第11話「シクル」
湖面から、人の頭が出てきた。あれが怪物なのか? 長い茶色い髪、女性のように見える。
「人だよな?」
レグナを見ると、レグナも混乱した様子で首を傾げた。
「シクルだ」
ミツバチがそう呟くと、カイコが首を左右に振った。
「そんなわけない。ここはどことも繋がってないもん」
「でもシクルだろ」
「どこから来たのよぉ」
「そんなの知らないよ」
ミツバチとカイコには心当たりがあるようだった。俺はしゃがんだまま、睨み合ってる二人に近づいて聞いた。
「二人共、シクルって?」
「知らないの? 海に住んでる人達だよ」
カイコの言葉を聞いて、再びレグナを見ると、レグナが首を左右に振る。
「私も知らない」
レグナがそう言うと、今度はミツバチが答えてくれた。
「シクルっていう種族で、足の代わりにヒレがあるんだ」
「へぇ……そんな種族もいるのか」
知らなかった。海に住んでる人達とは、海の中に住んでいるということだろうか?
「陸を歩けるのか?」
「歩けないよ」
と、カイコ。それならば確かに、あのシクルという種族が湖にいるのは不思議だ。
「ならあの男が連れてきたんじゃないのか?」
湖の方を向き直して男を見ていると、男は棒を振り上げて怒鳴り声をあげた。嫌な予感がする。
シクルがゆっくりと湖岸まで移動すると、男は彼女の喉元に手を伸ばし、首を掴んだ。何をするのかと思っていると首には鎖が繋がっていたようで、男はそれを掴みながら、彼女めがけて棒を振り下ろした。
「わっ……!」
カイコが小さく悲鳴をあげて、レグナに縋りつく。
男は彼女を何度も棒で叩いていた。やめるように懇願する声が辺りに響く。
やがて男は鎖を引っ張って、嫌がる彼女を陸に引っ張り上げた。
陸に上がった彼女は俺が知っている人魚とよく似てる姿をしているが、魚の下半身というよりはイルカのそれだった。
男は陸にあがったシクルを蹴りながら、役立たずだの死ねだのと罵声を浴びせていた。彼女は陸に上げられてからというものの、ぐったりとしていて動かない。
「酷い」
レグナが呟く。
「し、死んじゃうよ、あのお姉ちゃん」
カイコが怯えた様子で俺に言う。
「シクルは陸に上がったら、死ぬって父さんが」
と、ミツバチが言う。それを聞いて、一気に冷や汗をかいた。
「助けに……」
慌てて剣を掴むが、震えて上手く動かせない。俺には戦闘の経験なんてないのだ。武器を持ったのはこれが初めてだ。戦えるかどうか分からない。でも、動かないと、あの人は死ぬ。歯を食いしばり、立ち上がろうとすると、レグナに腕を掴まれた。
「セト、待って」
驚いて、立ち上がろうとした体勢のまま、レグナを横目に静止していると、レグナは首を左右に振った。
「ここで怪我したら、動けなくなる」
「レグナ、でも……」
「戦って、勝てる? 絶対に」
レグナが俺を真っ直ぐに見据える。俺は再びかがんで、剣から手を離した。
「……分からない」
「負けは、死ぬかも。ダメだよ」
レグナが言った。
「命、大事にする、でしょ? 様子みよ? 他に誰かいるかも」
情けないとは思ったが、レグナの言っていることは間違っていない。勝てる見込みもないのに飛び出していくのは無謀だ。
「……分かった。そうだな、ごめん。ありがとう」
こちらの安全を最優先にして、彼女を助ける方法を探そう。
俺はカイコとミツバチの方を見て伝えた。
「俺は、あの人を絶対に助けたいと思ってる。でも俺にはそんな絶対な力がないんだ。だから悪いけど、もう少し我慢してくれ」
二人は俺をじっと見ると頷いてくれた。
「今は、あの男がいなくなるまで待つしかない……」
ただ見ていることしかできないのは苦痛だった。俺がもっと強かったら。あの神様が本当に最強の力を与えてくれていたなら、こんな思いはしなかったのに。
少しすると男はシクルを陸に置き去りにしたまま、木造の家に向かうと、木の棒を扉の横に立てかけて、中に入っていった。
「二人はここにいて」
俺とレグナは顔を見合わせると慎重に彼女の元へと向かった。
