第5話「カスタードクリーム」
体を温めたあと、俺らは再び服を着て森の奥に入った。レグナは山育ちらしく、食べられる山菜や木の実を教えてくれた。中には食べると美味しい虫もいるそうで、虫には栄養がいっぱいあると興奮した様子で話していた。
レグナは倒木の中から樹皮が腐りかけて柔らかいものを探すと、その樹皮を勢いよく引っ剥がした。すると、頭が黒くて体が白い親指サイズの芋虫が丸まって入っていた。これはラコ語で「ウー」という虫らしい。レグナは次々に周辺の皮を剥いでいくと、細い木の枝でウーをほじくり出した。俺がレグナの指示でローブの裾を持ち上げて窪みを作ると、レグナはためらいなくウーを放り込んでいった。この幼虫には足がなく、波立たせるように体全体を動かして蠢く。そこそこ動きも早い。……虫が平気で良かった。
その後、俺らはウーを30匹と拳大の赤いリンゴのような木の実「チェン」、アスパラガスのような山菜「ミック」6本を手に入れる事ができた。
焚き火をしていた場所に戻ってくると、時間が経って消えかけていた火をレグナが枝を足して再燃させる。もうすぐ夕方だ。赤くなってきた空を眺めていると、レグナに声をかけられた。
「セト! 虫洗ってきて」
「おお……」
俺は言われるがままにローブの窪みで蠢いている虫を、川のそばまで運んだ。そこで一匹ずつ摘んで、土や木くずを落とすために水の中で左右に振る。すると、幼虫は弱ってほとんど動かなくなった。洗うってこれでいいのだろうか。少し不安になってレグナの方を振り返ると、レグナは器用にナイフを使ってチェンの皮を剥いていた。
「レグナ! 洗うってどのくらい洗えばいいの?」
声をかけるとレグナは皮を剥いたチェンを半分に切りながら答えた。
「ちょっとでいいよ!」
レグナの元に戻り、ローブの中でほぼ息絶えた虫を見せると、レグナはまるで幼虫のつかみ取りにでも挑戦しているかのようにウーを鷲掴みにした。指の隙間からポロポロとウーがこぼれ落ちる。レグナは掴んだウーを大きな葉の上に置いた。
レグナはそれを俺にも渡すとにっこりと笑った。しかも自分のよりも少し多めにしてくれた。有り難いようなそうじゃないような……。
レグナは次にミックという山菜の下準備を始めた。ミックは見た目はアスパラガスとつくしの中間っぽい見た目で鮮やかな黄緑色をしている。レグナはいくつもある節に生えているトゲのような部分を切り取ったあと、それを火の中へと放り込んだ。
「えっ、それそのまま入れるのか?」
「大丈夫大丈夫」
レグナが大丈夫と言うのなら大丈夫なんだろうが、かなりワイルドな調理方法だ。
いざ実食。俺は両手を合わせて小さく「いただきます」と呟いた。この世界だとお祈りが一般的だが、お祈りは長いし、何に祈っているのかすら知らないので日本式をこっそり愛用している。突っ込まれると面倒なので普段は頭の中で呟くだけだが。
レグナは目をつむって右手を首に添えると何か呟いていた。多分祈りの言葉だろう。俺が奴隷だった頃に一番よく見た型だ。お互いそれぞれの挨拶を済ませると、俺は幼虫ウーが山盛りに乗った葉っぱを持ち上げた。
「うーん……結構……見た目が……」
「美味しいよ」
レグナはそう言ってパクパク食べていた。あまりに美味しそうに食べるので一匹摘んでみたが虫を口に入れる勇気がなくて、虫と見つめ合っていた。
「ちょっと待って」
そうレグナが呟いたのでそちらを見ると、レグナの右手にはナイフが握られていた。何をするのかと思っているとレグナは慣れた手つきで芋虫の頭を切り落とすとその頭をヒョイと口に入れた。
「頭、パリパリ、美味しい。でもラコにもダメな子いる」
そう言って頭のないウーを俺に渡す。切り口から白っぽい身が飛び出している。多分、食べやすくしてくれたのだろう。確かにかなり食べられそうな見た目にはなった。なったが……。
チラッとレグナの方を盗み見ると、明らかに期待を含んだ目で俺を見ている。俺が口に入れるのを今か今かと待ち望んでいる顔だ。きっと美味しいと言わせる自信があるんだろう。
