第8話「カイコとミツバチ」
朝、夜明け前に起きた俺はまだ眠そうなレグナを起こし、軽く身支度をするとマイスさんから貰ったロープを邪魔にならないように首から斜めがけして、墓の方へ向かった。
「まだ……暗い……のに……」
あまりに寝ぼけた声でレグナが言うので少し笑ってしまった。
「大丈夫か? 何するか分かってる?」
「木の中、隠れる」
「うん、それで、ニットラーの子が来たら捕まえるんだぞ」
「分かった」
道中、レグナは眠そうに何度もあくびをして目を擦っていた。そういえば昨日はレグナの方が寝るのが遅かったか。寝る前にアイさんと何か話しているようだったから、あまり寝ていないのかもしれない。
目的地につくと、レグナが辺りを見渡しながら耳を動かし、周りの音を探ってくれた。
「何か聞こえる?」
朝露でびちゃびちゃになってしまった服の裾を絞りながら、レグナに聞くと首を横に振った。
「気になる音はないよ」
「じゃあ、レグナはそこの木の中に。俺もすぐそこの木の影にいるから」
「はーい」
レグナは昨日と同じように木の中に身を押し込んだ。俺はそれを上から覗き込んで声をかけた。
「ニットラーの子が近くに来たら名前を呼ぶから」
「うん」
レグナは俺を見上げると少し不安そうな顔をしていた。
「俺が名前を呼ぶまでは何があっても隠れてて。危なさそうなら呼ばないから」
「……うん」
子供相手だから危ない目には遭わないとは思うが、万が一という事もありえる。武器を持っていないとも限らない。その時はなるべく俺だけで対応したい。
「気をつけろよ」
俺がそう言うと、レグナが小さく手を振った。それに手を振り返してすぐ近くの木陰へ向かい、シダのような草が群生している所に潜り込む。
木を背にして座って、後ろを振り返ると墓の様子が確認できる。レグナのいる木の方も注視したが、中に誰かがいるようには見えないし、バレる事はないだろう。あとは来るのを待つだけだ。
前を向き直し、葉の隙間から空を見ると、もう、少し明るくなってきていた。大きく深呼吸する。早朝の空気は独特で好きだ。研ぎ澄まされたような空気を吸うと身が引き締まる。
それから日の動きを見るに1時間近くは経っただろうか。早朝と言っていたのでそろそろ来ないとおかしい。音を立てないように静かに振り返って、墓の方をじっと見つめた。だが人影はない。一体いつ来るのだろう。
ため息をついて、また葉の隙間から空を見た。……もしかしたら今日は来ないのかも。そう思い始めていたその時、話し声が聞こえてきた。体が緊張で一気に強張る。そっと墓の方を見ると、小さな二人組が墓のそばにしゃがみこんで、話をしていた。
「今日暖かいね」
「このまま暖かくなればいいな」
間違いない。俺のバッグを盗んだ二人だ。かなり小さい体、細く長い手足。間違いない。ニットラーの女の子と男の子だ。盗まれた時はあまりちゃんと見る事ができなかったが、どちらも黒髪で女の子の方は腰まで長い髪をしていた。お供えするのか、どちらも花を1本ずつ持っている。
様子を見ていると二人は墓の周りを掃除し始めた。
大丈夫。俺もレグナもバレていない。俺がここからレグナの名前を呼べば、あっちは俺のいる方を見る。レグナが飛び出したタイミングで俺も飛び出せば、二人は少なからず混乱するはず。そのスキをついて捕まえるだけだ。難しい事じゃない。
狙うのは花を供えて、お祈りを始めたタイミングだ。それなら二人共、木のそばに来るだろうし、何より目を瞑れば反応が遅れるはずだ。
俺はタイミングを逃すまいと、目を見開いて二人を見張った。やがて二人は、墓の前に来るとその場で並んでしゃがんだ。二人は花を添えると、両指を組んで頭を下げ、目を閉じた。
「レグナ!!」
名前を呼ぶと二人が驚いた様子でこちらを向く。よし、レグナが飛び出して……こないな!? なんでだ!?
ニットラーの子供を混乱させる前に俺が混乱してしまい、判断が遅れた。俺がもたもたしている間にニットラーの二人は森の奥へ走り出す。それを見て、やっと木陰から飛び出した。
「くっそ……!」
おかしい。俺さっき、名前を呼んだら出てこいって言ったよな!?
レグナがいるはずの木のそばに駆け寄り、中を覗くとレグナは普通に寝ていた。昨日寝るの遅かったのに朝早かったもんな!!
