鉄格子のない檻

第10話「湖」

「絶対嫌だ!」


 ミツバチが洞穴の前で座り込み、声を張り上げる。そのすぐ横でカイコがうんざりしたような顔をしていた。レグナはさっきから何も言わずに一歩引いたところで俺らをじっと見ながら耳をピクピクさせている。多分会話を聞き取ろうとして集中しているのだろう。


「もうぅ、いいでしょ別にぃ」


「良くない!」


「ここに置いてったって仕方ないだろ」


 と、俺が言うとミツバチは悔しそうに俺を睨んだ。そんなに盗んだものを返したくないとは。


「復讐する相手は統一連合じゃないのか?」


「まだ決まったわけじゃないし」


 ……子供とはいえ面倒くさい奴だ。


 ため息をついて、どうするか考えているとカイコが寄ってきて俺に言った。


「仕方ないよ、行こう。村の人にはごめんだけど……」


「いや、でも」


 俺が口を開くとほぼ同時に、カイコが人差し指を口元で立てて、ニッと笑った。それを見て、言葉を呑み込む。何か考えがあるんだろうか。


 ミツバチを動かす案も思いつかないので俺はそのままカイコの言葉に頷くことにした。


「……まあ、そうだな。今はさっさとバンカトラ領から少しでも遠くに離れたい」


「ほら、これでいいでしょ? 行こ?」


 カイコがミツバチの方を振り返る。すると、ミツバチはふてくされた表情で立ち上がると、のろのろとこちらに歩いてきた。


「村に戻る?」


 レグナの言葉に頷いて、俺は二人に言った。


「俺らは一旦村に戻る。二人のことを報告しておきたいんだ」


「なんて言うの?」


 カイコが不安そうな顔で俺を見る。


「逃げられたってことにしようと思ってる。二人は少しここで待っててくれ」


「分かった。お墓に行ってきてもいい?」


「うん」


 カイコに返事をしたあと、いまだ不服そうなミツバチを見ていた。すると、ズボンを引っ張られた。足元を見ると、カイコが立っていて、ミツバチから少し、離れたところに俺を誘導した。そして、十分距離を取ると、両手をこちらに差し出した。


「耳かして」


「耳?」


 しゃがんでカイコに耳を向けると、カイコは俺の耳を両手で覆って口を寄せた。そして、小さな声で言った。


「村の人にここの場所を教えてあげて。穴の中に盗んだ物が全部あるから」


 言い終わると、カイコは俺から離れてにっこり笑った。


「なるほどな、わかったよ」


 ミツバチは少々怪訝な顔で俺を見ていたが、不機嫌そうにするのに忙しいのか、目が合うなりすぐにそっぽを向いた。


「じゃあ、戻るか。レグナ」


「うん」


 村の方へ戻ろうと二人に背を向けると、カイコに呼び止められた。振り返ると恥ずかしそうに体をもじもじさせていた。


「どうしたんだ?」


「あの、えっと、名前……教えてくれる?」


「名前? ……ああ! そうか、ごめん言ってなかったな。俺はセトだ。こっちはレグナ」


 俺が答えると、カイコはニコニコ笑いながら言った、


「セトくん、レグナちゃん、いってらっしゃい」


「いってきます!」


 レグナが嬉しそうに答える。


「……いってきます」


 俺も少し遅れて答えると、カイコは手を振ってくれた。


「ミツバチも」


 レグナがミツバチに手を振る。俺も振ってみると、ミツバチは眉間にシワを深く刻んでから俺を一瞥したあと、そっぽを向いた。こればかりは仕方ない。この世界で、この状況で、会ったばかりの俺やレグナを信用してくれている様子のカイコが特殊なのだと分かっている。付き合い方は色々試しながら少しずつ覚えていくしかない。


「行こう、レグナ」


「うん」


 踏み倒してきた草を辿りながら、元来た道を戻っていると、俺の後ろを歩いていたレグナが声をかけてきた。


「ねぇ、セト?」


「ん?」


 足元を見ていないと道を見失いそうだったので、振り返らなかった。


「ミツバチとカイコ、虫の名前、どうして知ってる?」


「……どうしてって、蚕は飼ってたし蜜蜂はなんていうか身近だったっていうか……」


「10年奴隷だったのに?」


 レグナの言葉に立ち止まりそうになって、でも咄嗟に躓いたふりをして歩みを進めた。頭の中でどう答えようか考える。


 物心ついた時に、前世の記憶があると気付いて、両親にそのことを伝えた時、とても気味悪がられて両親を不安にさせた。その経験から、前世に関する話はなるべくしないようにしてきた。だが、幼虫ウーの味をカスタードクリームに喩えてしまったの時のように、うっかり前世の知識で話をしてしまうことがたまにある。(これでも昔よりは減ったが)


