第二章 妖精の箱舟
第1話
ルノ・クロノア。新たな〈ウィッチウィザード〉に所属して2か月が経った。
あの日を境に、ルノの性格は大きく変わっていた。
クロノとの別れなのか失った悲しみなのか妖精を愛するかのように”妖精を見ることができる能力”を取得していた。
ルノにしか見えていない相手の妖精たち。本来なら、見えるはずも会話することもできないはずの存在を知り、見えたり、触れたりできる。
ルノ自身もわからないと言っていた。
妖精の新たな召喚は世界の法律で禁止されているし、できない。召喚にかかるコストは一生に一度のため、クロエの提案で異例であるが所長が頷いたこともあり、召喚の儀式を行ったが、失敗に終わった。
やはりか、所長が肩を落とした。
ルノの気持ちを汲み取って召喚を試みたが、ルノを信じてついてきてくれる妖精はいなかったようだ。
消えてしまった妖精はどこへ行ったのだろうか? 妖精に詳しいエミリア・クローバーに話しを聞いてみたところ。
「妖精さんはこことは違う世界にいるのですよ」
「つまり、異世界か」
「大体そんなところですね」
「一度、妖精を失ったり消えてしまった妖精はどこにいく」
エミリアは少し考えてからこう言った。
「あくまで憶測ですが、妖精さんの天国に逝ったんだと思いますよ」
「逝った…!?」
「私なりの答えです。妖精さんはこちらの世界で召喚されますが、死んだときいなくなった時、こちらの世界で同じ妖精さんが召喚しないあたり、多分元の世界に帰り、召喚ができない場所へ還るのだと思います」
異世界か。纏まった答えは本人もやはりわからないようだ。ただ、言えるのは同じ妖精は存在しないということだけだ。
「――つまり、クロノ・スティアはどこにもいない……」
青ざめていくルノにそれ以上言葉をかけてやれない所長が苦しむ。
消えてしまった以上、どうすようにもできない。ルノの気持ちを慰める方法も言葉も目の前には存在していない。
「うそ…だろ…」
力なく膝が地面に着く。
顔から生気が抜けていくのが分かる。
あれほど頑張ったのに。〈ウィッチウィザード〉に来れば、召喚する方法もクロノに合えるかもと聞いていたのに、それが叶わないなんて。
ルノは悔しさからか涙声を浮かべながら「どうしてだよ…なんでだよ…いったいよな! おまえら、俺の友を助けてやれるって…嘘だったのかよおおお!!」と崩れるようにしてわんわん泣きだした。
クロエも所長もこれ以上慰める言葉は何一つ見つからないまま、泣きつかれるまで傍でルノの苦しみを胸に痛感していた。
同じ組織の出所である脱走者ミゲルの他数人の団員たちがいまなお、ルノと同じ悲しみを増やして思うと心を痛み切れない。
妖精が見えても、同じ妖精はいない。
ルノは遠い過去を見つめるかのように部屋から出てこなくなった。食事を運ぶメイドや世話係でさえ反応しなくなるなど、ルノの心は崩れていた。
転機が変わったのはそれから半年後のことだった。
〈ウィッチウィザード〉に所属しているマーノ・アグラインが瀕死の重傷で帰還したことだった。
その日は大雨で数日は太陽が出ないほど荒れた天気だった。
扉を吹き飛ばす勢いで建物内に転がりつつ煉瓦壁にぶつかり、大きな音が鳴った。騒ぎを聞きつけ所長を含む数名の団員たちが慌てて駆け寄った。
「…! マーノ」
マーノ・アグライン。〈ウィッチウィザード〉の団員で19才の成人男性。青い髪色にショートボブ。恋人の写真が入ったペンダントを首にかけた人物だ。
数年前からある町に潜入調査していたが、数月前に連絡が途絶え、心配していた。
その人物が扉を吹き飛ばす勢いで入ってきたのはなにか事情が発生していたことを知らせていた。
「無事か!? いったい…君になにが…」
「所長(リーダー)…任務…すい…こう…できま……」
マーノの手を握りしめ、所長は涙をこらえ、すぐさまメイドや救護班に指揮をとった。
「なにもいうな! 救護班急いでマーノを病室へ!」
マーノを緊急手術室へ運ばれるとき、マーノは伝えたいことがあるとルノの前に立ち止まらせた。
「ルノだな」
心を失い、渇いた目をしていた。
食事を絶って唇は青色に染まり、肌はカサカサ、筋肉があったはずの肉は骨と皮ばかりになっていた。
そんなルノを見つめながら、希望の一手をマーノの口から託された。
「【妖精の森】へいけ! クロノという少女がそこで待つと……」
