小さな二人
第4話「水浴び」
少し遠回りではあったが、なるべく見通しの良い、草のない場所を歩いた。そのおかげか俺はククイには出会わなかった。
森林は背の高い広葉樹と、少しの針葉樹がある混合林。草の生えていない道のようなものがあったのでそれに沿って奥まで歩いた。
このまま歩いていって上手いこと人の住んでいる場所に出られればいいが……。
少し歩くと、川のせせらぎがどこからか聞こえてきた。水は確保しておきたい。それに、もしも大きな川ならば、川沿いに歩けば人の家の一軒や二軒、見つかるはずだ。
俺は道から少し逸れて大きな木のそばにレグナを座らせた。
「レグナ、なあ」
肩を優しく揺すって声をかけたが、返事はない。
「水探してくるから待ってろよ」
そのまま川を探しに、剣で邪魔な枝を払いつつ、帰る時の目印になるように木に印を刻みながら、森の奥へ進んだ。
その時、ふと、子供の笑い声のようなものが聞こえた気がした。ドキッとして耳を澄ますも木々のざわめく音しか聞こえない。辺りを見渡してもそれらしき人影はない。
……気のせいだろうか。
一応辺りを探ってはみたが、人がいた痕跡はなかった。気にはなったものの、今はとにかく川を、できれば人の住んでいる場所を一刻も早く見つけたい。
その後、お目当ての川はすぐに見つけることができた。が、あまり大きな川ではない。幅は大体2、3メートル前後だろうか。残念だが、とりあえず水は手に入るのでいいだろう。
水袋にたっぷり水を入れたあと、木に刻んだ印を辿りながらレグナの元に戻ると、レグナがいなくなっていた。俺は慌ててレグナを座らせた木に駆け寄り、辺りを見渡す。
場所を間違えたのかとも思ったが、すぐに、そんなわけがない、と思い直す。そのために印をつけていったのだ。木のそばを調べると草が潰れていた。やはりここはレグナを座らせた場所で間違いない。
「レグナ? どこ行った!? レグナ!!」
返事はない。まさか、何かあったのか? そんなに時間はかかっていないはずだが、誰かに捕まってしまったのだろうか。……とにかく探さなければ。遠くには行ってないはずだ。
名前を呼びながら道に沿って歩いていくと、後ろの方で微かに枝を踏むような音がした。驚いて振り返り、剣を身構える。誰もいない。俺は慌てて木の陰に隠れて様子をうかがった。すると、何かが道に飛び出してきた。それを見て思わず叫んだ。
「レグナ!!」
それはレグナだった。俺は急いで剣をしまうと木の影から飛び出してレグナに駆け寄った。するとレグナこちらに気づくやいなや、両手をこちらに伸ばしながら嬉しそうに駆け寄ってきてくれた。
「セトー!」
レグナは勢いよく俺の腰に飛びつくと、そのまま俺の周りをぐるりと一周した。尻尾をピンとさせて左右に振りながら、興奮した様子で母語を使い、早口に何か言った。
「お、落ち着けよ。それにしてもどこ行ってた? 探したんだぞ」
「あっ、ごめんね。ごめん」
レグナは俺から離れるとソワソワと手指をさすり、嬉しくて堪らないといった様子でにやけながら身振り手振りを交えて話した。
「セト、起きたらいない。置いていかれたと思ったの」
「水を探しに行ってたんだよ。ごめんな。声はかけたんだけど……」
寝てたからな。
「だから、探した。近くで足音がしたから追っかけた。でも近くにいる、思ったのに、呼んでも返事ない。なかなか姿見えない。変ってなってたけど、いた! 良かった!」
「……声なんか聞こえなかったけどな……?」
「セトー! って呼んだんだよ?」
森の中は色々な音があって騒がしいし、今日は風が強い。聞き逃しただけだろうか。まあ、とにかく見つかって良かった。
「川あった?」
「うん。それより具合はもういいのか? 元気そうだけど」
「寝たら治ったよ。元気元気。ありがと」
人一人を殺せるほどの致死性の高そうな毒に侵されても、こんな短時間でケロッとしているなんて奇跡だ。レグナ自身の高い自己治癒力のおかげなんだろうか。それとも……。
「ねぇセト? 水浴びしたいー。いい?」
レグナの言葉を聞いて、一旦考えるのをやめる。そしてレグナの言葉を頭の中で反芻した。
……そう言われれば確かに埃だらけだし俺も体を洗いたい。
