廃都の夜
「なあ、ジュリ」
「なあに?」
ケイが名前を呼ぶと、ジュリはいつも嬉しそうに返事をする。
日中でも暗い空気のこの街で、その明るい声は、何処かネジが飛んだように聞こえる。
他は皆、誰かと談笑していても、影がにじんでいる表情だ。こんな世の中ではしかたないのかもしれない。
もう何が原因だったかもわからなくなってしまったような戦争が、何年も続いている。世界中を巻き込んだ大戦は、何処にも安全な場所がない。少し前まで極東の島国が一番安全だったが、今は見る影もない。ほとんどが海の下に沈んでしまっている。
戦いたくないものは、見つかりにくい場所を探したり、あてもなく彷徨ったり、一度破壊された街に集まったりしてひっそりと暮らしている。ケイたちがこの廃都市に来てたのは、一年前だ。
戦いを望まないものは少数派で、ほとんどのものが戦い散っている。大義を掲げ敵を葬っている。感情のスイッチをオフにし殺戮を続けている。その掲げた大きな旗の後ろには、何もないということにも気づかずに。
すれ違う顔はどれも不安を隠し切れていない。騒いでいる連中も、その明るさは絶望から目を逸らすためのものに見える。こんな世界では、狂ったように笑うか、腐って下を向くかのどちらかが似合ってしまう。希望を捨てずにいる方が難しい。
ジュリの様に心底明るいやつは、この街にはいない。その明るさが、どれだけ周りを救っていることか。おそらく本人は理解していない。それがジュリなんだと、ケイは自分のことでもないのに、誇らしく感じている。
だからこそケイは、危険なことは極力避けてほしかった。どんな小さなことだって。
「ジュリのことは好きだし、趣味にどうこう言おうとは思わないけど、流石に歩きながらはやめない?」
ジュリの趣味は詩を書くことだ。
上手いわけではない。思ったことを書いているだけ。溌溂さがそのまま文章になったみたいで、ケイは密かに詩ができるのを楽しみにしている。
声と違って形に残る。たったそれだけのことが、どうしようもなく愛おしかった。
「だってね、石畳を歩いていると、夜空の下を歩いていると、心が踊るんだもの」
手帳とペンを持ったまま、ケイの前に躍り出て、メロディを口ずさむ。どこかの国の民謡だ。よく歌っているから、いつの間にかケイも覚えてしまった。
踊るジュリを見守っていると、何処かから、音質は悪いがニュースだとわかる声が聞こえた。何か不穏な雰囲気を感じた。
音のする方を探して、そっちへと自然と足が動く。
ふらりと踏み出した足はしかし、元の場所に戻される。
「もう、よそ見禁止!」
自分はさっきまで歩きながら詩を書いていたのに、とは言えなかった。ケイは笑いをこらえるのでいっぱいだった。
ちょっと散歩に出ているだけのこの状況を、ジュリはデートと言う。詩を書くのは、彼女にとってはデートの一環。ケイが隣にいるから、歩きながらでも安心出来て書けるんだと、いつだったか言っていた。
「ごめん」
再び歩き出すと、しばらくして、ジュリはじっと空を見上げ立ち止まった。
「どうした?」
「わたし、満月が好き」
「どうして?」
「だって、白い穴みたいでしょ?」
「そう、かな? まあ見えなくもないのかな」
「穴は普通、覗いても暗くて見えないでしょ? でも夜に開くあの穴は、明るくて見えるの」
「うん」
「だから、怖くないでしょう?」
「なるほど。そうだね」
「先が見えないのは誰でも怖いもの。誰かがこっちを見ているかもしれないから」
今の世界みたいに? その言葉は、喉より上には上らなかった。
飲みこんだ言葉が思いの他大きかったからなのか、しばらく何も言えなくなってしまい、どちらも黙ったまま、繋いだ手の力を強くして、そっと体を寄せ合った。
空を見上げたまま、ゆっくりと、足元を確認するように歩き出す。何かを探して。
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