり同じとは言わないけれど、もしかして同じと思いたいな。第三芸術‥あなたもごいっしょに如何(いかが)でしょう?

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