くたりと意識を失うかのように手がぶら下がった。危険な状態だと救護班に連れていかれた。
それをじっと見つめていたルノは、少しずつ希望が見えてきた。
クロノが待っている…。【妖精の森】で待っている…。
希望の光が見えてきた。
消えたと思っていたはずのクロノが実は生きていた。
ルノは【妖精の森】を調べるべく、図書館へ出向き、違法ながらもパンと水を持ち込み、情報を漁った。大量に積もれた本と資料を横からあんぐりと眺める他の団員たちを無視し、【妖精の森】を記した資料を漁り、場所を調べた。
【妖精の森】を記した場所は世界中で七か所あることが分かった。どれも出現場所と記されており、一定の数奇と時間でしか出現しないということまで調べ上げた。
「【妖精の森】…幾度となく研究者が調べてきたが、存在自体は確認できていない。幻かそれとも異世界か、その場所を探り当てた者は過去を遡って数えきれないほどいるらしいが、その場所から戻ってきた人は圧倒的に少なく、また行ったという事実もあいまいなため、世界七不思議に数えられている」
調べた限り、【妖精の森】の幻影による森なのではないかと結論付けられていた。ここ数年調べている研究者もいるが、いまだに発見には至っていないという。
「…マーノに聞けばわかるかもしれない。よし」
さっそくマーノに会いに向かった。
マーノが残してくれた希望なんだ。きっと知っているはずだ。
マーノの病室に向かった。
中に入ると黒服の男女が十数名ベッドに祈りを捧げるかのように座っていた。
「……ルノか」
団員のひとりカリア・シフィアが弱弱しい声をかけた。
赤毛の青年。ルノよりも二つ年上の兄のような存在の人だ。
「ま…まーのがぁ…うぅぅ…ぅぅ…」
普段団員の中でも元気いっぱいのカリアが珍しいほど涙もろいで崩れた。
マーノの死がカリアから伝えられた時、希望がカーテンに締めくくられたような気がした。
葬式の後、カリアを含めた団員たちに聞ける暇もなく、誰一人としてマーノのことも【妖精の森】のことも、ただ時間が経過してくれるまではなにひとつ得られるのは本だけになってしまった。
部屋に戻っては窓を眺める日が増えた。
本から得られるものは何もない。存在自体が幻だと結論付けた本なんてこれ以上見ても時間の無駄でしかなかった。
そんなある日、所長から任務が流れてきた。
所長室に入ったのはいつ以来だろうか。入隊式を終えてから入った記憶はない。あの後は妖精のこととかマーノのこととかで任務どころではなかったからだ。
「失礼します」
ノックし、部屋に入った。
すでに一人の団員が立っていた。フードを頭からかぶっており、顔は見えなかった。
目の前に両指を組み、じっと睨みつける所長の姿が夕刻の日に照らされ、その存在がとても大きなものに見えた。
いつもなら緊張もしないルノだったが、この日ばかりは肩の芯まで緊張が張り巡った。
「聞いている通り、マーノは死んだ」
衝突な事実の話だ。葬式以来、悲しむ者は誰もいない。過ぎ去った人物・過去は写真と日記そして思い出だけがこの組織内で残される。マーノの存在はもはやこの場所には言葉しか残されていなかった。
「二人には任務を託す。マーノが片づけきれなかった任務を継続やってほしい。場所は【明確には伝えられない場所】。仲間が転移魔法で直接送る予定となっている。二人だけでマーノがやり残したことを片付けてくる。それが今回の任務だ」
マーノが片づけられなかった任務? それはいったいどんな危険な任務なのだろうか。
「人間が動物の姿に変えられた。原因は不明。化け物の存在も確認されている。二人には化け物の出現の調査と人間が動物に変えられた原因を調べてきてほしい」
二つの任務。これをマーノひとりがやっていたのだろうか。ひとりで十分な人数配置だと考えていたのだろうか。マーノが不憫に思う。配置人数さえケチらなければ今頃…。
「今回二人とは、マーノでは役不足だったということですか? それは死者に対しての冒涜なのではないでしょうか所長!」
フードをとった。そこにいたのは赤毛の炎の使い手カリア・シフィアだ。
「…マーノひとりで十分な案件だった」
「なら、どうして」
「化け物の存在が公にできないからだ。化け物は魔法に対して耐性を持っていた。あの雷魔法の使い手で魔法使い〈特級〉のマーノでさえ太刀打ちできなかった相手だ」
魔法使い〈特級〉でも太刀打ちできなかった化け物!? 魔法に対しての耐性もちなんて聞いたこともない。
