第9話「同じ道」
カイコとミツバチに連れられて、森の奥へ進んで行くと、俺が前かがみでやっと通れそうなくらいの大きさしかない洞穴の前に案内された。
「ここ、住んでるの?」
レグナが聞くと、カイコが嬉しそうに答えた。
「そうだよ、中もちゃんとお家みたいにしてるの。ねぇ、ミツバチ。二人を中に入れてもいい?」
「ダメ」
「なんでよぉ、ばかー」
ミツバチはカイコの言った事を無視すると振り返りもせずに中に入っていき、間もなくショルダーバッグを持って出てきた。
「ほら、これだろ」
バッグを受け取り、中身を確認すると、煙草も銀貨も全て揃っていた。
「ありがとな、返してくれて」
ミツバチはふんと鼻を鳴らすとそっぽを向いた。
「ごめんねは?」
レグナが笑いながらミツバチの頬をつつく。ミツバチはそれを振り払うと、慌てて後ずさってつつかれた頬を押さえながら叫んだ。
「誰が言うもんか!」
すると、カイコが慌てた様子でミツバチの前に立ち、言った。
「ごっ、ごめんなさい、盗んで……。カイコがミツバチの分も謝るから……本当にごめんなさい……!!」
カイコが深々と頭を下げる。レグナはそんなカイコを見て耳をピンとさせると、尻尾を振って嬉しそうに言った。
「いいよー」
それを見てミツバチは顔をしかめて何か言いたそうにしていた。どうするのだろうと見ていると、急にこちらを睨む。悔しそうにしたり、困ったような顔をしたり、表情をころころ変えたあげく、ミツバチは俯いて小さな声で言った。
「わっ、悪、かった……」
「……うん。いいよ」
俺がそう答えるとレグナはミツバチの顔を覗き込んでまた尻尾を振っていた。
「近寄るなよ!!」
ミツバチはレグナから逃げると、俺の後ろの方に立った。振り返って見ていると「なんだよ!」と怒鳴られた。前を向き直し、カイコの方を見る。
「よし、じゃあ二つ目の約束だな」
あぐらをかいて座って、そう声をかけるとカイコは嬉しそうに寄ってきて目の前にちょこんと体育座りした。レグナもそのすぐ横に座ると、俺の後ろを覗き込んで手招きした。すると、ミツバチは何も言わずにカイコの横に座った。
「それじゃあ先に、カイコの話をしようか」
俺は地面に簡単な絵を描きながら、蚕蛾について知っている限りの事を話した。飼ってたっていっても専門家ってわけじゃないから、見た目はどんなだとか、大きさはとか、仕草はとか、そんな普通の話だったが、二人共、ついでにレグナも面白そうに聞いてくれた。
「いいなぁ、見てみたいなぁ、どうやったら触れるの? もうどこにもいないの?」
「……どうだろうなぁ。俺が見たことあるやつはいないかもしれないけど、似ている虫ならいるかもな」
「そっかぁ、そっかぁ……」
カイコは少し悲しそうに目を伏せると、そのまま考え込んでしまった。
この世界の生き物は前の世界にはいないような生物も多いが、同じ姿の生物もいる。蚕蛾や蜜蜂だっていないとも限らない。
「じゃあミツバチはどんなの?」
ミツバチの言葉に頷いて、俺は答えた。
「ミツバチは指の先くらいの大きさで小さいけど、お腹に黄と黒の縞模様があって、全体的に丸っこい感じかな。こんなの」
再び地面に絵を描きながら説明する。
「花の蜜を集めんでしょ? なんで? 食べんの?」
「なんで花の蜜なのかは俺も知らないけど……食べるためなのは間違いないよ」
それから、大きな巣の中で何万匹も集まって暮らしていることや、女王バチのこと、ほとんどメスしかいないこと、人間との関係などを話すと、けっこう前のめりで話を聞いてくれていた。特に毒針を持っている事に一番驚いていた。だが一度刺すと返しがあるため抜けにくく、大抵は抜く事ができずに内臓ごと千切れて死んでしまうと話したら、ミツバチは思ったよりもショックを受けていた。
「かわいそうだ……」
と、呆然とした顔で呟いたのがとても意外だった。
話し終わると、カイコとミツバチは楽しそうに話をしていた。それを微笑ましく見ていると、レグナが俺の肩を指でつついた。
