第7話「肉の塊」

 俺達はその後、マイスさんに案内されて村の中を見て回った。と言っても、他の村人によそ者が村にいるって報告のついでにだが。


 村の中にいる犬に似た中型の生き物は「トルゥ」と言うらしい。警戒心が強く、見張りには最適なんだそうだ。黒や茶、白黒など毛色は様々だ。猟に連れて行っている7頭と幼獣7頭も入れてこの村に22頭いるらしい。


「餌は何をやってるんですか? 肉ですか?」


「こいつらはなんでも食うぞ。残飯や骨……ただ基本的には自分達で狩りをしてるな」


 トルゥは半野生らしく、寒い季節以外では特に餌をやったりはしていないそうだ。餌になる獲物の少ない時やトルゥの子供の世話をしてやる代わりに畑の見張りや狩猟の手伝いをしてもらっている、という事らしい。


 レグナは最初は怯えていた様子だったが、慣れると、かわいいかわいいと言いながらトルゥを触っていた。


 見て回った感じだと、ウード村は五家族程が集まっている程度の規模だった。全員親戚らしい。狩猟に行っているのは男性方で、村には女性と小さな子供がいるだけだった。いずれ子供達が大きくなるにつれて少しずつ土地を開拓し、畑を大きくしていかなければ、とマイスさんが言っていた。


 それから俺はレグナと一緒に父親の墓があるという場所の下見に行った。


 大きな木が多く枝葉が伸びている森の中は薄暗い。それにフキのように大きな葉の草や背の高いシダのような草が生い茂っており、道があるわけではなかったので、進むのにかなり苦労した。だが、マイスさんに言われた通りに村から真っ直ぐ北へ進むと、少しだけ開けた場所があった。上を見るとそこだけ切り取られたようにポッカリと穴が空いており、日が差し込んできている。さらにその中央には、縦に大きく裂けて、真ん中辺りから折れてしまっている大木があった。


「これ、雷で?」


 レグナが上を見て首を傾げる。大木は真っ黒に焦げていて、もう死んでしまっているようだ。葉は元より枝もほとんどついていない。


「多分、そうじゃないかな」


 その木の根本を見てみると、不自然に土が盛ってあった。上には小石が円状に並べられていて、その中央には文字が書かれた大きめの石と、少し萎れた花、木の実が置いてある。恐らくこれがあの二人の父親の眠っている場所だろう。


 レグナは何も言わずに墓の前にしゃがむと、円状に並んでいる石をゆっくり指でなぞった。


「小さい墓だな……」


 風が吹いたらなくなってしまいそうな墓だった。でも周りの雑草はきれいにむしってあったし、墓周りはとても整然としていた。小石や枝、枯れ葉などもちゃんと取り除かれて、一箇所にまとめられていた。そこにはまだ少し水気のある花や枯れた花も置いてある。


 それを見て、きっと父親の事が大好きだったのだろうと思った。子供が毎日ここまでするのだから、きっとそうだ。


 だって俺は……、前世の俺は、墓参りなんか面倒だとしか思ってなかった。死というものについて漠然としたイメージしかなくて、話した事があるばあちゃんの墓参りですら不毛だと思っていた。


 なのに、今はこの小さな墓を見て心が揺さぶられている。自分が死ぬのを体験して、俺の周りの色んな奴が簡単に死んでいくのを見て、ここでこうして手作りの墓を見て思う。前世の俺は誰かにこんな風にしてもらえただろうか。例えば俺の前の両親はしてくれただろうか。


 考えれば考えるほど、自信がなくなっていく。ただ一つだけ自信があるのは、もしも俺に両親がいなかったとしたら、誰にもこんな風にはしてもらえなかっただろうということだ。


 なら、今の俺はどうだ。死んだら、誰かにこんな風にしてもらえるだろうか。


 思わずレグナを見る。俺の視線に気づくと、不思議そうにこちらをジッと見て、微笑んだ。


「セト? なに?」


 レグナなら、この心の優しい子なら、きっとしてくれるだろう。……例えそれが俺じゃなくても。


「……待ち伏せできる場所を探そうか」


 レグナは立ち上がると俺の横に来て、辺りを見渡した。俺も同じように辺りを見渡す。


「どこなら……」


 待ち伏せするにも、ニットラーの子供が来ない所で待ち伏せしないと見つかってしまうので、何か手がかりはないかとレグナと共に辺りを調べた。すると、苔がめくれ、草が踏まれ、道のようになっている箇所が五つあった。


「普段使っている道だろうか」


「村のある方、ない。そこに隠れる?」


「……そうだな。その辺りに隠れようか」


 生い茂っている草木のおかげで身を隠せそうな所はたくさんある。少し探せば、墓の様子を確認できて、かつ遠すぎず近すぎない場所を見つける事ができた。


「そこと……あともう一箇所どこかないか。挟みうちにしたいんだ」


 そう思ったが、道と道の間隔はそれほど離れておらず、明日使わなそうな道を予想して、そこに隠れるしかなさそうだった。正直そんな運任せな事をするくらいなら、挟みうちを諦めた方がいいように思う。


