第21話「ドラゴン」

 店についた俺達は、ヘビとニカに案内されて、カウンターの裏にあった扉をくぐった。


 扉の先には3段の階段があり、その先には開けたスペースがある。奥行きがそれなりにあるようだったが、奥の方は窓から入ってくる光が届いておらず暗くてよく見えない。


 階段を下りてすぐの所は炊事場のようで、床は石畳で出来ていた。その石畳の中央にはテーブルと椅子4脚が置いてあり、壁沿いにはかまどと一体型の調理場。そのすぐ横には食器棚があり、高そうな陶器の食器がたくさん詰め込んであった。思っていたよりも立派な炊事場に少々うろたえてしまう。


 出入り口から左側を見ると、石畳から木製の床に切り替わっていて、くつろげるようなスペースになっていた。暖炉が壁に埋め込まれていて、その暖炉を囲うように、背もたれのある長椅子が2脚。そこに柔らかそうなクッションが敷いてある。


「奥の部屋を使ってください。今、明かりをつけますね」


 ニカはそう言うと、暖炉の横に置いてあった二本のロウソクを手に取った。そして暖炉から火を貰うと、部屋の中央へと移動する。


 ロウソクの光で照らされて、全貌が明らかになると、入り口から部屋全体を見渡せるような作りになっていると分かった。


 中央には、部屋を横切るようにして、2本の大きな柱が立っていた。ニカはその2本の柱に設置されている燭台にロウソクを置いた。


 柱の根本には、柱に沿うようにして3段の階段がある。その先には、壁の中央から奥側に伸びた廊下があり、その突き当たりに扉が一つ。その廊下を挟んで左に扉が2つ、右に扉が1つあった。


 カイコとミツバチは勝手知ったるなんとやらで、さっさと右側の扉へと歩いていったが、俺とレグナは外観からは想像もつかない、広くて立派な家を前に立ち尽くしていた。


「どうしました?」


 ハッとして声のした方を見ると、ヘビが不思議そうに俺を見上げていた。


「……その、立派な家ですね……」


 と、俺が言うとヘビが笑って言った。


「魔法使いは儲かりますからね!」


「お兄ちゃんも魔法使いなんですよ」


 ニカがそう言うと、ヘビは胸ポケットから、青い石がついた耳飾りを少しだけ出して、すぐにしまった。


「俺は副業ですけどね」


「そうなんですか?」


「はい、風の魔法使いは帆船に乗るのが主な仕事なんですけど、一回海に出ちゃうと、場合によっては一ヶ月以上帰ってこれない時もあるんですよ」


 それを聞いて納得した。風の力で動く帆船に、風を操れる魔法使いが乗る。とても合理的だ。


 そして、恐らくヘビが本業にしない理由は。


「長い間、ニカを一人にするのは心配ですよね」


 と、俺が言うと、ヘビは俺の腰あたりを軽く叩きながら笑って答えた。


「そうそう、そうなんですよ! ああ見えて寂しがり屋なんで、心配で心配で……!」


「セトさん! 余計なこと言わないでください! お兄ちゃんも!」


 ニカは俺の服の裾を掴むと、無理矢理部屋の奥に連れて行った。レグナも後を追ってくる。


「ちょっと狭いですけど、ここを使ってください」


 案内された部屋に入ると、木製の小さなベッドが左右の壁に二つずつ、計四つ置いてあった。深緑色の布団に、白い枕と寝具は統一されている。


 入って正面の壁には天井近くに設置された明かり取りの窓があり、その窓の下には、暖炉の前にあった長椅子と同じものが置かれていた。柔らかそうなクッションもある。


「セトくん、レグナちゃん」


 カイコがこちらに手を振る。右側、手前のベッドの上に、ミツバチと一緒に座っていた。靴、外套を脱いだ状態でかなりくつろいでいる。


「セトさん、レグナさんにはちょっと小さいでしょうけど……」


 ニカが申し訳なさそうに言って、左側の布団の乱れをさっと直してくれる。


「うん、大丈夫だよ。ありがとう」


「それじゃあ、ごゆっくりどうぞ。私は買い物に行ってきます。あの騒ぎのせいで買い物し損ねたので」


 ニカがドアを閉めると、すぐにレグナが動いた。何をするのかと思っていると、そそくさと靴を脱ぎ、体に巻いている布などを取り去ると、それを床に置いた荷物の上に放り投げた。そして、奥側のベッドの上に乗るやいなや、寝転がって枕に抱きつき、興奮した様子で言った。


「柔らかい……! すごい!」


 ここのところ野宿ばかりだったので、レグナの気持ちは凄く分かる。俺も柔らかいベッドで横になりたい、と思ったが、体の小さいレグナが少し足を曲げて、やっと寝られる程度の大きさしかないベッドを前に俺はどうしたものかと悩んだ。