「……小さい頃の話だよ。奴隷になる前。父親にあれこれ教えてもらったから」


 経験上、下手に言い訳して誤魔化すよりは、まるでこの世界の知識かのように説明しきってしまった方があれこれ言われないで済む。


 レグナに嘘をついてしまうのは心苦しいが、自分自身、まだ前世の記憶の扱いに戸惑っている部分もあると考えると、話さない方がいいだろうと思った。それに変な奴だと思われたくない。


「記憶力はいいんだ」


「ふぅん」


 レグナは納得したのか、それ以上は聞いてこなかった。もう少し突っ込んで聞かれるかと思ったので、拍子抜けして、逆に不安になってしまった。


 こんなことなら質問された時、レグナがどんな顔をしていたのか確認すれば良かっただろうか。どういう意図の質問だったのか、表情から何か感じ取れたかもしれない。疑心か好奇心かによっては対応も変わる。


 俺は少し考えてから、肩越しに振り返り、レグナに質問してみた。


「レグナは小さい時の記憶ってある?」


 すると、キョトンとした顔で小首を傾げた。


「……んー……少し」


 いつものレグナ、という感じなので、疑心よりは好奇心からの質問だったのだろうか。それなら、と俺は前を向き直して会話を続けた。


「一番古い記憶はいつ?」


「えーと、うーん、5歳の時……?」


「へー、それってどんな記憶?」


「……山で遊んでた」


「ああ、だから山菜なんかに詳しいんだな」


 俺は歩きながら、少しだけ幼少期を思い出していた。俺の幼少期はあまりいい思い出がない。殆どが奴隷として過ごした思い出、というのもあるが、早くからアイデンティティの確立に悩んでいた時期でもあるからだ。


 前世の記憶があることを認識した時、大人だった前世の自分と、子供である現在の自分とのギャップにかなり戸惑いを覚えた。


 その後、性格や人格がなかなか安定しない不安定な時期を過ごしたが、結局は前世の記憶量に引っ張られて、前世よりの性格になってしまった。


 前世のように変化を恐れ、理不尽に諦念を持ちながら過ごしたことは、今になって思えば奴隷という立場の上で生き残るには都合が良かったのかもしれない。


 だがやはり、前世に経験した記憶のせいで不平不満を強く感じることもあったし、何もかもが煩わしくなって前世の記憶など俺自身が勝手に作り上げた空想だと思うこともあった。


 元々、折り合いをつけていたつもりではあったが、脱走を機にかなり固まったものになった気がする。今の俺と前の俺は似ているが同一人物ではない。あくまで他人の記憶と思っている。そうしないと混乱する。


