第5話

 魔法使いとして認められたルノは、師匠に真っ先に報告するため早々に帰郷した。


『おめでとうルノ! 師匠は大変喜ぶわ。何だって今年の上級合格者は102951人中8人だけだったって』


 クロノは嬉しそうに飛び跳ねていた。

 ルノも連れられ一緒に飛び跳ねる。


『さぁ、早く帰りましょう』



 山のほとりに家がある。

 ルノが帰宅したとき、いつもなら師匠が出迎えてくれるのだが、今日ばかり出てこない。


「おかしいな」

『嫌な予感がするわ』


 師匠の身に何があったのかもしれない。

 ルノは駆け出した。


 家に着くころには予想外の光景が広がっていた。


 家のなかは荒らされ、湯飲みやテーブル、棚などが散乱し、窓ガラスは割れ、天井には穴が開いていた。床や壁には剣による引っ掛けきずがあり、ヒドイ有様だった。


「どうなっているんだ…」

『ルノ!』


 裏庭に来いとクロノが呼んでいた。ルノは駆け出し、クロノの下へ駆け寄った。


 !?


 家畜が血まみれで倒れている。庭は人の足で踏んづけたかのように踏み荒らされていた。その畑の中央に倒れるかのように師匠の身体が見えた。

 黒いカラスがたかるかのように家畜や作物を荒らしていた。


「やめろ!」


 剣を振り、鴉たちを引き離すが、鴉たちはじっと木の枝から眺めるかのように止まっている。不気味な光景だ。


「師匠!」


 師匠の下へ駆け寄る。


『ダメよ!』


 ルノを止めるべく前に出るが、ルノは師匠しか見えていなかった。身体がすり抜けた。師匠の遺体を前に、ルノは立ち止った。


 遅かった。

 ルノはカラスが舞う中、師匠の身体を見て絶句していた。


 師匠の身体の中から内臓物がえぐりだされ、服は血まみれで元の色や形は成しておらず、首から先は無くなっていた。

 身体からはすでにウジ虫が湧いており、これが人間だったのかを疑わしいものへと変わっていた。


「師匠……」


 肩を落とす。膝が地面に着く。

 魔法使い上級者として合格し、いち早く知らせるべく帰ってきたのに。そこにいたのは首が無くなった胴体しか残されていなかった。


 ルノは師匠の遠い昔のことを思い浮かべていた。

 師匠が教えてくれていたあらゆる知識と思い出深い記憶に包まれながら、師匠の一字一句が波のように流れていった。


(おかしい…この荒らされ方は、人によるものだ。しかも、只者じゃない)


 クロノは周囲を見渡していた。

 周囲には人の足跡は庭にしかつけられていない。家畜を殺した後も家を荒らされた後も足跡は不思議と消えていた。


(それに、オーガスティンは妖精の力があったはず…それが機能していない。)


 幾度となる戦争で生き抜いてきたはずのオーガスティンがこうもあっけなく倒れるのはおかしかった。

 ましてや、右腕が無くても魔法の力はこの国を統べるほどの実力の持ち主だった。そんなオーガスティンを簡単に倒せるなんて、これは人間の仕業じゃない。もっと恐ろしい獣の仕業だ。


『ルノ、嘆き悲しんでいる場合じゃないわ。ルノ…?』


 ルノの心の底から怒りと憎しみの訴える声が聞こえてくる。師匠を殺した犯人を許せない気持ちがいっぱいだった。


『ルノ、落ち着いて! これは敵の策略よ。いま、落ち着かなければ師匠の行方も見抜けなくなるわ』


 ルノは一旦落ち着くも、まだ怒りは収まっていない。

 クロノは懸命にルノを説得させる。


『ルノ!!』


 触れはしないが、頬を思いっ切り叩いた。クロノ自身の頬を。ルノは振り返り、クロノが何をしたのか、涙目で訴えているのに驚愕した。


『ルノ! 私も悲しいの。大好きだった師匠がいなくなって心から悲しみの涙が噴水のように止まらないの。だけどね、ルノ。その眼でしっかりと見て! 師匠が簡単にやられるわけない! だってそうでしょ。ずっと師匠は幾多なる戦火の中生き延びてきた。それが首だけ亡くなった状態で放置される? 違うでしょ。この死体は偽物。師匠はきっと何か理由があって、こういう状態にして放置した。』