「やっぱりいらない?」
レグナが少し悲しそうに耳を伏せる。
「うう……っ!」
俺は彼女をがっかりさせまいとその虫を口の中に放り込み、噛み締めた。皮は少し弾力があった。噛むとすぐに切り落とした部分からクリーム状の液体が舌いっぱいに広がる。甘みは控えめで舌触りは滑らか、僅かに青臭い匂いはしたが、これは。
「……美味い。皮がちょっと硬いけど……うわ、美味いなこれ」
「よかった!」
レグナの耳がピンとして、尻尾がパタパタ揺れる。喜んでいるのが分かりやすい。
俺は山盛りになっているウーを一匹摘んで口の中に入れた。一匹食べてしまえば大分抵抗がなくなる。それでも頭の部分を噛み潰すのはちょっと勇気が必要だったが、思い切ってみると、頭はアーモンドのような、でもそこまでクセの強くない香ばしい味がした。
「中身は……カスタードクリームっぽい……かな? 薄いカスタード……」
「カスタードクリーム? それどんなの?」
レグナが不思議そうに首を傾げる。まだこの世界にないのか。それとも一般的じゃないのか、どっちだろう。
「……卵と牛乳のクリーム」
「へぇ、美味しそう! 味似てるの?」
「うん」
「でも高そう。金貨で足りる?」
「ど、どうだろうな……俺もたまたま食べただけだから……」
「だって卵だよ! 絶対高い」
そう言ってケラケラ笑っていた。この世界じゃ卵は高級品だ。食べさせてやろうと思ったら金貨1枚でも足りるかどうか……。
「作り方知ってる?」
「ああ、小さい頃に母親が……」
「お母さんに?」
レグナに聞かれて、ふと、小さい頃にカスタードクリームの作り方を教えてくれた母親の事を思い出した。前世の母親だ。お菓子作りが好きで、学校から帰ると、いつも手作りのお菓子がテーブルに乗ってた。でも高校生になって、甘い物苦手だからいらないと言ってしまってから、作らなくなった。苦手だなんてかっこつけただけで本当は好きだったくせに。
……思えばがっかりさせてばかりだった。最後の最後だって、葬式に呼べる友人もいない前世の俺の事をどう思ったのか、想像したくない。
「セト?」
声をかけられてハッとする。
「あ、ごめん……。どう……作るんだったかな……忘れたな……」
前世の記憶であろうと、小さい時に両親を失っている俺には大事な記憶だ。今まで何度も両親の事は思い出したが、そのたびに後悔のような気持ちもあるし、寂しくもなる。
「……お母さん優しい?」
「うん、優しかったよ」
こちらでの両親も前世の両親も、どちらも優しい母と働き者の父だった。だが、どちらも最後に話した言葉を覚えていない。
「あ、なぁ、このウーって生でしか食べられないのか?」
これ以上考えると何もかも悲観的になりそうだったので、話題を変えた。
「えっと、焼く、美味しい」
レグナはそう言うとウーを枝に突き刺して、その枝を焚き火の横に固定した。俺も同じようにして火で炙る。するとすぐに独特の香りがしてきた。香ばしい、豆を炒った時のような香りだ。
その間に、レグナは先程火の中に放り投げた山菜、ミックを木の枝を使って引きずり出した。焼き焦げて真っ黒になっている。
「それ、食えるのか?」
「待ってね。黒いのは取る。……熱っあちち」
レグナはミックを手にすると、両手の平の上で左右に転がしながら一生懸命に息を吹きかけた。そしてある程度冷めてくるとナイフの切っ先で縦に切り込みを入れた。
「これ取るの好き」
レグナはミックに顔を向けたままニヤニヤとした。その顔がまるでとっておきのいたずらをする前の子供みたいにキラキラしていた。
レグナがその切り込みに親指の先を少し押し込むと、表皮がバリッと小気味よい音を立てて剥がれた。それを見て思わず「おっ」と声が出た。真っ黒に焦げた表皮と対照的に瑞々しくてツヤツヤの真っ白い中身が湯気を吹き出しながら出てきたからだ。茹でたブロッコリーみたいな匂いがする。レグナはその中身を指で摘んで引っ張り上げるとにっこり笑って俺に差し出した。
