第22話「成人」

 風呂釜の深さがカイコとミツバチだけでは溺れる深さだ、とヘビが言うので、レグナはカイコと、俺はミツバチと一緒に入ることになった。


「ミツバチまだ寝てるし、レグナ先に入りなよ」


 俺の言葉にレグナがうんうん、と頷く。よほど嬉しいのか千切れんばかりに尻尾を振っていた。


 レグナがカイコを抱き上げ、ヘビから石鹸を受け取る。


「じゃあ、入ってくるね」


 尻尾を振りながら小走りで部屋を出るレグナの後を追い、風呂場に向かうのを見送る。レグナが扉を開けて、中に入るとこちらを見て手を振ったので、俺も振り返した。


 レグナが風呂から上がるのを待つために、部屋に戻ろうとすると、ヘビが後ろから声をかけてきた。


「一緒には入らないんですか?」


 俺は驚きのあまり、部屋の中に入りそびれて扉の枠に肩をぶつけてしまった。ずきずきしている肩を擦りつつ振り返ると、ヘビは悪気なんて微塵もないといったような笑顔だった。俺は呆れながらも答える。


「入りませんよ……公衆浴場だって男女別でしょう……」


「えっ、でも恋人なんでしょう?」


 的外れなヘビの言葉に、俺はがっくりと肩を落として首を左右に振った。


「違います。レグナは友達、というか、うーん……旅の仲間、ですかね」


 友達でも間違いではないのだが、仲間という方がしっくりくるような気がした。


「それ、本心ですか? そんなこと言いながら、気になってるんじゃないですか?」


 ヘビがニコニコ笑いながら、俺の脇腹をつつく。その言葉に少し心がざわつく感じがした。


「そりゃあ、その、同い年の女の子とこんなに仲良くなったことないので……多少はあるのかもしれませんけど……」


 今はまだ年下の女の子、という感覚が抜けていない。それに。


「俺達、まだお互いのこと、なんにも知らないんですよ」


 つい、苦笑してしまった。


 まだ、とつけたのはこれから知り合っていきたい、という気持ちで、本心だ。だが一方で、教えたくない、知ってほしくない、と思っている部分もある。それを後ろめたく感じてしまい、うまく笑えなかった。


 ヘビがニヤリとして腕を組む。


「慎重なんですねぇ。俺がセトさん位の時は、その日会ったばかりの子と結婚の約束なんかしちゃったりしてました。酒と、その場の勢いで」


「それはまた、質の悪い……」


 それを本気にする不幸な子がいないとも限らないのに。


「寝て起きたら、あれ、この子の名前なんだっけ? みたいなこともありましたし」


「それ、隠し子できてたりしませんか」


「あっ、いるかもしれませんねぇ」


 ヘビはケラケラ笑っていた。万が一いるとしたら、笑い事ではないように思う。


 やっぱり、この人は、常識人とはちょっと違うかもしれない。


 俺の冷たい視線に気がついたのか、ヘビの笑顔が引きつる。


「……も、もちろん、今はそんなことしてませんよ」


「そうなんですか?」


「ニカが成人するまでは、俺が保護者ですからね」


 ヘビが微笑む。少し寂しそうな笑顔だった。恐らく、この二人にはなんらかの理由で両親がいないのだろう。


「ニカが成人するまでって、あとどのくらいですか?」


 詳しく聞くのは避けた。はっきりと言わないのだから、わざわざ聞く必要もない。


「ニットラーは18歳で成人なので、あと1年です」


「……じゃあ今、17歳ですか?」


「そうですね」


 レグナに続いて、同い年の女の子がもう一人。俺の年齢が分かってからも、丁寧に喋ってくれていたので、なんとなく年下かな、と思っていたのに。やはり、ニットラーの年齢はよく分からない。