 クロノの言葉に思わず唾を飲み込んだ。

 思考を停止し、目を瞑った。


 クロノと一体になれる空間。心の部屋。

 クロノと直接触れ合い、喋ったり食べたりできる空間だ。妖精と間接的に触れ合うにはこの方法が一番だと師匠が言っていた。


『ルノ…』

「クロノの言うとおりだ。俺は理性が飛んでいたみたいだ。悪い、いつもの癖だ。ちゃんと考えるよ。師匠がこんなにも簡単にやられるはずはない。俺が一番知っているはずなのにな…」


 涙をぬぐい、クロノと対峙する。

 お互い、触れ合う時はこの時でしかない。


 クロノとひとときのお茶を交わし、心を豊かにした。


 目を開け、目の前に広がる惨状に目を瞑り、他に痕跡がないかを探るべく家に戻った。

 家のなかは物で散乱している。争った跡だ。師匠が誰かと戦っていた。赤く血まみれの液体が壁や天井に渡ってかすかに飛び散っている。

 こすれば血は渇いている。時間は大体は経っているようだ。


「師匠…」

『ルノ!』


 クロノがある方向へ指を指していた。

 その場所へ行くと、いつもなら飾ってあるはずのものが無くなっていた。


「杖が…ない!?」


 師匠が大事そうに保管していたはずの棚のガラスは割られていた。そこにあったはずであろう杖が無くなっている。

 師匠がダンジョンで命からがら手に入れてきた代物だと言っていた。


「どういうことだ? 杖が無くなっている。たしかに、ここにあるはず…」


 考えられることがある。

 争いの跡、血の痕跡、亡くなった杖、何者かの死体、殺された家畜たち。これらを合わせると「杖を何者かにとられ、師匠は杖を取り戻すべく出かけた」とまとまった。


『つまり、杖を取り戻しに出かけたってことね』


 クロノも一緒に考えを導かせていた。

 あの杖は師匠にとって大切なもの。失うわけにはいかない。師匠は盗んだ犯人を追うために家から飛び出した。

 そこで鉢合わせた犯人と争いになり、家畜は殺され、畑は踏み荒らされた。犯人と師匠の行方はわからないが、きっと鉢合わせにならない方向へ行ったはず。


「クロノ、師匠がどこへ行ったか分かるか?」

『難しいわね。あ、でも。もう一つ能力を使えばいけるかも』

「アレか」

『あれね。結構疲れるけど、師匠の痕跡を追うにはそれが一番でしょ』

「よし、やるか」


 アレとは、クロノと契約時に獲得した能力のこと。

 物に触れることでその記憶を読み取ることができる能力。ただ、直接物をつかまないと見えないことと、見たい記憶の時間帯を調べるのが非常に大変だということ、ものすごく疲れる事。


 この能力を長らく封印してきた。

 二日酔いのように気持ち悪く、腹を下し何度もトイレに行くような感覚、全身が疲れ果て、ベッドから起き上がれなくなるほどの疲れ。


 それを伴うことから、使うことを自ら禁止にしていた。


『やり方わかっている?』


 覚えているかと問う。

 覚えていると返し、割れた棚に手をそっと振れた。


 モノクロだが、光景が見えてきた。

 何者かが棚を割り、杖を持ち出す姿を。

 杖を持った者は急いで、外へ走っていった。その先はルーイン国がある方角だった。


「見えた」


 ルーイン国がある方角は西。太陽が沈む方角だと覚えていた。


『早速行きましょう。手がかりは早い方がいいし』


 棚から手を放し立ち上がった。

 クラっとふらつく。ぼんやりと視界が緩み、体に力が入らない。足の感覚がなくそのまま後ろにあったテーブルの上へ背中から乗るように倒れた。


『ルノ。大丈夫』

「ああ…平気」


 平気とは言うものの、立ち眩みはまだ続いていた。

 やはり、この能力は非常に危険だ。


 立ち上がろうと手に着いたとき、なにかの紙に触れた。それは師匠が読んでいた本だ。昔の友に託された本だと言っていたもの。

 頭の中に再び映像が流れ込んできた。能力はまだ発動したままだった。


 再び映像が流れた。


 その映像から逃れるように視界をそれようとしたとき、凝視した。

 流れゆく映像がかつてそこにいたかのような奇妙な感覚に襲われたのだ。


 前にも同じような体験をしたかのような奇妙な感覚だった。

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