「ちょっと無理そうだな」


「セト、ここは?」


 レグナはいつの間にか落雷で折れた木のそばにいた。


「……その木?」


「中、穴開いてる。入れるかも」


 レグナの言葉を聞いてその木に近づいてみると、確かに中は空洞になっていて身を隠せそうだった。俺のサイズでは明らかに無理だが。


「レグナなら入れるかもな」


「やってみる」


 レグナは木に乗って、片足ずつ穴の中に入れた。すると、少し尻尾がつっかえてはいたが、思っていたよりもすんなりと穴の中に体を入れる事が出来ていた。


「すぐに出られそうか?」


「うん」


 レグナは勢いよく穴から頭を出すと、穴の縁に足をかけてひょいと外に飛び出してきた。


「私、ここに隠れる」


「なら、俺が気を引いて、レグナが捕まえる感じになりそうだな」


 それから俺らはもう一度墓を見て、村に戻った。レグナはアイさんと一緒に家事をしたり、食事の準備を手伝っていた。俺は水汲みを手伝ったり、薪を割ったりした。


 夕方になる少し手前頃、家の隅に並べられた木箱の上に座り、アイさんからいただいたルカの実をレグナと共に食べていると、マイスさんが狩りに行っていた他の村人が帰ってきたと教えてくれた。挨拶しようとマイスさんと共に外に出る。


「あれは俺の息子だ」


 マイスさんが指さした男性は30代ぐらいのライトブラウンの髪をした肩幅のガッチリした体格のいい人だった。


 身長は……結構あるな。190センチぐらいかな。


 男性は俺たちを見て少し驚いていたがすぐに笑顔を浮かべた。


「えーと……君達は?」


「あ……」


 俺が答えようとすると、マイスさんが先に声を出した。


「例のニットラーに荷物を盗まれたそうでな。食糧がないと言うから一晩だけ泊めてやることにしたんだ」


「へぇ、そりゃあ災難だったな。まあ、大してもてなしてやれないけど、くつろいでいきなよ」


「助かります、本当に……」


「俺はミースだ」


 右手を差し出されたので、握り返す。


「俺はセトです。こっちはレグナ」


 レグナは耳を少し伏せ、恐る恐るといった感じで右手をミースさんに差し出した。レグナの体半分くらいの身長差があるから無理もない。


「よ、よろしく」


「ああ、よろしく」


 ミースさんはレグナと握手をしたあと、俺とレグナの背中を押して、仲間の元に連れて行った。ミースさんよりかは俺らを怪しんでいる様子だったが、マイスさんが間に入って事情を説明すると意外にもすんなりと受け入れてもらう事が出来た。


 その後、三本角のシカのような動物「シーラゥ」の解体を見せてもらう事になった。血抜きはされており、内臓を出すところからだったが、正直少し気持ち悪かった。ミースさんがナイフの切っ先をシーラゥの皮膚にそっとあてて、胸から股の方までナイフを滑らせるように切り開いていく。


 その作業に顔をしかめていると、いつの間にかトルゥの群れが周りに出来ていた。嬉しそうに飛び回って落ち着きなくシーラゥの周りを歩き回っている。


 ミースさんは肋骨の中央辺りにある板のような骨を外すと内臓を引っ張り出した。それぞれどこのなんの部位かは分からないが、ミースさんは取り出した内臓をトルゥに分けてやっていた。


 ちょっと直視するのが辛くて薄目で見ていると、レグナに「眠いの?」と笑われてしまった。


「見た事ないんだ、こういうの」


 俺の言葉にミースさんが振り返る。


「一回もないのか?」


「……えっと、そうですね」


「じゃあ、びっくりしただろ」


 ミースさんはそう言って笑った。


 俺はミースさんが桶に入った水でシーラゥの体の中を洗うのを眺めたあと、レグナを見たら特に取り乱すでもなく尻尾をゆらゆらと揺らしているので聞いた。


「レグナは……なんか平気そうだな?」

  

「うん。私もあれできる。ラコは狩りが得意だから」


 そう言って腰に手をあてて得意げに胸を張った。血の臭いで少々参っていたが、それを見たら僅かに気が紛れた。


「やっぱり何回もやってると慣れるもんか?」


「……そうだね。でも殺す時、ごめんねって思う。ありがとうもするけど」


 虫ぐらいしか意識して殺した事がない俺には、それがどんな事なのか上手く想像できない。ネズミですら殺せる自信がない。


「これから皮を剥がすけど、セト君、やってみるかい?」


「えっ……俺がですか? い、いや……」


 ミースさんは木の杭でできた道具にロープを引っ掛けて首を括ったシーラゥを吊るした。


 胸から股までぱっくりと開かれ空っぽの中を見て息を呑んだ。


「やめとくか?」


 血の臭い。シーラゥの真っ黒いクリクリとした瞳が赤らんだ空をじっと見つめている。


 スーパーの肉の塊を見ても何か感じた事などない。同じ生き物の死骸を見ているはずなのに、この胸を締め付けているような息苦しい気持ちはなんなんだろう。


 生きていく上で必ず何かの命を犠牲にしているという事を、今更知らされたような気分だった。前の世界ではその辺りが上手いこと隠されていたように思う。だからあえて見ないようにしていた。それでも生きていけた。