「成人したら、保護者やめるんですか?」


 成人したから、といってこの人の過保護がおさまるとは到底思えなかったので聞いてみると、ヘビはそれを笑い飛ばした。


「当たり前じゃないですか。俺なんかよりずっとしっかりした妹ですよ。その時が来たら好きにさせます」


 それを聞いて、少しホッとする。他人事とはいえ、妹好きをこじらせて、おかしなことを言いだすのではないかと心配だったからだ。


「でも、それまでは」


 と、その時、ヘビの言葉を遮るようにして、店の方から声が聞こえてきた。どうやらお客さんのようだ。


「すみません。ちょっと行ってきます」


 ヘビは俺に軽く手を振ると、店の方へ走っていった。


 きっと、ヘビはたった一人の家族を大切にしているだけなのだろう。そして、むしろヘビの方が一人を寂しく思っているのかもしれない。

 

*****


 しばらく部屋でぼんやりしていると、レグナとカイコが戻ってきた。肩にはタオル。二人共、頬を上気させており、かなり温まってきたようだった。


「おかえり、気持ち良かった?」


 と、聞くと、レグナは急にニヤニヤとして、俺の隣に座った。


 石鹸の素朴ないい匂いがして、少しドキドキしていると、レグナは囁くように言った。


「お風呂、お湯だったよ」


「えっ」


 思わず声が出た。俺にとって風呂といえば、いわゆるサウナのような蒸し風呂が、当たり前だったからだ(あるいは水風呂)。なので、お湯に浸かる風呂なんて、前世の記憶にしかない。


 俺は慌てて、寝ているミツバチの体を揺すった。


「おいミツバチ、風呂入ろうぜ、風呂」


 すると、ミツバチは目をつむったまま、眉間にシワを寄せた。


「……なんで」


 機嫌の悪そうな声にも怯まず、俺は答える。


「冷めちゃうから、お湯が」


 今すぐ入りたいだけ、と答えても起きてくれなさそうだったので、それっぽい理由を答える。


 ミツバチは観念したのか、体を起こして大きくあくびをした。


「めんどくせ……」


 そう言いながらもベッドから下りて歩きだした。


「石鹸、そのまま置いてきたからね!」


 と、カイコが言う。見ると、レグナにタオルで髪を拭いてもらっていた。


 ミツバチの後を追って、廊下の突き当たりの扉を開けると、むわっとした熱気が体を包んだ。


 中はL字の通路になっており、壁はレンガ造りになっていた。入ってすぐ、正面には3段の階段と、扉がある。恐らくこの扉の奥に風呂場があるのだろう。


 扉を開けて中の様子を確かめる前に、L字通路の奥を覗いてみた。突き当たりには薪がたくさん積んであって、右側の壁にかまどが二つ並んでいた。それぞれのかまどには煙突のようなものが取り付けられている。