そばに行くと、シクルの女性は思ったよりも体が大きかった。どこからどこまでを入れて身長というのか自信はないが2メートル以上はありそうだ。
「あの、大丈夫ですか?」
声をかけてみると、彼女は両手を地面につき、ゆっくりと上半身を起こしてこちらを見た。
「誰……?」
今にも消え入りそうな弱々しい声。体にはあちこち痣があり、傷だらけだった。首には頑丈そうな鉄の鎖が巻き付けてあり、南京錠で固定されていた。
「俺はセトです。こっちはレグナ、あなたを助けたくて……」
「……助けて、くれるの?」
「出来る限りのことは……。とにかく今は水の中に運びます。陸はまずいんですよね?」
「ありがとう……」
俺は彼女の上半身を持ち上げて、驚いて顔をしかめた。重い。思わず口に出しそうになったが、堪えてレグナに目配せすると、レグナは慌ててヒレの方を持ち上げてくれた。
肌の感触がリトナとは全然違う。弾力があり、ゴムみたいにツルツルでしっとりとしている。
少し引きずるような形ではあったが、なんとか水中に連れていった。
無事、水中に戻った彼女は、泣きながら何度もお礼を言っていた。
「私はイーラ、助けてくれてありがとう……」
イーラと名乗ったシクルは、チラチラと木造の家を気にしながら、軽く頭を下げた。
「お姉ちゃんどうやってここに来たの?」
カイコが湖岸にしゃがんでイーラの顔を覗き込む。
「カイコ!? おい、待ってろって言ったのに……」
後ろを振り返るとミツバチもいて、俺を見るなり肩を竦めてそっぽを向いた。
「3年前、陸に打ち上げられた時にあの男に拾われて、荷馬車でこの湖に運び込まれたの。湖の魚を採るためだけにね……」
「助けるよ」
レグナが言うとイーラは寂しそうに笑った。
「それは無理ね。私は陸に上がれない。一生ここから逃げられないの」
陸に上がった時に、日の光を浴びて皮膚が乾燥すると火傷のようになってしまったり、そうではなくても自分の体重で内臓が圧迫されて死んでしまうこともあるのだそうだ。
「それとも、私を海まで運んでくれる? ……なんてね」
イーラさんはそう言うと、悲しそうに目を伏せた。当時はまだ体が成長しきっておらず、今よりずっと小さくて軽かった。だからこそ、海からここまで堪えられたのだそうだ。
つまり、イーラさんを助けるためには、『湖のイルカを徒歩で海に運ぶ方法』を考えなければならないということだ。
「とにかく、今すぐは無理だよな……。一旦、隠れて何か方法を……」
と、その時、視線を感じた。そちらを見ると、木造の家の窓から男がこちらを見ていた。
目が合うなり、背筋に寒気が走る。逃げなければと思ったが、声を出す間もなく、辺りに突風が吹いた。俺は後ろに吹き飛ばされ、地面を転がった。
何が起こったのか分からず男を確認すると、もう窓にはいない。家の扉が開き、男が出てくるのが見えて俺は叫んだ。
「レグナ! 二人を連れて逃げろ!」
ほぼ同じ場所に立っていたので、俺と一緒に吹き飛ばされたとは思うが、三人がどこにいるかまで確認している余裕がなかった。レグナの戸惑ったような返事だけ聞いて、立ち上がり、剣を抜いて身構える。
すると、男は両手を前に突き出し、左右に振った。その瞬間、男の動きに感応したように風が吹いた。
凄まじい勢いの風のせいで右に左に体が転がり、立ち上がることができない。
「この湖は俺の湖なんだよ!! 勝手に入ってきやがって、ぶっ殺してやる!!」
男が叫ぶ。この風があの男からの攻撃だというのは間違いない。だが、どんな仕掛けを使っているのか分からない。
なんとか地面にしがみつき、男を見ると、その両耳が青く光っていた。
体が真横に吹き飛ばされる。その衝撃で剣を手放してしまった。湖面を数回跳ねて、水に沈む。
湖面に叩きつけられた衝撃と水温の冷たさに少し慌ててしまい、溺れそうになったが、目の前にイーラさんが現れて俺を水面まで押し上げてくれた。
「大丈夫!?」
「な、なんとか……ありがとう……」
イーラさんに支えられながら、男の姿を探した。湖岸に立って、こちらを見ている。
「あいつは魔法の扱いが上手いの。まともに戦っても勝ち目はないわ……!」