「セト」


 突然、レグナに軽く肩を叩かれ、驚いて体が跳ねた。


「……どうしたんだ?」


「家、通り過ぎたよ」


「え、ああ……ごめん」


 いつの間にか、村まで帰ってきていた。


「大丈夫?」


「大丈夫大丈夫、ごめん。ぼんやりしてて……」


 笑って誤魔化しながら、マイスさんの家の扉を叩く。するとすぐにマイスさんが出てきてくれた。


「おかえり、どうだった?」


「……それが、逃げられちゃいました」


 マイスさんは眉間にシワを寄せると、扉の前から脇に退けて、中に入るよう促した。俺らが中に入ると、マイスさんは、椅子に座り、大きくため息をついた。


「残念だ」


「もう少しのところだったんですが……」


「まあ、すばしっこいからな。仕方ないさ」


「でも、あの二人はもしかしたらもうここを離れるかもしれません」


「離れる? どういうことだ?」


「住処を見つけたんです。かなり慌てた様子だったので、少なくとも場所を変えるでしょう」


 俺がそう言うと、マイスさんは少し難しそうな顔をしていた。


「……中には盗んだ物がいくつかあるようでした。恐らく今日中に戻ることはないと思いますし、取り戻しに行ってはどうですか? 俺たちはもう行かなきゃならないので……」


「そうか……。分かった。あとで息子に行かせるよ」


「場所はあの二人の父親の墓からさらに北に行った崖にある洞穴です」


 マイスさんは俺の話を聞き終わると、目を伏せて考え込んでいた。


 俺たちはマイスさんとアイさんに泊めてもらったお礼を言うと、家を出ようとした。すると、アイさんがレグナを引き止めた。


「着てみると針の跡も思ったより目立たないわね」


 そう言って、レグナのローブの乱れを直してくれた。


「針の跡って?」


 俺が聞くと、レグナはローブの胸のところを引っ張って俺に見せた。その部分をまじまじと見つめて、ハッとする。


「統一連合のシンボルがなくなってる」


「とってもらった」


 レグナが得意気に言う。


「刺繍がなくなっていたのに気づかなかったのね」


 と、アイさんが笑ったのを見て、俺は少し恥ずかしくなって背中を丸めた。


「いつの間に……昨日まではあったのに」


「昨日の夜、取ってあげたのよ」


 それを聞いて、レグナの寝不足の理由がやっと分かった。


「刺繍を取ってもらってたのか、それで寝不足だったんだな」


「寝てていいって言ったんだけど、見たいって言うから……」


 アイさんがそう言うと、レグナは少し申し訳なさそうにしていた。


 統一連合だと思われると不便なことも多いはずなので、かなりありがたい。勝手に統一連合の兵士だと名乗ってそれが嘘だとバレたら牢屋行きだ。


「それじゃあ、もう行きます。ミースさんによろしく伝えてください」


「ああ、気をつけてな」


*****


 ウード村を後にした俺らは墓のある場所へと向かった。


 二人は墓の前で座って、楽しそうに話をしていた。


「ミツバチ、カイコ」


 声をかけると、カイコが足元に走り寄ってくる。


「おかえり! 大丈夫だった?」


「ただいま。多分な。何してたんだ?」


「お別れ言ってたの」


「そうか。もう済んだのか?」


「うん!」


 カイコが返事をするとすぐにミツバチが機嫌の悪そうな声で言った。


「それで、どこ行くんだよ」


「とりあえず森を抜けよう。バンカトラ領からなるべく離れたい」


 少し急ぎ足で北に向かっていると、途中で大きな湖にぶち当たった。近くに木造の家がある。だが用事もないので迂回して先に進もうとしていると、レグナがこんなことを言い出した。


「ここ、怪物いるんだって。アイが言ってた」


「……怪物?」


 突拍子もない言葉を聞いて反応に困っていると、カイコが声を出した。


「私もその話、お母さんから聞いたよ! 村の人の間で有名なんだって」


 カイコとレグナから話を聞くと、その湖の近くを通ると、どこからともなく女の泣き声が聞こえてくるのだそうだ。不思議に思って湖に近づくと、その泣き声はピタリとやんで聞こえなくなってしまうらしい。その泣き声の主は恐ろしい怪物で、木造の家に住んでいる男の元妻だった女の成れの果てだ、というオチだった。


「その女はなんで怪物になったんだ?」


 なんの前触れもなく突然、怪物になったわけじゃないだろう。


「殺された。それで恨んで怪物になった」


 湖が気になって仕方がない様子のレグナが呟く。それを横目に見ながら、こういうのは案外、偶然が重なって泣き声に聞こえただけとか、オカルト的な原因ではなかったりするものだ、なんて考えていた。


「そんなのいるわけないだろ」


 と、ミツバチが言うとカイコが間髪入れずに反論した。


「でも! お母さん言ってたよ。男の人が湖の中を見つめながら何かに話しかけているのを見た事があるって。怪物じゃないかもだけど、きっと何かいるんだよ!」


 その時だった。木造の家から長い棒を持った男が一人出てきたのだ。


 俺らは咄嗟に身をかがめて姿を隠した。


「ほらぁ、男の人が出てきた」


 と、カイコがミツバチの肩をつつく。それを振り払ってミツバチがイライラした様子で声を荒げる。


「男なんかどこにもいるだろ……!」


「えぇー、でもぉ」


「二人共静かに」


 言い合いを始めそうな二人に向かって、人差し指を口の前で立てて制止すると、男を注視した。


 男は湖岸まで近寄ると、急にその棒で湖面を叩き出した。


「何してる?」


 レグナが恐る恐るといった様子で声を出す。 


「分からない。……何かの、合図か?」


 湖に波紋が広がっていく。すると、湖の真ん中辺りで飛沫があがった。


「おい、何かいるぞ」


 誰かの息を呑む音が聞こえた。俺も釣られて息を呑む。


 湖面から現れた姿を見て、困惑する。


「あれは……なんだ……? 人、か?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る