ア-3)[ 序章 ]あ ・ うん 3.カルチャーショック

さつま芋を掘上げようと蔓を取除くとそれまでヌクヌク過ごしていたバッタが慌てふためいて飛跳ねている。それを見て、私はバッタが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していると受取る。しかしバッタからは私のほうが跳梁跋扈している悪い野郎になるだろう。ともあれ文化と文化のぶつかり合いは優れた文化のほうに分があるのだから、バッタは私の目の届かない所まで逃げ果せるまでは落着くことが叶わない。


古い資料に「太平之ねむけをさます上喜撰(蒸気船)たった四はいて夜(よ)るもねられす」とあるようです。ペリーの黒船来航の衝撃は私(≒現代の一庶民)にまで伝わってくる。況してや権威権力と結びついた人々に於いてはトンデモナイ大事件に見舞われた気分だったろう。このように新しい文化文明は旧習と対立しやすく、改革派は旧習に胡坐(あぐら)を掻いていた層から憎まれ迫害されたりすることになる。


大地へ鍬を打込むと飛出たミミズや団子虫が驚き逃惑う。また、余所者が藩内を歩くと家々からその様子を窺がう視線が投げられる。このように変化に過敏なほどに反応するのは生き物の習性のようで、それがミミズ同士なら変った動きをしないだろうけれど、元来がミュータントである人間であれば、変わった動きをするのが自然であり、そこに如何ともし難いカルチャーショックが生れるのは当然でしょう。


さて、カルチャーショックを私たちはどう乗越えるべきか。過去の経験に照らして見るに、人間は油断ならない生き物だったと断定することになる。お人好しの集団・個人は食いものにされてきた歴史的事実がある。他国を侵略し奪うのが外交だったとさえ言える。友だと思って近づいた黒人は白人の奴隷にされたし、インドや中国は西洋列強の植民地となって永年苦しんだ。イスラエル建国の例もある。


日本国内に於いても互いを信じ合うことはなくて、藩同士は奪い合いの関係を続けてきたし、主従の関係に於いても隙あらば根こそぎ奪おうとしてきたのが日本の実態で、これが日本の伝統文化の正体だったということになる。この用心深さが功を奏したお陰で日本は西洋の植民地にならずに済んだ事実もあり、ペリー艦隊の脅威を目の当たりにしつつも辛うじてかわした実績は誇れるものと言えるでしょう。


それにしても他者を敵視するばかりでは争いはなくならない。どこかで他者を他国を受入れる覚悟をしなければならないのでなかろうか。最近の日本の政治の流れを見ると私が願っていた流れと合流しているのが少しは感じられる。私の思想は強者を尊敬する。強いだけで人の子は尊敬されていいと思っている。結局、人の子には尊敬されることで尊敬に値する人格が具わることを期待しているのです。


強者とは弱い者を助けてあげられる存在。弱い者いじめをするような者は軽蔑されるべきであって、人の子は軽蔑されるよりも尊敬されるほうを望む性質を具える。現実には庶民を舐めたふうな口の利き方をする著名人もいるし、そのような者を私は徹底して叩きのめすことにしている。著名人だから偉いのではない。弱い人を護ろうとする強者が偉い。その一点から、私はふんぞり返る輩を断じて許さない。


最近は強い女性も増えていて、昔苛められたトラウマだろうけど、弱い者を威嚇したりする場面を見聞きすることが偶にある。苛められっ子が苛めっ子に変って、しかしその劣化を弁明する言葉を持たない私は、弱者の側に立って声援を送るのみ。昨今のスポーツブームで大勢の強烈なスターが誕生しているのは嬉しいこと。人間らしくて健全な彼女等・彼等がこれからの日本をグイグイ引張っていくのだろうな。


それにしてもカルチャーショックを受け留めきれずに紛争の火種にしてしまう人は余りに多い。これは感情の問題であれば、時間をかけて慣れるまで待つしかないとも思う。これからの時代、みんながどんどん発言するなかで耳ざわりの悪い言葉にも慣れるしかなくなれば、害悪がないかぎりは互いの異文化を受入れることになるのでなかろうか。多種多様な文化が併されば「鬼に金棒」の私たちの文化かも。

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