「魔法……まさか、本当に」
この世界に魔法があることは知っていた。奴隷になった奴の中にも魔法について話している奴が何人かいたし、兵士の中にもいた。だが実際に見たことは一度もなく、半信半疑だった。
「イーラ! その男をこっちに連れてこい。そしたら、お仕置きはしないでやる。なぁ? 俺の言う事がきけるよな?」
俺を支えているイーラさんの腕に力が入る。呼吸が浅く早くなって、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「あぁ……わ、私……あなたをあいつに渡さないと……」
イーラさんの言葉にぎょっとした。
「ごめんなさい、私、もう嫌なの……絶対に……」
イーラさんは男をじっと見つめたまま、ぼろぼろと涙を落とした。
「もう嫌……陸の上で、のたうち回るのは……」
男はいやらしく笑うと、イーラさんの首に繋がっている鎖を掴み、ゆっくりと引き寄せ始めた。すると、彼女は酷く取り乱して泳ぐスピードを上げた。
「まっ、待ってよ、待って! ちゃんと連れて行く! 今渡すから!!」
彼女が叫ぶと、男は醜く顔を歪めて言った。
「ならさっさと連れてこい!! 干物にされてぇのか!?」
俺は辺りを見渡して、解決方法はないか必死に探ったが、水中で動きを制限されているし、そもそも水中にいる状態で彼女から逃れても、すぐにまた捕まるか、そうじゃなくても陸に上がった途端、男の魔法の餌食になる。成す術がない。
俺がイーラさんに連れられて湖岸まで来ると、男は俺が落とした剣を拾い上げて俺に向けた。
近くで見て分かったが、その耳には青い石の耳飾りがあった。光っていたのはこれだろうか。今は光っていないようだが……。
「おい、お前の他にガキが三人いたな? 森の方に逃げていった……すぐに捕まえて面倒を見てやるから安心しろ。お前を殺したあと、そいつらは奴隷として使ってやる」
「……あの三人はあんたなんかに捕まらない」
男は躊躇いなく俺の喉元に切っ先を押し付けた。その時だった。男の家の方から木の棒を手にしたレグナが走ってきて男に襲いかかったのだ。
男は振り下ろされた木の棒をギリギリで避けると、レグナに剣を振り上げた。
「やめろ!!」
俺は咄嗟に男の足を掴んで引っ張った。姿勢を崩した男を見て飛びかかると剣を奪い取り押し倒す。
俺らは水しぶきを上げながら、湖岸で取っ組み合い、水の中を転げ回った。
その内に少しずつ湖岸から離れてしまい、水位が上がっていく。足がもつれて、溺れそうになったスキをつかれ、頭を鷲掴みにされ、水の中で押さえ込まれてしまった。
息ができない。死ぬ。このまま、死んでしまう!
息ができなくなり暴れていると、頭を押さえつけていた力が急になくなった。慌てて水の中から顔を上げ、息を大きく吸いながら状況を確認すると、男は首に鎖を巻かれていて、イーラさんに湖の中へ引きずりこまれていく所だった。
「セト……!」
レグナが泣きそうな顔でこちらに走り寄ってくる。その後ろからカイコとミツバチも来ていた。
「大丈夫? 怪我した?」
「いや、平気……、ありがとう」
レグナにそう答えてから、もう一度男を確認すると、二人の姿は見えなくなっていた。
「お姉ちゃん大丈夫かなぁ」
カイコが言う。
「シクルが水の中で負けるわけないだろ」
と、ミツバチは言ったが、その顔は不安そうだった。
俺は水から出て、たっぷり水を吸った服を絞り、湖を見ながら靴の中に溜まった水を捨てていると、イーラさんが顔を出し、こちらに手を振った。
三人が喜んで手を振り返す。俺も片手を上げて応えるとイーラさんはゆっくりとこちらに泳いできた。
「助かりました。ありがとうございます」
俺が声をかけると、イーラさんは眉をひそめてから俯いた。不思議に思っていると、小さな声で言った。
「あの……ごめんなさい。裏切って……私、怖くて……」
「気にしてないですよ。怪我もしてないし」
そう答えると、イーラさんは控えめに笑った。
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