第6話「ウード村」

 朝、水袋に水を満杯に入れて、火打ち石を懐にしまうと俺はレグナと共に身支度を済ませて、川下を目指して川沿いを歩いた。


 しばらく歩いていると、木々の隙間から家らしきものが見えた。思わずレグナと顔を見合わせて、慌てて様子を見に行く。


 レグナは耳や顔をキョロキョロさせながら、辺りの様子を窺っていた。俺も耳を澄まし、目を凝らす。


 土壁でできたしっかりした家が多く、大きな畑もある。犬のようなキツネのような中型の獣が何頭か村の中を歩き回っていた。こちらに気づいて警戒しているのかジッとこちらを見つめたまま動かない。


「奴らのシンボルが見えないし、多分もうバンカトラ領内ではないだろうけど……入って平気だと思うか?」


「……どうだろう。人の声、するけど……」


 俺はレグナの壊れた足枷をズボンの裾の中に隠すように言うと、先に草影から出た。後からレグナもついて来る。すると獣達が一斉に吠え始めた。辺りに緊張が走る。


「まずいかな」


 そう言ってレグナを見ると、レグナは耳を伏せて、俺の背後に隠れた。そして俺の背中をグイグイ押してくる。


「たっ、盾にするなよ……!」


 一旦森に戻ろうかと思っていると、俺達のすぐ近くの家の扉が開いた。白髪混じりの髪をした、年老いた男が顔を出している。その男は、難しい顔で俺達を一瞥したあと獣達の方を向き直り、「静かに!!」と怒鳴った。


 腹の底に響くようなドスの効いた大きな声に、思わず体が跳ねた。


 獣達は、男が叫ぶと共に、僅かに耳を伏せると吠えるのをやめて、逃げ出して俺らから距離を置いた。


 驚いたまま固まっていると、男はこちらを睨みつけながら、外に出てきた。60代くらいだろうか。よれたベージュのシャツ、ウエストの辺りをベルトで止めていて、革のズボンをはいている。


 男は、家の横壁に立てかけてあった薪割り用の手斧を持つとこちらに向かってきた。


 武器を手にされゾッとした俺は両手を前に突き出すと、急いで言った。


「あっ、あの!! すいません!! 急に村に入ってきてお騒がせしてしまって……!!」


「ごめんね」


 レグナが俺の背後から声を出す。男は手斧をこちらに向けて、吐き捨てるように声を出した。


「何か用か」


「……その、もしよければ……食料か何か分けてもらえませんか。お手伝いできる事があれば手伝いますので……」


「旅人か?」


 思わず息を呑む。何もうろたえる事はない。俺らは旅人だ。


「そうです。えっと……サンドラから来ました。……な?」


 一人で話しているのが辛くなってきて、レグナの方を振り向くと、レグナはそうっと俺の背後から出てきてうんうんと頷いた。すると、男がレグナを手斧で示す。


「……そりゃあ統一連合の制服だろ。なんでラコのガキが着てる?」


 ドキッとして横目でレグナを見る。レグナは慌てる様子もなく、俺を指差して答えた。


「いらない言うから貰った」


 いきなり何を言い出すのかと思い、俺はレグナに必死に目配せしたが、レグナはこちらを一瞥すると、そっぽを向いた。


「じゃあお前が統一連合の奴か?」


 男が俺を睨む。いくら奴らの統治村じゃないとはいえ、嘘がバレたら良い印象はないだろうに。


「え、えっと……」


 どう話を合わせればいいのか分からず言葉に詰まっているとレグナが答えた。


「統一連合、やめる、故郷に帰る。ね?」 


 それを聞いて、やっとレグナの意図を掴み、すぐに頷いた。


「俺は……あの連中にはもう嫌気が差したんだ」


 俺は忌々しいとばかりに顔をしかめてみせた。演技に自信があるとは言えないが、奴らのした事を思い出せば自然と顔は歪む。


「じゃあそのガキは」


 男が顎を少し突き出し、腕を組む。明らかに疑うような視線に俺はうろたえた。


「こ、こいつは……その」


「私のお兄ちゃん」


「種族が違うだろうが」


 仰るとおりで……!