「じゃあ川のそばで少し休もうか。食料も探したいし」
「寝たらお腹空いた!」
「うん。とりあえず、はい水」
レグナは水袋を受け取ると喉を鳴らして水を飲んでいた。熱が出て汗もかいていたから、きっと物凄く喉が乾いていたんだろう。多分2リットルぐらいは入るだろう水袋の重さが渡した時の半分位になって返ってきた。
再び印を辿って川のそばまで行くと、レグナは俺から火打ち石を受け取り、木の枝を集め始めた。俺も一緒になって集める。
「カサカサの木ね」
レグナがあまりに得意気な顔をするので、つい口元が緩んだ。なるべく乾いてそうな木を集めてレグナに見せに行く。
「レグナ、これでいい?」
するとレグナはパッと目を輝かせ、俺の肩を叩いた。
「いいよ! セトすごいね!」
「……そうか? ありがとう」
レグナはニッと笑うと俺から枝の束を受け取って自分の集めた分と一緒にした。
それを見て思う。どちらも逃亡奴隷という立場上、油断大敵なのだがレグナの明るさを見ているとそんな事をすっかり忘れそうになってしまう。気を引き締めないといけないのに。
逃亡奴隷はいわゆる底辺の身分だ。同じ底辺である奴隷の更に下。バレたら店で買い物すらできない。下手したらその場で捕まって売り飛ばされる可能性まである。
「セト! 石、手伝いして」
レグナの方を向くと手のひらサイズほどの石を持ち上げて、俺に見せた。
「集めて、これ」
「分かった」
俺がレグナの元に石を運ぶと、レグナは石を円状に並べた。そして集めた枝を積み重ねると、枝のそばに枯れ草のようなものを置き、それに向けて何度か火打ち石を鳴らした。するとその枯れ草に火の粉が飛び移ったのか、白い煙がゆらゆらと出た。レグナが息を吹きかけると、ジワッと染み出すように小さな炎が生まれる。
「おー……火だ……凄い……」
レグナはまた得意気に俺を見てから、その小さな火を積み重ねた枝の中心へと押し込んだ。レグナが様子を見ながら息を吹き込むと、だんだん炎が大きくなる。
「よーし、いいね!」
レグナは少し太めの木の枝で枝の位置を整えると、小走りで川岸まで向かった。何をするのかと見つめていると、そこで頭や体に巻いていた布を取り去り、中に着ていたカーキ色をしたシャツの襟元を掴むと、上に引っ張り上げた。
そこで俺はハッとして慌ててレグナに背を向けた。衣服の擦れる音、地面にそれらが置かれる音……石を踏む足音、水音、ため息……。
俺は気が気じゃなかった。後ろで少女が裸になって水浴びをしていると思うと、緊張や妙な背徳感で心臓が締め付けられるような気持ちだった。……もちろん見たい気持ちがないわけじゃないが、本能のままに振り向くほどバカじゃない。
「水、冷たい」
レグナが呟く。
「……も、もう少ししたら温かくなるんだろう、けどな……」
「セトは洗わないの?」
「なんだって!?」
驚いて思わず叫んでしまった。少しの沈黙。今のはどういう意味だろう。一緒に水浴びしようって事か? そんなバカな。いくら俺より年下とはいえ、男と女が裸で一緒に水浴びできるのは5歳児くらいまでだろう。いやでもそれはあくまで前世の常識で、こっちじゃ違うのかも……? だからって見ていいのか? そもそも見て下半身がどうにかなったらどうする。気まずすぎるだろう。
「セト?」
レグナに名前を呼ばれた瞬間、ビクッと体が跳ねた。息を呑んで、耳を澄ましていると、ボタボタと水の落ちる音、それから石を踏む音がこちらに近づいてくる。
「ねぇねぇ」
肩に手が置かれる。息を呑み、恐る恐る振り返ってみる。すると、レグナは不思議そうにこちらを見ていた。髪の先から絶え間なく水が滴り、水滴が顔を滑り落ちていく。思い切って視線を下に向けると……。
レグナは白っぽい布を胸に巻きつけており、同じく白っぽい短パンを穿いたままだった。がっかりして……もといホッとしてレグナの方へ体を向ける。
「……俺も……洗うよ……」
レグナはにっこり笑うと川の中に戻っていった。濡れないように荷物を川辺に置き、体にまとっていたボロ布を脱ぎ、下着1枚になって川に入る。幅はあまりないが、水深は思ったよりもあり、2、3歩歩くとすぐに膝までの深さになった。深いところで膝上10センチほど。それにレグナの言った通り、川の水はまだ冷たい。でも体の汚れが落ちるのは気持ちが良かった。