「セト、これからどうする?」
「うーん……」
恨まれるのを覚悟で、話し終わってから再び捕まえて売るつもりだったが、印象としてはこの二人は悪い子達ではない。だが盗みをやめろと言っても、食べるものがなくなれば、また盗みをするようになる。この子達の自由を奪わない上で、解決できないだろうか。
「……お前ら、この近辺で盗みをしているらしいな。なんでウード村の人に食糧を分けてもらえるように頼まないんだ? 村の仕事を手伝いでもすれば少しぐらい分けてもらえるだろ」
マイスさんは俺と話した時は見捨てるような言い方をしていたが、こんな小さい子供が頼ってきて、放っておくとも思えない。現に母親には仕事の対価として食糧を分けてやっていた。多くはなくとも何かしら援助をしてくれるはずだ。
「なんであんな村の奴らにお願いしなきゃなんないんだよ! 母さんを殺した奴らなのに!」
ミツバチの言葉を聞いて、頭の中に疑問符が浮かび上がり、少し思考が止まった。
「……いや、母さんを殺したってどういう事だ? 突然いなくなったんだろ?」
「そんなわけない! 母さんが俺らを置いていくはずがないだろ! あいつらが殺したんだ!」
「お、お父さんの具合が悪くなった時、お母さん……薬を買うのにお金がいるから、村でいっぱい仕事しなきゃって言ってた。……それから朝まで帰ってこない日も多くなった」
村で聞いた話と食い違っているのはどういう事だろう。
カイコがポロポロと泣き出すと、レグナが慌てた様子でそばにいき、背中をさすって慰めていた。ミツバチは怒りが収まらない様子で歯を食いしばっている。
「傷だらけで帰ってくる日もあったし、母さんはいつも疲れてた。だから俺とカイコで仕事手伝うって言ったんだけど、だめだって言うんだ」
「……お父さんは何か言ってたか?」
「父さんは、薬はいらない、子供のことを考えろって言ってた。でも母さんは謝ってばっかだった」
それを聞いて自分がその立場だったらと思うと胸が痛い。父親は自分の死期を悟っていたのかもしれない。だが母親は父親を見捨てることができなかったのだろう。
「村には来たらだめだって言われてたけど、母さんが帰ってこなくなって二日経った頃、二人で村に行ったんだ」
「そしたら村には来てないって言うの。居場所も知らないって……」
ウード村の人達は母親からサンドラに仕事をしに行っていることを口止めされていたのだろうか。サンドラまで急げば半日もかからないとはいえ、心配させると思ったのか……。とにかく、まだ知らない方が良いこともあるだろう。
「俺はマイスさんから、君らの母親は違う町に働きに行ってたと聞いたよ。そこから帰ってこなくなったと……」
「そんなのは嘘だ。殺したんだよ」
そうミツバチが言うと、カイコは俯いてしまった。
マイスさんが嘘を言うようにも思えない、と思うのは、俺がこの件について部外者で、マイスさんから親切にしてもらったせいもあるだろうな。
「……殺したって証拠はないんだろ?」
「じゃあ殺してないって証拠はあるのかよ!」
「それは……」
それを言われると言い返せない。
「復讐するんだ。あいつらに」
「……盗みも復讐も良くないことだと思うよ」
「お前に関係ないだろ!」
それはそうなのだが、事実を確かめようがない以上、そう言う他なかった。
それにしても、誰かを説得するってこんなに難しいのか。
「でも……お父さんもお母さんも言ってたよ……。人の物を盗むのは商人失格だって……」
カイコが小さな声で言う。
「いっ、いいんだよ!! それも復讐なんだから!!」
そう言ったミツバチの表情は、少なくとも自分が完璧に正しいと信じている表情ではないように思えた。そもそも、村人じゃない俺らからも盗みをしている。
「そんなことしたってお前の父さんも母さんも喜ばないんじゃないか?」
言葉が見つからなくて、ドラマや映画で聞いたようなセリフをまるで自分の考えかのように言ってはみたものの、二人の両親を盾に威圧しているみたいでしっくりこない。