 言い訳が思いつかずに、黙っているとレグナはわざとらしくため息をついた。


「私達、ラコとリトナの子だから」


「混血か?」


 男の顔が強ばる。俺も少し緊張した。この世界では基本的にどの種族にも(リトナは特に顕著だが)多少の純血思想というものがあるからだ。見た目にも性質的にも異常の出やすい他種族との子供を作るのはあまり快く思われていない。


「まあ、確かに……ガキって事差し引いてもラコにしちゃあ細身過ぎるわな」


 男が納得したよう呟く。


 ラコにしては細身? そうなのか?


 確かに細くしなやかな手足をしているとは思っていたが、レグナが子供だからだと思っていた。だが着ぶくれしているこの状態から、そう言われるのだから相当違うのだろう。


 レグナを見ると、男を見てニコニコと笑っていた。だが俺に向けるのとは明らかに違うその貼り付けたような笑顔を見て、レグナ自身気にしている事なのではと思った。


 いや、演技をしているのだから作り笑いは当たり前か? いや、でも……。


 あとで何か言葉をかけるべきか迷ったが、触れてほしくない事だったら傷つけてしまうかもしれない。そもそも見た目に関する悩みなんて誰にでも多かれ少なかれあるのだから、わざわざ話題にするような事でもないだろう。


「それで食料が欲しいってのはどういう事だ? サンドラはここからそんなに遠くねぇ。よっぽどかかって1日だろ。まさか食料も持たずに統一連合を抜けたのか?」


 気を取り直して、男を見る。


「実は森の中で子供二人に荷物を盗まれて……」


 すると、男は俺を睨みながら言った。


「それは気の毒だが、見てわかる通り俺らは決して裕福じゃねぇんだ。人を雇う余裕なんかねぇし、自分達の事で精一杯だよ。悪いな」


「……いえ、無理を言ってしまってすいません」


 元々望み薄だとは思っていたのでガッカリはしなかった。レグナと顔を見合わせると、耳を伏せて残念そうにしていた。


「ところでよ、その荷物を盗んだのは、もしかしてニットラーのガキか?」


 男の言葉に視線を戻す。


「そうです。多分。このぐらいの背をしていて……」


 自分の膝辺りに手の平を持ってきて大きさを示すと、険しかった男の表情がさらに険しくなる。


 男は手斧を元の位置に戻すと、すぐそばの切り株に腰掛けた。レグナと再び顔を見合わせて恐る恐る男のそばに近付くと、男はゆっくりと話し始める。


「あいつらは孤児でな。少し前からこの辺りで悪さばかりしているんだ」


「孤児……。少し前からって……村の子ではないんですか?」


「ああ、そうだ」


 俺は少し考えてから、銀貨を取り返せる可能性を感じた。孤児でこの村とも無関係というのなら他に仲間もいなさそうだし、居場所を突き止めて取り返せるのでは。


 ……まあ、返せと言われて返すくらいなら最初から盗みなんてしないだろうし、恐らく、というかほぼ確実に抵抗されるだろう。正直子供を相手にするのは気が引けるし、気が進まない部分もないわけじゃないが、でも銀貨7枚はそこそこの大金だ。嫌な気分になってでも取り返す価値はあると思うし、俺らにはどうしたって金は必要だ。


 少しこの村で情報を集めてみようか。


「あの……ニットラーの二人は、森に住んでいるんですよね? 居場所とか……」


 男は少し考えたように斜め下を見つめると、間もなく立ち上がり言った。


「中で話そう。……それに一泊くらいなら泊めてやる。今、狩りに行ってる若い連中がいるから、そいつらが上手いこと獲物を持って帰ってくれば夕飯ぐらいは出してやれるしな」