「おいレグナ起きろ!! 追いかけるぞ!!」
起きたかどうか確認している時間はなかったので、声をかけてすぐに二人が逃げていった方へ走り出した。レグナはどうやらすぐに目を覚ましたようで、後ろから「ごめんー!」と声が聞こえたが答えている余裕がなかった。
辺りを見渡すと、まだ辛うじて姿が見える位置にいた。すぐに草を掻き分けながら後を追う。だがあの小ささではすぐに見失ってしまうだろう。どうする。どうやって捕まえたら……。
「お、おい、お前ら!! ちょっと止まれ!! 俺も止まるから!! ちょっとでいいから俺の話を聞いてくれ!!」
俺は一か八か足を止めた。二人はこちらを振り返ると、ためらいもなくそのまま走り続けた。
「そうだよな、止まるわけないよな!!」
馬鹿なことを言ってしまって恥ずかしい。俺は再び走り出して、でも走っているから全然頭が回らなくて、もう諦めようかな、などと考えていると、突然、前方から悲鳴が聞こえた。何事かと思う間に、大きなシーラゥが草の中から姿を表して森の奥へと駆けていった。驚いて一瞬足が止まったが、すぐに気を取り直して前へ進むと、女の子が座り込んでいるのが見えた。それをもう一人が立ち上がらせようとしている。今だ、と思い、滑り込むようにして近付き、女の子の体を掴む。
耳元で鼓膜が破れるんじゃないかというくらい大きな悲鳴をあげられて、かなり怯んだが辛うじて手は離さなかった。
「何すんだよ!! 離せバカ!!」
男の子が叫びながら俺の体を叩く。女の子は俺に掴まれて大暴れしていた。
「おいコラ! ちょっと……! やめろって!!」
片手で女の子を抱えると、もう片方で男の子を押さえつけた。だが、どちらもかなり暴れるので少しでも油断したら手を離してしまいそうだ。
「レグナ!! いるか!?」
一人じゃ厳しい。そう思って叫ぶとどこかで返事が聞こえた。耳の良いレグナならすぐ見つけてくれるだろう。
「セト!」
「こっちだこっち!!」
レグナが驚いた顔でこちらに来る。
「捕まえたの!? 凄い!!」
「女の子の方預かってくれ!」
レグナが女の子を背中側から抱き上げ、しっかりと体を固定する。
「離してよぉ!!」
女の子が泣き叫ぶ。男の子はこの細い手足と小さい体のどこにそんな力があるんだと思わずにはいられない程の勢いで腕も足も振り回して俺を攻撃しようとしている。手荒な真似はしたくないがあんまり暴れられるとしなくてもいい怪我をさせてしまいそうで怖いので、男の子を地面にうつ伏せにして、膝で押さえつけたあと、後ろ手にロープでしばった。
「くそ!! 離せってば!! このマヌケ野郎!!」
男の子が俺を上目に睨んで叫ぶ。
「わ、分かったから、ちょっと落ち着けよ」
女の子の方は疲れ切った様子で、レグナの腕の中で悲しそうに泣いていた。もう暴れていなかったので、そのままにしておく。
「……よし」
男の子を抱きかかえて立ち上がると、女の子が鼻水を垂らしながら、目に涙をいっぱいに溜めて悲しそうに呟く。
「殺さないでぇ……」
まあ、そうだよな。大人にこんな風に捕まったらそう思っても無理はない。
「殺さないから。大丈夫だって」
そう伝えたが、あまり効果はなく、その子は鼻をすすりながら大粒の涙を地面にポタポタ落としていた。
「でも、どうする?」
レグナが不安そうに俺を見る。
「……とりあえず……お前ら名前は?」
まずは少し距離を縮めようと思い、男の子の方を見て聞くと、そっぽを向いて無視を決め込んでいるようだった。
「……名前は?」
気を取り直して、女の子の方に、なるべく怖がらせないように慎重に声をかけた。子供の扱いに自信があるわけじゃないが、奴隷時代に奴隷として買われた子供と話す機会がかなりあったので、あまり苦手意識はない。大人と話す方がよっぽど疲れる。女の子は少し迷っていたようだったが答えてくれた。
「……カイコ」
「カイコ?」
名前を聞いて少し驚いてしまった。それが日本語の響きによく似ていたからだ。花子とか靖子とか、そんな響きに。
「変わった名前……だな。誰がつけてくれたんだ?」
俺が聞くと女の子は恐る恐るといった様子で、俺を見ながら小さな声を出した。
「自分で……」
「カイコ! それ以上喋るなよ!!」
男の子が怒鳴ると、女の子は再び泣き出してしまった。
「おい怒鳴るなよ。本当の名前もあるのか?」
「誰が教えるかよ」
「イジメないから、教えて?」
レグナが男の子の顔を覗き込む。するとその子は吐き捨てるように言った。