ミツバチはそれを聞くなり泣き出してしまった。だがすぐに溢れてきた涙を拭うと、鼻を啜って叫ぶ。
「なんで母さんを殺された俺らがやり返すのはダメなんだよ!? 先に手を出したのはあいつらなのに、なんで俺らが我慢なんか……!!」
俺はすっかりミツバチの言葉にうろたえてしまった。ミツバチを納得させられるような言葉が思いつかなかったからだ。
「お前に何の権利があって、俺らの復讐をとめるんだよ!」
「それは……」
「そもそも、あの村の連中が犯人じゃないなら、じゃあ、誰なんだよ!?」
はっきりと分かる事がない。だから仮定で話すしかないが、帰って来なくなったのがサンドラに行ってからだとすれば、犯人の目星はつく。
「お前の母さんに何かしたとしたら、統一連合の奴らじゃないか」
「……統一連合? バンカトラの?」
「そうだ。さっきも言ったろ、違う町に働きに行ってたって。村長から聞いたんだ」
「だから、そんなの嘘かもしれないだろ」
「本当かもしれないだろ……! もしこれが本当なら、村の奴らに復讐するのは間違ってる」
ミツバチが不服そうに俺を睨む。そこで、俺はさらに言った。もはや言いくるめに近くはなるが、これ以上、子供の喧嘩のような言い合いはしたくない。
「それにそうだとしたら生きてるかもしれない」
ミツバチは僅かにうろたえたあと、口を閉じた。
「バンカトラは奴隷大国だ。し……死体が見つかったわけじゃないんだし、捕まっているだけかもしれないだろ」
黙って話を聞く姿を見て、もう一押しだと思い、続けた。
「でも、バンカトラ統一連合は、この大陸で一番大きな勢力だ。とてもじゃないが、お前らみたいな子供に勝ち目のある相手じゃない……だからここで」
「ねぇ、ミツバチとカイコもセトと一緒に行こう?」
突然、話の最中に割り込んできたレグナに驚きながら、そちらを見ると、カイコの隣にしゃがんで、こう続けた。
「私達、もう行く。住む場所を探してるから。二人も一緒に来て、お母さんのこと、探す?」
カイコはそれを聞くと嬉しそうにレグナを見た。ミツバチは呆然としている。
「一緒に行っていいの?」
カイコがそう言ったのを聞いて、俺は慌ててレグナの腕を引っ張って、二人から距離を取り、小声で言った
「レグナ、急に何を言うんだよ。大体、俺にはあいつらを守ってやれる自信なんかないよ」
この二人を連れていくということは、俺とレグナが保護者になるということだ。自分たちのことで精一杯なのに、こんな子供の世話なんてできるわけがない。
「自分たちの食糧も困ってるのに……っ」
「食べ物、任せて。みんなの分、探す」
「いや、でもっ、俺らは逃亡奴隷なんだぞ、危ない目に遭うかも……」
「外、全部危ない。私達といてもいなくても、誰かに捕まったり、襲われる」
レグナは俺をなだめるようにゆっくりと言った。
「同じ道、歩こうって言ってるだけ」
「同じ、道?」
「みんなで助ければいいと思う。できないことは仕方ない。私達、みんな、弱い」
「ほ、本気か……?」
「うん。……ダメ?」
レグナの問いに、俺は思わず二人の方を見た。不安そうにこちらを見ている、小さな、本当に小さな、小さすぎる二人を見て、何も感じないかと言えば嘘になる。できるものなら何とかしてやりたい。でもこんな状態で小さな子供を連れて旅をするなんて。
「無責任……じゃないか……?」
「んー……どれでも同じ。置いていくも売るも、連れていくも。なら連れていくもいい」
「いや……でもさ」
「きっと楽しいよ」
「楽しい……」
レグナの言葉を聞いて、小さな笑いがこぼれた。すっかり俺の旅の目的を忘れていたからだ。
「……そうだったな。確かに、そっちの方が面白そう、かもな」
グダグダ悩んでいたって仕方がないな。どっちにしろ俺は選ばなきゃいけない。こいつらを野放しにするか、売るのか、はたまた連れていくのか。
売るのが最善で、連れていくなんて選択肢は考えてもいなかったが、なるほど、考えれば考えるほどそれ以外ないように思えてくる。