「えっ! いっ、いいんですか!?」


「勘違いすんなよ。飯が出るってぇ保障はねぇからな」


「あのっ、ありがとうございます! 泊めてもらえるだけでも凄く助かります」


 嬉しくてレグナを見ると、レグナも嬉しそうに目を見開いて口角を上げた。レグナは「やったね」と小声で言って尻尾を振りながら男の後を追った。


 中には小さな炊事場とかまど、テーブルと背もたれのない椅子が四脚。少し奥に寝床が並んだ部屋があった。


 男よりは少し若めの女性、恐らく奥さんがテーブルで服を繕っており、俺らに気づくと手を止めてこちらをじっと見た。40代、50代くらいだろうか。淡い緑色のロングスカートに、白いパフスリーブのブラウスを着ていた。


「どうも……お邪魔します」


 奥さんは軽く会釈をすると、立ち上がってテーブルの上を片付け、場所を開けた。


 男は俺らに座るように言うと、向かい合わせになるように座った。


「俺はこのウード村の村長をしているマイスだ。あいつは妻のアイ」


「俺はセトです。こっちは……」


「わっ、私、は、レグナ、です」


 レグナがぎこちなく言う。前は自己紹介を母語で行っていたから、俺の言葉を真似したのだろう。


「それで、ニットラーの事だが……」


 マイスさんが歯切れ悪く呟く。少し間を置くと、ニットラーの子供について教えてくれた。


 数十日前まであの二人には両親が存在していたらしい。両親は旅商人をしていて、その旅の途中にこの村にやってきた。ところが森を抜ける途中に父親が足を怪我してしまい、休養を余儀なくされてしまったそうだ。


「その母親はメルと言ってな、父親の怪我が治るまで、子供のため、この村で少しの間、働かせてほしいと言ってきた。だがなぁ、そもそも村の者だけで十分に回っているんだよ」


「……じゃあ、断ったんですか? 仕事はないと……」


「最初はな。だが食い下がらなかったよ。金なんか払えねぇし食料を分けてやる事しかできないって言ったんだが、それでもいいと言うんだ。だから村の雑用として働いてもらう事にした」


 それから数日後、父親の足は治るどころか、悪くなる一方だったそうだ。


 衛生的とはいえないこの世界では、傷口が化膿したり、感染症にかかったりする事が珍しくなかった。それが原因で手足を切断したり、死亡する奴隷を何人も見てきた。この父親も例にもれず、だったのだろう。


「メルは焦っていたよ。食料だけなら俺らもなんとか分けてやれる。だが薬代となれば別だ。金なんか払えねぇ」


 マイスさんは大きくため息をつく。


「結局、金はサンドラ辺りで稼いでたらしいな。何をしていたかは知らねぇが、まあ大体想像はつく。統一連合の連中は荒っぽい奴が多いから大変だっただろうな」


 ニットラーは大人になっても子供のような見た目をしている。少女を性の対象として見る連中は一定数いるし、恐らく体を売っていたのだろう。


「ある日、メルは帰ってこなくなった。理由は知らないが、恐らく死んだのだろうな。あるいは子供と旦那を捨てたか……それから少しして、父親も死んだよ」


「じゃあ、それから盗みをするように……?」


「そうだ。……あいつらも生きなきゃならねぇから仕方ねぇんだろうけどよ……」


「……ほ、保護したり、しないんですか?」


 マイスさんは自嘲気味に笑った


「保護だぁ? 誰が面倒見たがるってんだよ。言ったろ、みんなギリギリなんだ。数日だけならまだしも」


 俺はマイスさんの少し苛立ったような様子を見て、しまったと思い、ついレグナを見た。レグナはそれに気がつくと、何か言いたげに目配せした。それに肩を竦めてみせると、レグナは眉間にシワを寄せて、俺の脇腹を肘で小突いた。