「嫌だね!!」
それを聞いて思わずため息がでた。カイコの方はともかく、この子は骨が折れそうだ。
「俺らから盗んだ物を返してくれないか?」
「い、や、だ!!」
「盗むの良くないよ?」
レグナが男の子の頭を撫でると、その子は必死に頭を振って振り払おうとしていた。
「触るな!」
男の子が叫ぶと、すっかり諦めた様子のカイコが呟く。
「ねー、ミツバチ……お金返そうよぉ」
「カイコ喋るなって言ったろ!!」
「……ミツバチ? それ名前か?」
今のは明らかに日本語だった。リトナ語じゃない。日本語ではっきりと『ミツバチ』と言った。驚きを隠せず、二人の顔を交互に見ながら俺は聞いた。
「自分で名前つけたって言ったな? どういう意味か知っててつけたのか?」
すると、もうすっかり泣き止んだ様子のカイコが答えてくれた。
「お父さんが昔、知り合いから聞いた話に出てくるの……」
「カイコ!! お前いい加減にしろよ!!」
「だってぇ……」
カイコとミツバチ。ミツバチはあの蜜蜂だろう。ならカイコは蚕蛾のことか? だとしたらその知り合いというのは日本語の知識を持った奴だという事だ。……それとも俺のような前世が日本人だった奴か……? 改めて考えてみれば、俺と同じような奴がいないとは限らないのか。死んだ時に『その他』を選んで前世の記憶を持ったまま異世界に転生した奴が俺以外にもいるかもしれない。
「カイコもミツバチも虫の名前だよな? ……お父さんは虫好きなのか?」
カイコが驚いた様子でミツバチを見る。俺も釣られてそちらを見ると、ミツバチは俺を見上げて聞いた。
「……あんた、どんな虫か知ってんの?」
「えっ」
思いもよらない反応に戸惑っていると、カイコが言った。
「知ってる?」
二人が俺をジッと見る。これはどういう質問なんだ?
「ミツバチは……小さくて空を飛びながら、花から蜜を集める虫で、カイコは羽があるのに飛べない虫だ。幼虫が作る繭を解いて、それから糸を作る……」
ガやハチに相当するリトナ語を俺は知らなかったのでそう説明した。そもそもその虫がこの世界に存在しているかどうかも分からないが。
「知ってる人に初めて会った」
と、ミツバチ。
「うん。ねぇ見たことある?」
と、カイコ。
「あるよ。どっちも。しかも蚕は俺が……子供の頃、飼ってたことがある。真っ白でふわふわの可愛い虫だよ」
俺の言葉を聞くなり、カイコは嬉しそうな声を出した。
「ふわふわ!? 虫なのに!? どんな形!?」
「なっ、なぁ、ミツバチは? どんなの?」
よほど興味があるらしいと感じて、交渉に使えると思い、ミツバチに言った。
「そうだ。俺らから盗んだ物を返してくれたら、どんな虫なのか全部話してやる。これでどうだ?」
カイコはそう聞くなり、甘えた声を出した。
「ミツバチ返そうよぉ、お話聞きたいよぉ」
「うっ……で、でも、逃してくれるわけじゃないんだぞ!」
カイコはともかく、ミツバチの方はなかなか頑固だ。でも、もうあと一押しな感じはある。
「分かった、じゃあ今すぐ自由にしてやるから、返してくれないか? それでちゃんと返してくれたら、その虫について教えてやるから。悪い話じゃないだろ?」
俺がそう言うと、二人はお互いに顔を見合わせた。カイコがミツバチの名を呼ぶと、ミツバチは大きくため息をついて、でも訝しげな声を出した。
「それが本当なら、まあ、返してやってもいい」
それを聞いて、俺はレグナを見た。
「レグナ、カイコを離してやれ」
「えっ、う、うん……」
俺の言葉を聞いて、レグナが戸惑いながらもカイコを地面に下ろした。すると、カイコが俺の足元に来てこちらを見上げて笑いながら言った。
「ありがとー」
「本当にお前ってやつは!」
ミツバチはカイコに向かってそう言うと、身を捩って言った。
「俺も下ろせよ!」
「分かってるって」
宣言通り、ロープを外してやって地面に下ろすと、ミツバチはふてくされたような顔をしながら、体の埃を払って腕を組み、俺をきつく睨んだ。
「そんな顔するなよ。……さあ、俺はちゃんと一つ目の約束を守ったぞ。今度はそっちの番。だろ?」
二人の目の前にしゃがんでそう伝えると、二人はそれぞれ全く真逆の表情をしていた。カイコはニッコリと笑い、ミツバチは眉間にシワを寄せて苦虫を噛み潰したような渋い顔をしていた。
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