「……やって、みます」


 でも、今の世界は違う。ここは、隠してくれない。当たり前みたいに目の前にある。だからしっかり向き合わなければ生きていけない。そう思ったら他人任せにするのではなく、きちんと自分の手を汚して、命に大して誠意ある行動をしたいと思った。このシーラゥは俺がトドメをさしたわけじゃないけど、それでもこうやって関わっていくのは無駄じゃないはずだ。これは、前世の俺がしなかった事だ。


「簡単だからさ。まずはぐるっと首に切れ目を入れて……」


「頑張れー」


 レグナが後ろから呑気な声で応援してくる。


 肉と皮を分離させるのは思ったよりも力のいる作業だった。首と足に切れ目を入れたあと、そこからタイツを脱がせるみたいに下方へ皮を引っ張っていくのだが、意外に厚みと弾力のある皮の感触が妙に生々しくて(生き物の死骸の前で生々しいも何もないけど)なかなか上手く力を入れられなかった。それに俺はきっと随分酷い顔で作業をしていたんだと思う。レグナやミースさんに途中で何度も「大丈夫?」と心配された。それでもしだいに慣れてきて皮を剥ぎ終わった時にはかなり達成感があった。


 息をつき、もう一度シーラゥを眺める。ここまで来るとかなり肉という感じがしてくる。頭がついているので完全にではないが。


 ミースさんは俺の背中を軽く叩くと、ナイフで肉を切り分けていった。


 なんだかどっと疲れた。


 その後、村の人らと肉を分配して、俺らはマイスさんの家に戻った。


 中ではアイさんが食事の準備をしており、肉を渡すとそれを一口大に切り分け、鍋の中に突っ込む。


「手伝う?」


 レグナが軽く尻尾を振りながらアイさんのそばに駆け寄る。アイさんがレグナに指示を出したのを見て、俺も何かしなければと思った。


「俺も何かお手伝いできることありますか?」


 俺が声をかけると、アイさんはゆっくりとこちらを振り向いて微笑んだ。


「この子が手伝ってくれるから平気よ、座っていて」


「うん、座ってていいよ」


 レグナが笑って木箱を指さす。


 俺はマイスさんに言われて木箱二つをテーブルに引っ張ってくると、そこに座って二人が料理をするのを見つめていた。すると斜め横に座っていたミースさんに肩を叩かれた。


「明日、あの例の二人をとっ捕まえるんだって?」


「あ、はい……」


「捕まってくれると助かるよ。これ以上食糧やら道具やら盗まれちゃ困る。なあ、父さん」


「そうだな」


 向かいに座ったマイスさんはそう呟くと、葉巻のようなものに火をつけてくわえた。


 マイスさんやミースさんに、この辺りの事を聞きながら食事ができるのを待っていると、レグナが小走りでやってきてテーブルの中央に大きな皿を置いた。中にはスライスされた黒パンが入っている。


 その後、スープの入ったボウルが人数分運ばれてきた。中にはさっきのシーラゥの肉と、ジャガイモのような野菜と、葉物の野菜が入っている。肉が入っているというだけで、凄く贅沢な気分だった。


「さあ、食べよう」


 マイスさんが言うと、アイさんがマイスさんの横に座り、レグナは俺の横に座った。


 お祈りはレグナと同じ型で首元に右手を添えるものだった。それを見て、ふとウィララ様の事を思い出した俺は、マイス家の皆さんの首元を盗み見た。すると、やはり同じような首飾りをしている。


 この世界の宗教に関して知識が少ないから下手に質問をしてボロがでるのも嫌だったので、俺は一応周りに合わせた。お祈りの言葉は知らないから言っているフリだったが。


 木製のスプーンを掴んでスープを一口啜る。


「あ、うまい……」


 少し油っぽくて、とろりとしている。温かさが体に染み渡ってほっとする。


 今度は肉と共にスープを掬う。久しぶりに食べる肉を前になぜか緊張した。スープと共に口に入れ、噛み締める。少し硬いが噛むたびに肉汁が滲み出てくる。肉の味は遠くに獣臭さがあるが、羊肉が食べられるのなら気にならない程度で、甘みがあり、馬肉にも近いような気がする。


 肉を入れるだけでこんなに味に深みが出るんだな。


 スライスされたパンを右手に取り、スープに浸しながら口に入れる。


 夢中でそれらを食べていると、ミースさんが笑いながら言った。


「うまいかい?」


「はい、おいしいです」


「おいしー」


 レグナが恍惚とした表情で切なげにため息をつく。


 食べ終わって、俺と同じく満足そうなレグナを見て、明日も頑張ろうと思えた。これから先に不安がないわけじゃないが、ここ数日で自分が変わっていっている自覚があるのは少し楽しい。決して劇的な変化じゃないが、それでも俺にとってこれは新鮮な出来事だ。

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