「お前らあいつらを捕まえるつもりなんだろ?」


「まあ……」


「この村から北に少し行くと、あいつらの父親の墓がある。あいつらはそこに毎日来る。決まって早朝だ。毎朝毎朝、父親の墓の前で祈ってる」


「どうして自分、やらない?」


 今まで口を閉ざしていたレグナが訝しげに声を出した。


 それは確かに俺も思っていた。そこまで分かっていながらどうして自分達で捕まえなかったのかと。


 マイスさんは大きくため息をつくと、囁くように言った。


「捕まえたところで、奴隷として売り飛ばすだけだ。父親は死に、母親は行方不明。その子供を売った金で何しろってんだよ。お前らがあいつらを売るならそれはそれだ。好きにしたらいい」


「私達、捕まえて、奴隷として売るはいいの!?」


 突然立ち上がってレグナが叫ぶ。俺は慌ててレグナの前に腕を伸ばした。


「おい、レグナ……」


「嫌な事、押し付けるだけでしょ!」


 制止虚しく、レグナは俺の腕を振り払ってマイスさんに噛み付くように言った。マイスさんはレグナを睨むと背筋を伸ばして目を細める。怒らせてしまったかと思い、緊張で冷や汗が滲む。でも目は逸らさなかった。すると、マイスさんは静かに言った。


「そうさ。嫌だから押し付けてる。でもお前らにとって悪い話じゃないだろ。盗まれた物を取り戻せて、捕まえた二人を奴隷として売れば金も手に入る。何か不満か?」


 レグナは鼻にシワを寄せると唸り声を出した。マイスさんはレグナに負けじと声を荒げた。


「それにな! あいつらにとってもその方が良いんだよ!」


「そんな事ないでしょ!」


「おいレグナ落ち着け……」


 俺が再び制止に入ると、レグナは今にも泣きそうな顔をしながら震える声で言った。


「だって、奴隷なんかよくない……!」


 俺は少し迷って、でも興奮しているレグナを止める方法が他に思いつかずに言った。


「奴隷が良くないのはそうだよ。誰だって奴隷なんかなりたくない」


 俺は深く息を吸って続ける。


「でもな、子供の奴隷には危険な作業もさせないし、食料だって……そりゃあまあ少ないけど……でも毎日朝と晩で貰えるんだ。だから絶対に良くないってわけじゃないんだよ。それに、引き取り手がない以上はそうするしか……」


「で、でもっ……大人は違う……っ」


「分かってる。大人になれば危険な作業もするし、自由がない毎日は苦痛だ。それは俺にもよく分かってる。だけど」


 自分の考えと違うことを言わなければならない時、胸がぎゅっと縮んだような気持ちになる。


「今の俺達にはそうする以外の力がないんだよ。誰も世話をしてあげられないし、だからって盗みを許すわけにもいかないだろ」


 レグナは悔しそうにぐっと歯を食いしばったかと思うと、椅子に座り耳を伏せて小さい声で言った。


「マイス、大きい声、ごめん……」


「……いや、あんたが正しいんだよ」


 マイスさんはそう言うと立ち上がって妻の元に行き、何か話していた。


「セト、ごめんね」


 レグナが落ち込んだ様子で言う。


「いや、気にしてないよ」


 レグナが落ち込む必要はないんだ。誰かを、一個人を資産として扱うなんてどうかしてる。分かっていながら変えられないのは、それで助かる人がいて、それで利益を得ている人がいるからだ。


「……俺の方こそ、ごめんな」


 レグナは「なんで?」と、笑った。それを見たら余計に何も言えなくなった。


「なんと、なく」


 そう言うとレグナは首を傾げた。


「変なの」


 レグナは楽しげに笑ったかと思うと椅子から立ち上がってマイスさんに話しかけに行ってしまった。


 レグナの背中を見ながら思う。味方になってやれなかった。無力である事がこんなに悔しいなんて知らなかったと。

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