レグナの方を見ると楽しそうに髪を洗っていた。長い布を巻いていたので分からなかったが、腰の辺りまである長い髪をしていた。それにレグナはかなり着ぶくれしていたらしい。どこがとは言わないが、子供らしい体型で手足も細くスラリとしていた。小さな体に長い尻尾、大きな耳、アンバランスにも見えたが小動物を見ているような可愛らしさも感じる。
「……寒っ」
ブルっと身震いをして、両腕を抱える。体が冷え切らない内に川から上がろうと川辺を見ると、何か生き物がいた。いや、人だ。それも2人いた。男女で、50センチほどの身長。まるで子供のような……。
「ニットラー!?」
レグナが叫ぶ声を聞いてハッとする。その二人組はよく見ると俺のショルダーバッグを手にしていた。
「おい、何してるんだ!?」
慌てて走り出すが水の抵抗で思ったようなスピードが出ない。大きく腕を振りながら必死に足を前に出して川岸に向かったが、男の子はニヤリとするとショルダーバッグを持ったまま一目散に森の中へ消えていった。
「お、おい! 待て!!」
やっと川から上がった頃にはもう見えなくなっていたが、それでもすぐに後を追った。
が、ほとんど素っ裸に近い状態では枝や葉に引っかかり、上手く進めなかった。辺りを見渡すも見当たらない。擦り傷だらけになる前に一旦川まで戻ろうとすると後を追ってきていたらしいレグナと鉢合わせた。
「セト! 鞄……持っていかれた……?」
少し息を切らしながら、静かな声でレグナが呟く。
「持っていかれた……ごめん……」
レグナと共に火のそばまで戻ると、レグナが恐る恐るといった様子で聞いてきた。
「えっと、あれ何入ってる……?」
「……銀貨、7枚」
俺は言い終わるやいなや、レグナもほぼ同時に、ため息と共に落胆の声を漏らしてその場にへたりこんだ。俯いたまま少し黙っていると、レグナが独り言のように呟いた。
「追いかける?」
「追いかけたい、けど……いや、でもなぁ……」
正直、追いかけても取り戻せる可能性は低いと思っていた。割に合わない可能性の方が高い。俺らは今、体力を少なからず消耗していて、今食べる分の食料すらない。持久戦になれば俺らは間違いなく不利だ。それにあの二人の様子は今日が初めてといったようには見えなかった。
「手慣れているようだったし、もしかしたらこの森で生活しているのかもしれない。だとしたら……」
「私達、この森知らない。走り回るの危ない……」
その通りだ。それに子供二人、という事は親がどこかにいてもおかしくなく、人数不利を受けるかもしれない。不確定な要素が多すぎる。俺らは希望的観測で無茶ができるような構成じゃない。
「諦めようか……」
「うん……」
レグナが俯く。いつの間にか悲しそうに耳も後ろに寝ていた。
「俺がもっと気をつけていれば……本当にごめんな」
レグナは首を横に振った。かと思うと、突然あっと声を上げて、耳をピッと立てた。不思議に思い、見ていると、レグナはこう言った。
「……私聞いた音、あの子達だったのかも!」
音、と言われて俺も森の中で聞いた笑い声の事を思い出した。
「そういえば……俺も子供の笑い声を聞いたような気がしたんだ。もしかしたらずっと俺の後をついてきてたのかも……!」
レグナと俺は顔を見合わせたまま固まって、ため息と共に焚き火に視線を移した。
「……とりあえず、火、温かいね」
「な……」
俺とレグナはどちらともなく小さく笑った。その後はお互い少しぼんやりとして火にあたっていた。レグナは乾きかけの髪に指を通しながら、丁寧にもつれた髪を解し、俺はそれを横目に両指を組み、前に向かってグッと伸ばしたり、背中を反らせたりした。
「温まったら何か食べられそうなものを探そうか」
俺が声をかけると、レグナはにっこり笑った。
「うん!」
こんな状況なのに、何とかなりそうな気がしてくるから不思議だ。レグナの笑顔には何か不思議な力でもあるんだろうか。結局ほとんど振り出しに戻ったようなものなのに、あまり落ち込まなかった。
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