「俺がここで寝たら、ベッドの枠から足が全部落ちるぞ」


 と、俺がぼやくと、レグナが楽しそうに笑って言った。


「ベッドくっつけて一緒に寝る? こう……縦に」


 レグナがベッドから下りて、身振りで伝えてくる。


「それは、ちょっと……。恥ずかしいから」


「外では並んで寝てたでしょ」


 レグナは苦笑すると、ベッドを移動させてきた。


 外では、年下の女の子だと思ってたからだよ。とは言えず、俺はしぶしぶベッドをくっつけるのを手伝う。


「ほらほら、寝てみて」


 レグナに促されるままに、俺も靴、ローブ類を脱ぎ、自分の荷物と共に床に置いた。


 繋げたベッドに横になってみると、その瞬間、ゆっくりと体がマットに沈む。ふんわりとした心地よさ思わずため息が出た。すぐに目を瞑って、その感触を堪能する。


「カイコのも繋げていい?」 


 目を瞑ってじっとしているとそんな声が聞こえた。


「いいよ! みんなで寝る?」


 レグナの声。やがてベッドを動かす音。ベッドが数回軋む。


「セトくん! 起きて! なんかしよー」


 恐らくカイコが俺の体を揺すっている。


「……なんかって?」


 俺は目を瞑ったまま聞き返した。横になった途端、疲労感からか体が重くなりった。睡魔にも襲われている。


「んー……あっ、絵見せるよ」


 そう言えば、見せてもらう約束をしていた。正直、このまま一眠りしたかったが、せっかく見せてくれると言ってるのだから、と気力を振り絞って目を開けた。すると、カイコが顔を覗き込んでいた。


「見る?」


「見たい」


 体を起こすと、ベッドが4つもくっついており、全員ベッドの上に居た。どうやら、みんなで雑魚寝らしい。


 ……少しだけ、残念な気持ちもあったが、心に秘めておく。


 ミツバチは疲れていたのか、俺の足の横辺りで、もう寝息を立てていた。レグナはミツバチに毛布をかけると、足を崩して座り、ズボンのポケットから革紐のようなものを取り出した。それを、膝の上に置くと、鼻歌混じりに、頭の後ろで髪をまとめ始める。黙って見ていると、まとめた髪を紐で結び、ポニーテールにしていた。ただ髪を結んだだけなのに、普段とは全く違う雰囲気になっている。


 ……可愛い。と、思うのは、意識しているしていないに関わらず、誰にでもある感情だよな……?


 見とれていると、不意に目が合った。その瞬間、心臓の辺りがきゅっとしてしまい、慌てて視線をカイコに移す。


 カイコは自分の荷物の中から手帳を引っ張りだしてくると、ベッドによじ登って、俺の目の前に戻ってきた。


「はい、どーぞ」


 カイコから差し出された手帳を受け取って、ページをめくっていくと色々な風景がスケッチされていた。最初のページから後のページになるにつれて、スケッチは繊密に丁寧になっていった。


「……やっぱり上手だな。凄い」


 カイコは嬉しそうに笑うと、俺がページをめくるたびに、旅先での思い出話を聞かせてくれた。


「いろんな所に行ってんなー……ん?」


 その絵の中に、一枚だけ風景じゃない絵があった。見たことのない生物。大きな翼を持ったトカゲのような……。


「あっ、これはねぇ、西の大陸にいたドラゴンだよ」


 俺は息をするのも忘れて、その絵をじっと見つめた。この世界でのドラゴンというものを初めて見たからだ。


 絵には一際大きな1頭と、小さい4頭のドラゴンが描かれていた。親子だろうか。


 体の形はトカゲに似ていて引き締まっており、手足はスラリと長い。頭には前に伸びた角のような突起が2本あり、コウモリのような翼が肩から腰にかけてついていた。周りの木々の大きさから推測するに、肩から地面までの高さは3メートル程度だろうか。長い首も入れたら、5メートルはありそうだ。


「やっぱりいるんだな……」


 俺がドラゴンの存在を知ったのは12歳の時だ。教えてくれたのは、俺と同じ奴隷の男だった。男は元傭兵で、西の大陸から来たと言っていた。


 その男は、酔っ払うと必ずドラゴンの話を俺にした。


 酒臭い顔を近づけて、首元の大きな傷跡を俺に見せると、戦った時に受けた傷だと言ってから、まるで怯えているみたいに声を潜めて、その時の様子を話しだすのだ。


 それはこの絵のように、コウモリの翼を持ち、大きなトカゲのような姿をした生物で、山や森に住み、縄張りに入ってきた生物には容赦なく襲いかかってくるという。


 男はドラゴンとの死闘について話終わると、いつも俺の肩をいきなり掴んで、前後に揺さぶりながらこう締めくくった。


 見つかったら最後、やられる前にやるしか生き残る道はない、と。


 その話を聞いた他の奴は、あの男にそんな勇気があるわけない、作り話だ、などと、あれこれ陰で言っていた。だが、ドラゴンなんていない、とは誰も言わなかった。


 そんな大きな生き物がいるなら、ぜひ見てみたい。飛ぶところを見たい。どんな風に暮らしているのか。何を食べるのか。狩りをするのか。そんなことを想像するだけで、時間があっという間に過ぎた。俺にとって唯一の娯楽といっても過言じゃなかった。