「はい!」
レグナから皮を剥いたミックを受け取る。
「……ありがとう。美味そうだな」
一口齧ると、パリッと音が鳴った。柔らか過ぎず、程よく甘みがある味。茹でた野菜スティックを食べているような気分だ。
「あー……美味いな」
味噌マヨと酒が欲しくなる、そんな味だ。食べやすくてパリポリ食べていると、レグナは残りのミックを全て自分の方に引き寄せて息を吹きかけていた。
レグナは全てのミックの皮を剥くとそれを食べながら言った。
「ウー、焼けた」
焼いていたウーを手にして、眺める。皮は少し焦げていて、中身だけ少し縮まっているように見える。
口の中に入れると、パリッと皮が割れる。そのすぐ後にジュワーと中身が出てきた。中身は固まっているかと思ったがそんな事はなく、トロトロで甘みも増していた。
「うん、焼いてもいけるな」
俺はその後ウーを生で半分食べ、焼いて半分食べた。
デザートはチェンだ。リンゴみたいな見た目の癖に柔らかくてオレンジの香りがするこの木の実は、果汁が多くてジューシーだったが、とにかく酸っぱかった。美味いか美味くないかでいったら美味い物だが、本当に酸っぱかった。レモンを丸かじりしたみたいな感じだ。散々ミックとウーを食べたあとだったので、口の中はとてもさっぱりしたが、次も食べたいかどうかはちょっと微妙な所。
食後、俺らは今後について話し合う事にした。特に俺はほとんど勢いで飛び出して来てしまったので、何か目標が必要だ。
改めて考えると、サンドラから逃げ出してきて約二日経ち、やっと逃げ出せた、という実感が湧いてきた。あの荒れ地で歩いている時はいつ追っ手に捕まるかと思っていたが。
「レグナは仕事と住む所だろ?」
「うん。セト違う?」
「いや、俺もそうだけど……」
「何かしたい?」
レグナの問いを聞いて、俺は少し考えた。
そう言われてみればこの世界に生まれてから、ちゃんと考えた事がない、と気づく。
幸せになりたいと願う事はあれど、その中身まで、考えが至らなかった。
大人になってから奴隷になった者は、自由になったらなんでもできる、と言う。だが、前世の記憶があって奴隷制度が異常で、人は平等に自由であるべきだという認識があったって、この世界の一部分しか知らない俺には自由になったらしたい事なんて想像した事もなかった。この世界で子供の頃から奴隷として育つというのはそういう事だと思っている。
「したい事か……」
そもそも俺には、何ができる? 今も昔も、替えのきく何かの部品だった俺が、役目を放り投げて部品である事をやめたら俺はどうなるのだろう。
少々青臭い考えだが、今からもう一度、前世でしなかった自分探しの旅をしてみてもいいのではないかと思った。自分の生きがい、自分の仕事、自分の住処。一から探してみても面白いのではないだろうか。結果として、それが幸せに繋がるのではないだろうか。
それで何も見つからなくても、諦めるしかなくなって、何かの部品に戻るしかなくなったって俺はやっていける。後ろ向きではあるが自信がある。
前世では楽でつまらない生き方をしてあまり未練のない死に方をした。ならば俺は、辛くても面白い生き方をして未練のある死に方を望んでみてもいいのではないか?
「俺、この世界を見て回りたい。その……レグナみたいな人と話がしてみたいなって」
レグナは少し目を見開いて俺を見ていた。もしかしたら変な事を言ったのかもしれないと思うと恥ずかしくなり、声が小さくなる。
「よ、良ければ、途中まででもいいからレグナも一緒に……どう、かなと……思ったんだけど……」
するとレグナの表情がみるみるうちに綻ぶ。
「私、いいの!? 行きたい!」
そう叫ぶやいなや、レグナは立ち上がってこちらに来ると俺の両手を掴んでブンブン振った。尻尾もブンブン振ってくれていた。
俺も嬉しくて、レグナの両手を握り返すとブンブン振った。
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