第5話

 視界いっぱいに濃霧が広がる。

 それが薄くなってくると、徐々に周囲の状態を確認できるようになってきた。

 真っ白な机。2つの椅子も純白、壁や床だって。そして、椅子には私とさっきオムライスを食べ終えた彼女が向かい合わせで座っている。

 ふと、手の届く距離に小さな紙がある事に気付いた。


 ____『那賀真緒ながまお』。那賀なんて珍しい名字だな。

 もしかして彼女の名前だろうか?

 こうして、この空間にある物の事を色々考えている時、唐突に那賀さんが声を発した。


「あの、オムライスとっても美味しかったです」

「あ、はい、えっと、ありがとうございます」


 突然話しかけられるとびっくりして返事が遅れてしまうのは昔からの癖だ。更にあの料理は自分が作った訳ではないから、余計にどう返せば良いのか分からなかった。とりあえずこういうのはお礼を言うのが妥当だろう、という考えで返事をした。


 このやりとりをした以降、何の音もしない空間になってしまった。確かそうさんは……何と言っていただろうか。


 ____『客は飯を食った後、転生の準備に、自分が一番楽しかった時期の思い出を言葉にする事で吐き出して忘れて。それが終わったらあれを開けて現世で誕生するんだ。それが天界の掟ってヤツ』


 そうだ、那賀さんが一番楽しかった時期の思い出を聞くんだった。私が未だに思い出せないそれを。

 それじゃあ、単刀直入に「あなたが一番楽しかった時期の思い出を話してください」とか言うべきだろうか? いや、それは流石に単刀直入過ぎるか。


 ここで私は、memoriesが飲食店だという事に引っ掛かった。ただ話を聞くのならサロンとか温泉とか、なんなら専門の聞き屋等でもできるに違いない。

 なのに、何故わざわざ料理を振る舞う? ……それは、注文した料理が今から聞く思い出と関係するから?

 そう思ったのは、普段働かない頭の回転が少々速くなった瞬間だった。私の推理(と言って良いのだろうか)が正しければ、この質問ですんなりと話し始めるはずだ。


「あの、ひとつ質問して良いですか?」

「な、なんでしょうか」

「なんでオムライスを注文されたんですか?」

「それは……」


 那賀ながさんはそう言うと、一番楽しかった時期の話と思われる事を話し始めた。私の予想は間違いではなかったのだ。




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 ____私が一番楽しかった時期、それはきっとあの時だろう。


真緒まお、夏休み何処かに遊びに行かない?」

「え、大丈夫なの? 受験生でしょ?」

「数時間なら大丈夫だって!! で、どこ行く?」


 小学6年生の7月。終業式まであと数日。毎日が猛暑日で、各教室の天井に5台ずつ設置された扇風機だけが頼りな空間。

 1週間程前から、夏休みなってほしいとか、休み中に何回か一緒にカラオケ行こうよとか、そんな声がちらほら聞こえてきた時期だ。


 私が唯一親友と呼べる、勉強が得意な大海千夏おおうみちなつちゃん。彼女は偏差値71の私立中学校に合格する為、出会って1年程経った小学3年生から受験勉強を始めたそうだ。

 受験生にとって、夏休みは天王山らしい。どれだけ勉強するかで、合格するかどうかが決まるらしいのだ。偏差値と倍率が高い、彼女が受験する学校とかだと特に。

 だから、今年も遊べるなんて夢にも思っていなかった。約40日の間、ゲームや読書をして過ごす事になるのだろうなと予想していたのだ。

 だから、千夏ちゃんに遊ぼうと言われた時、驚きと心配と、少しの嬉しさを感じたのだった。

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