「その、どんなだった?」


 子供の頃のおとぎ話が、現実の話なのかどうか。確かめるのが、少し怖かったが、それ以上にわくわくしていた。


「凄かったよ! お父さんが言うにはあんまり空を飛ぶことはないみたいなんだけどね、この時は見れたの。子供に飛ぶ練習をさせてたから。飛んだ時ね、なんかね、すっごい風だった」


「へぇー……! そうなのか……」


 あの巨体で空を自由に飛び回っているのだと思っていたが、そうでもないらしい。ならば、なぜ飛ぶのだろう。


 気にはなるが、他にも聞きたいことがあった。


「襲われなかった?」


 あの男の話では、縄張り意識が強いような感じだった。だが、カイコの絵では、かなり近づいているように思った。


「邪魔しなきゃ大丈夫だよってお父さんが言ってたよ! 草を食べる種類は平気なんだって」


「えっ、そうか、なら……」


 俺は、気づけばカイコの話に夢中になっていた。


 男の話では、獰猛な巨獣として語られていたが、カイコの話では、母性溢れる優しい動物として語られていた。肉食と草食で違うのだろう。


「西の大陸に行けば見られるのか? こっちにはいないのかな」


「こっちにもいるかも。ドラゴンにも色んな種類がいるから」


「いいな、俺も見たいなぁ。遠目にでもいいから。なぁ、レグナも見たくないか?」


 俺がそう言ってレグナを見ると、レグナはうんうん、と頷いてくれた。


「だよな、見たいよな!?」


 レグナの反応が嬉しくて、少し声が大きくなってしまった。レグナが驚いた顔をしているのを見て、慌てて謝る。


「悪い……」


 すると、レグナは口を開いて何か言おうとしたのだが、すぐに口を閉じて、なぜかクスクスと笑った。笑った理由は分からなかったが、レグナの笑い声に釣られて、半笑いになる。


「なんだよ。なんで笑ってんだ?」


 そう聞くと、レグナはニコニコしたまま四つん這いでこちらに来て、俺の横に座った。そして、ドラゴンの絵を覗き込んで、呟く。


「セト、楽しそう。小さい子供みたい」


 それを聞いて思わず小さく笑ったが、なんだか切なくもなって、すぐに眉尻が下がった。恥ずかしいような、嬉しいような、そんなこそばゆい気持ちになった。


「みんなで見られるといいね」


 カイコの言葉に頷く。


 それから、今度はレグナと一緒にカイコの絵を眺めた。


 まだ見ぬ光景に思いを馳せながら話をしていると、突然、部屋の扉がノックされた。


 はい、と返事をしてから、ベッドを下り、扉を開けると、ヘビがニコニコしながら立っていた。


「あ、どうかしましたか?」


 俺が聞くと、ヘビはすぐ隣の廊下を指差して、こんなことを言った。


「風呂の用意をしてあるので、もしよかったら入ってください。この廊下の奥に行くと風呂場なので」


 それを聞いて、思わずカイコとレグナの方を振り返る。不思議そうな顔をしている二人に向かって、俺は静かに言った。


「風呂に、入っていいって」


「やったー」


 と、カイコが両手を上げた。だが、レグナは、ベッドから飛び降りたかと思うと、こちらに走り寄ってきて俺の体の横から顔を出すと、ヘビに詰め寄った。


「本当に!?」


「あ、はい、本当ですよ……」


 と、ヘビは少し顔を引きつらせて後ずさった後、咳払いをすると、俺らに、棒状で長方形の形をした白い物を差し出した。


「え、これってまさか」


 俺は差し出された物をまじまじと見つめる。


「石鹸ですけど……」


 ヘビの言葉を聞いて、レグナを見る。レグナもこちらを見た。そして、何か言うでもなく、俺らはほとんど同時に両手を上げて、お互いの手の平をぶつけた。


「やったー! お風呂! セト! お風呂だって!」


「風呂だぞ、レグナ! 寒い思いをしなくて済む!」


 俺らは手と手を取り合って、その場をぐるぐる回ると、歌うように言ったのだった。

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