 かまどの中の薪は熾火おきびになっていた。


「これでお湯を作ってるのか」


 ということは、パイプか何かでお湯を送っているのだろうか。


「でもなんで二つ?」


 お湯を沸かすだけなのだから、一つで足りるはずだ。


「風呂釜が二つあるからだよ」


 ミツバチの言葉を聞いて、そうか、と思い、かまどの中を覗いた。恐らく風呂釜の底と思われる部分が、かまどの上の方に見えた。


「風呂釜に直接火を当てて、お湯を沸かしてるってことだよな。……ん?」


 ふと、かまどの奥に空間があるのに気がついた。床を支えるように柱が等間隔に並んでいる。


「これ、なんで隙間空いてるんだ?」


 わざわざこんな面倒な構造にしているのだから、無意味な空間なわけはない。


「たしか……床を温めるためだって」


「てことは、かまどの熱を利用してるのか、へー、凄いなぁ」


「あのさぁ、そんなの気になるわけ? さっさと入ろうよ」


「ああ、ごめん……初めて見るから、つい」


 珍しい物を前に少しはしゃぎ過ぎてしまった。


 扉の近くに戻ると、編みカゴを見つけた。脱いだ服を入れるのだろう。


 カゴの近くで服を脱ごうとしていると、ヘビがやってきた。


「温度が下がっていると思うので、少し温めますね」


 そう言って、長い鉄の棒を手にすると、それぞれのかまどの薪の位置を直し、積んである薪の中から細めの薪を数本選んで、二つのかまどにくべた。


「すいません、何から何まで……」


 ヘビはかまどの中を覗いたまま、こちらも見ずに片手をひらひらと振った。


 改めて服を脱ぐ。俺らはカゴの中に服を放り込むと、階段を上って、扉を開けた。


 中は10センチほど床が下がっていた。真ん中には排水口らしき穴が空いている。どうやらレンガ造りだったのは外観だけで、中はコンクリート製のようだった。


 足を踏み入れると、ほんのり温かかった。


 奥には、コンクリートで固定された椀型の風呂釜が二つ並んでいた。なぜか小さい風呂釜と大きい風呂釜に分かれている。


 小さい方には木製の蓋がしてあり、大きい方には水が張ってあり、丸い形のすのこが浮かんでいる。


「こっちの小さい方にミツバチが入って、大きい方に俺が入るのか?」


 ミツバチを見下ろすと、ミツバチは大きくため息をついた。そして、壁にぶら下がっていた持ち手つきの風呂桶を手にすると、俺に差し出して言った。


「小さい方のは体を洗う時に使うお湯だよ」


「じゃあ、これは?」

 