「くっ…」
拳を強く握りしめている。
カリアの怒りが自分がその場所にいなかったことに対しての後悔からかもしれない。
「公できないのは…その存在自体が異例中の異例ということですか」
「その通りだ。マーノの情報通りなら、何者かが化け物を召喚し近辺の町々を支配している節があるそうだ。おそらく、そのことに気づいた犯人がマーノを消しに来たのかもしれない」
ルノの答えは正解だった。異例中の異例。魔物の存在は世界中にいることは本で調べたことと資料室にあったはく製からみて、その存在は事実なのだろう。だが、わざわざ魔物ではなく化け物と呼んでいるあたり、本来は存在してはいけないものなのだろうと推測をたてていた。
「迅速に対応してもらいたい。特に二人に頼んだ理由はふたつ。カリア、君はマーノの親友で共にこの組織に入った同期。ルノ、君はマーノから聞かされた【妖精の森】の情報を得ること。もっとも二人に合う案件だと思い選んだ。もし、不満があるのなら別のメンバーに帰――」
「「ぼく/俺がやります!」」
二人同時だった。
”ぼく”がルノ。”俺”がカリアだ。
所長室から出て、すぐ副所長に呼ばれた。所長はメガネ付きの男性だが、副所長はメガネなしの女性。しかも美人で男性団員の中でも最もモテルうえ、厳しくて気が強くて振った数は大陸を上ると言われている。
そんな副所長に呼ばれたのは、新しい武器が支給された。
魔法科工房という魔法と技術を研究する部署がある。妖精の研究から魔法の研究、マナの備蓄量、身体検査、武器・防具の作成まで幅広い分野で日々、研究開発をしている。
「初任務だってな。聞いているぞ」
相変わらずビリビリとくる。声の張りがとても人と話しているように感じられない。まるで見下すというよりも支配下という沼に埋もれそうになる。
それに、この人を逆らってはいけないというオーラが漂っていて、男でも女でもこの人に逆らえる人はいないほどおっかない人だ。
そんな人がわざわざこんな場所まで呼びつけるなんて…ああ、心臓が口から飛び出しそうだ。
「私から餞別だ」
託されたのは三つの鍵だ。ペンほどのサイズしかない鍵。鍵にはそれぞれ特徴としてマークが作られている。赤いハート、青いスペース、緑のクローバー。どれもキレイに彫られている。
「君は妖精がいないと聞いている。おちこぼれだと」
う…と肩をすくめた。
「それに半年以上はニート同然。部屋にこもりっぱなし。外に出たと思えば、毎日、本とにらめっこ。本当、何様だよ。本当なら、ケツを叩いてさっさと追い出していたところだ」
胸が痛い。事実がグサグサと心臓に貫かれている。誰も言わなかったことをこの人は本気で言っているからこそ、怖いのだ。
「それで、ようやく任務か。ご苦労なことだな。あと一日遅かったら、全裸にして袋に詰めて売人に売り飛ばしていたところだよ」
危なかったーと本気で思うほど、この人の圧力は半端ない。
この人の妖精をチラリと見たことがあるが、翼を生え、鎧や兜を身に纏い、心も虜にするほどの妖精をこの人は持っている。相棒だ。
直視できないほどその存在は大きく、みなひれ伏しているのはこの妖精のおかげなのかもしれない。
「ゴクリ……」
わざわざ声に出すほど緊張がMAXに上ろうとしている。
「その鍵は人工妖精が封印されている」
「じんこう…ようせい…?」
間抜けな表情をする。キッと睨められ、再び体に力を入れた。
「この工房は人工妖精も研究対象にしている。妖精を失ったものにせめての哀れみだ。人工妖精は普通の妖精と違い、すぐそばで存在できるものでも術者の魔法をレベルアップするわけでもない。ただ、妖精本来の力をその鍵に封じ込んであるということだけだ。もし、使ってみて、君がヘマするほどであれば、この研究は失敗。君はクビとなる」
人工妖精。これがルノにとって新たな力。
「……さて、説明は以上だ。質問は?」
力なくだが、手を挙げた。すると「男は黙って行け!」と一喝された。「はい!」と元気よく返事をし、工房から副所長から逃げるようにして走っていった。
走りながら託されたカギを見た。
「副所長…ありがとうございます。このご恩は必ず帰還後、良い報告とともに帰還します」
と副所長から託されたカギを胸に、誓った。
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