野放しにすれば、マイスさんに迷惑がかかり、売り飛ばせばこいつらから恨みを買う。どちらにせよ俺の心にわだかまりが残っていただろう。もちろんレグナにも。
「行くか? 二人共。一緒に」
「一緒に行く!」
カイコが嬉しそうに跳ねる。
「俺は行かないぞ!」
ミツバチが悲鳴のような声で言う。
「行くったら行くの!」
ミツバチはそれを聞くと腹立たしそうに頭を掻きむしった。それを見ながら、カイコがため息をつく。
「ねぇ行こうよ。ミツバチだって分かってるんでしょ? いつまでもここにいられないって」
「……でも……父さんの墓が……」
「どこにいてもお祈りは届くよ。ねぇ行こう?」
うろたえはじめたミツバチを見て、押し通せると思ってか、カイコは畳み掛けるようにミツバチに詰め寄った。
「お父さんいつも言ってたよ。古いものに囚われるなって。カイコはもう新しいことがしたいの! ミツバチが行かなくてもカイコは行っちゃうもん。そしたら一人だよ、いいの?」
それを聞いてミツバチの顔がみるみる青ざめた。そして、肩をがっくりと落とすと、観念したように言った。
「わっ、分かった、行くよ……行けばいいんだろ……!」
「決まりね! じゃっ、準備しよ!」
カイコが、ふてくされた様子のミツバチの腕を引いて、洞穴の中に入っていく。それを見て、まだ言わなきゃいけないことがあるのを思い出した。
「そうだ、カイコ、ミツバチ!」
声をかけるとカイコがこちらを振り向く。ミツバチは肩越しに睨むように見ていた。
「一応言っておくけどな、身の危険を感じたら俺らを見捨てろよ。いいな?」
いくら面白そうだからと、二人の命を軽々しく扱うわけにはいかない。
「見捨てていいの?」
カイコが不思議そうに言う。
「ああ。命は大事にするもんだ。レグナもいいか?」
「いいよー」
レグナがにっこり笑う。
カイコとミツバチは顔を見合わせたあと、同時にこちらを見て。
「分かった」
と同時に答えた。
二人が準備をする間、俺とレグナは特に会話をするでもなく隣り合わせに座ったまま、お互い洞穴をじっと見つめていた。
「セト」
呟くように名前を呼ばれて、横目でレグナを見ると、真っ直ぐ前を見つめていた。なんだかスッキリした顔をしている。
「どうした?」
俺も前を見て、返事をする。
「ありがと」
「……なんだよ、急に」
思わずレグナを見ると、レグナは両膝を抱えて頭を傾け、俺をじっと見た。その仕草に少しドキッとして俯くと、レグナは小さく笑い声をあげる。でもレグナの気持ちは分からないでもない。俺もお礼を言いたい、そんな気分だった。
「俺も、その、ありがとう……」
しんと辺りが静まる。沈黙に耐えきれなくなって、恐る恐るレグナの方を見ると、レグナはにっこり笑って俺の頬をペチペチ触った。急に触れられてすっかり慌てた俺は、恥ずかしさと気まずさに、思い切り立ち上がって伸びをしながら前に歩きだしていた。背中に痛いほど視線を感じて居たたまれなくなり、それをごまかそうと肩越しに振り返ってレグナの様子をうかがいつつ声を出す。
「でっ、でもさ、レグナ。どうして突然あんなことを……」
レグナは不思議そうに俺を見ていた。何にも思っていなさそうに見える。……そうだよ、俺は子供相手に何を動揺しているのだろう。落ち着け落ち着け。
深呼吸をして体もレグナの方に向ける。すると、レグナはため息をつき、言った。
「……二人、話すの早い。だから話、分からなかったの。暇だし、長いって思って」
「え、あー……そういう……」
確かにあの時は俺もミツバチも感情的になっていたから、かなり早口でまくしたてていた。リトナ語に慣れていないレグナには聞き取りにくかったのだろう。
「いや、だからって、俺らの話ぶった切るか?」
「ごめんね」
レグナは肩を竦めて悪戯っぽく笑うと、尻尾をゆるゆると振った。
それを見たら、何ていうか……ちょっとだけ、顔が熱い。
いや、落ち着け落ち着け。
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