 風呂釜のそばには水が張られた木桶も置いてあったので、ついでに聞いてみる。


「お湯が熱かった時に使うんだよ」


「温度の調節に使うのか。ふーん……なるほどなぁ」


「寒いから、さっさと入ろうって」


 ミツバチに促されて、俺は小さい風呂釜の蓋を開けた。こちらにも水が張ってある。


 桶で掬い上げ、手を入れてみると、ちょうどいい温度の湯だった。


「かけるぞ」


 ミツバチの背中に湯をかけると、ミツバチが少し身震いをした。俺も同じように湯を体にかける。冷えた体に温かくて優しい感触がした。


 ミツバチは隅に置いてあった、木製の四角い台のようなものを風呂の近くに運んでくると、それによじ登って、コンクリート部分に乗った。


「セト、これ踏んで沈めて」


 ミツバチが指差したのは湯にプカプカと浮いているすのこだった。


「これ? 踏むって、普通に踏めばいいのか?」


「うん」


 恐る恐るすのこに足を乗せる。すのこが水に反発して、僅かに左右に揺れる。足から離れないように慎重に体重をかけていくと、すのこはゆっくりと水中へと沈んだ。


「そのまま上に乗って」


 言われるがまま、すのこが完全に沈んだのを確かめて、もう片方の足も入れた。すのこは風呂の底にピッタリとはまっている。


 そうか、恐らく風呂釜の底は直接火が当たるので火傷しないようにすのこを敷くのだろう。


 俺は納得して、そのままそうっと体を沈めた。あっという間に湯が体全体を包みこんでいく。


「……うわー、あったけー……」


 ため息が出て、頭がふわふわとした。


「俺も入る」


 ミツバチはそう言うと、片手で風呂釜のふちを掴んだまま、ゆっくりと体を沈めた。立っている状態でも足が底につかないようで、ふちを掴んだまま体を支えている。


「体持っててやろうか」


 その格好では疲れるんじゃないかと思い声をかけたがすぐに断られた。


 しばらくお互いに沈黙して、体を温めることを堪能したあと、風呂釜のふちに置いてあった石鹸を手にして、湯から上がった。石鹸は水に濡れてツヤツヤと光っている。


 小さい風呂釜から桶で湯を汲んで、頭上でひっくり返し、髪を濡らした。その後、手のひらで石鹸を泡立てて髪を洗う。


 ミツバチも俺と同じようにして、髪を洗っていた。


 洗い終わると、髪はきしんでいたが、洗い心地は悪くなく、さっぱりしたので満足だった。


 体を洗う時も、洗う前は肌が少しざらついていたのだが、洗い終わると、心なしかつるつるしているように感じた。


 その後、もう一度湯に浸かってから風呂場を後にした。


「気持ちよかったな」


 用意してもらったリネンのタオルで体を拭きながら、ミツバチに声をかけると、ミツバチは肩をすくめてみせた。


 服を着て、俺らが借りている部屋に戻る途中、炊事場に立つニカの姿を見かけた。台の上に乗って、包丁で何かを切っている。


 その後ろ姿が寂しそうに見えた。


 俺は、ミツバチに先に部屋に戻るように言って、ニカに声をかけた。


「何か手伝うよ。世話になるだけじゃ、申し訳ないし」


「休んでいてもいいんですよ」


 振り向かずにニカが言う。


 手元を覗くと、ニカが切っていたのは、魚のようだった。もうかなり捌かれていて、ブツ切りになっている。


「ヘビさんは?」


「ここにずっと置いておくこともできないので、馬を共同厩舎に預けてくると言ってました」


 てっきり、すぐに他の客に売るものだと思っていた。共同厩舎に預けたら毎月、金がかかるのに。


「売らないんだね」


「元々、馬は欲しかったみたいですから」


 ニカはかまどの上に空の鍋を置くと、陶器の入れ物を手にして、油を注いだ。その後ブツ切りの魚を入れて、軽く炒める。


 その様子をじっと眺めていたら、部屋に戻るタイミングを失ってしまった。かといって、無言の時間に耐えられる時間もそう長くはない。頭の中で話題を探していると、ふと、ヘビと話したことを思い出した。


「そういえば、もうすぐ成人なんだって?」


 ニカが鍋を壁際に寄せる。壁にはパイプのような物が埋め込まれており、ニカがすぐ近くに手をつくと、ニカの首元が光って、そのパイプから水が出てきた。鍋に水が溜まっていく。


「……ええ。お兄ちゃんにはまだまだ子供扱いされてますけどね」


 ニカが水を止めて、再び鍋を火にかける。


「なので、成人したら家を出ようかと思ってるんです」


 ニカは俺を横目に見ると、台から下りてかまどの前にしゃがんだ。


「……成人したら、変わるかもよ」


「どうでしょうね」


 と、ニカが苦笑する。


「大体、あんなに過保護なのは、私が寂しがるから、とか言ってますが、本当は自分が寂しいんですよ、あの人。だからあんなにひっついてくるんです」


 なんだ、ちゃんと分かっているんじゃないか。


 ニカの言葉を聞いて、少し顔が緩んだ。


「じゃあ、あと1年だけ、そのわがままに付き合ってあげたら?」


「……あと、1年……」


「どうせ、大人になれば、いずれ嫌でも一人で色々やらなきゃいけなくなる時がくるよ」


 ニカは小さく笑うと、立ち上がって、俺を見た。


「たしかに、それもそうかもしれませんね。もう少し、可愛い妹のままでもいいかもです」


 その笑顔を見て、俺も笑い返した。


「セトー?」


 急に後ろから名前を呼ばれて振り振り返ると、俺部屋のドアの隙間から顔を出すレグナとカイコ、ミツバチの姿があった。


「手伝いある?」


 レグナが恐る恐るといった感じで声を出した。それを見てか、ニカがクスクスと笑う。


「じゃあ、やっぱり手伝ってください」


 その言葉を聞くなり、三人が部屋から飛び出してくる。そして、ニカがテキパキと指示を出すと、辺りは一気に騒がしくなった。


 俺はその雰囲気に少々気圧されながらも、一緒に皿を並べたり、料理を盛ったりした。


 その中で、楽しそうに声を出して笑っているニカが、とても印象的だった。

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