第3話「悪魔の尻尾」

 ルカの木で喉の渇きを潤したあと、俺らは再びあてもなく歩き出した。だが歩けど歩けど荒地が続くばかり。同じ景色ばかりで、もううんざりだった。


 ため息をつき、遠くを見つめてぼんやりしていると、突然、レグナに服の端を引かれて驚き、思わず裏返った声を出してしまった。レグナを見ると、目を見開き戸惑った様子だった。


「お、驚くの、ごめんね」


「いや……。えっと、どうかした?」


 レグナは口元に指を当てると少し眉間にシワを寄せて、右の方を指さし呟いた。


「人が倒れてる」


「人? どこだ?」


「あそこ」


 よくよく目を凝らすと、50メートルほど先の低木の陰に確かに何かあるのが見える。人かどうかいまいち判断がつかないが、人だとしたら倒れているのか、寝ているのか……。


「死んでる、のかな」


 レグナの顔を見て言うと、レグナは難しい顔をして考え込む。


「んー……、こっち二人。あっち一人、見に行く? 死んでたら何かあるかも」


 もう少し寒さを凌げる物が欲しいとは思っていた。できれば武器も。もし死んでいるのなら少しでも使えそうな物をいただきたい。だが、生きていた場合は少々面倒だな。


 考えていると、レグナが言った。


「死んでないなら昼に寝てるの、変、かな」


 確かにレグナの言うとおりだと思った。何かしらの問題がなければこんな昼間に横たわってはいないだろう。


「よ、よしっ……見に行ってみようか」


 食料や道具、衣服を手に入れるのは最優先事項だ。


 なるべく音を立てないように慎重に近づいていく。近づくとレグナが着ている服とよく似ているものを身に着けていた。近くには焚き火の跡がある。


「統一連合の奴かな」


「そうかも」


 レグナは少し不安そうな声で答えると、ナイフを手にした。


 更に近づいてみたがそいつはうつ伏せに倒れたままピクリとも動かない。


「死んでるんじゃないか?」


 レグナが右足を伸ばして倒れている奴の足を突くが、反応がない。俺は頭の方に回り込んでそいつの顔を覗いてみた。するとそいつはうつろに目を開けたまま、地面を見つめていた。


「……やっぱり死んでるな」


「なんか持ってる?」


 レグナに言われてそいつの持ち物を調べると、ショルダーバッグを持っていた。申し訳ないがバッグごといただいていくことにする。

中身を覗いてみると、銀貨が入っていた。


「レグナ、ほら銀貨があった」


 念入りに死体を調べていたレグナに、銀貨を見せると嬉しそうに目を輝かせた。


「すごい! 何枚ある?」


「えっと……2、4、6……7枚。多分二人の食料買えるぐらいはあると思う。そっちは何かある?」


「剣持ってる」


 レグナは鞘に入った剣を持ち上げると、鞘から取り出した。刃渡り50センチほど。グルカナイフのように「く」の字形をしており内側に刃がついている剣だった。


「あとは食糧を手に入れられる場所を探すだけか……」


 レグナは死体を仰向けにした。着ている物に統一連合のシンボルは見当たらない。


 レグナは、死体から靴と衣服、ローブを脱がせ、それを俺に投げてよこした。その後、死体の両手を胸の前で組ませると、その手に自身の手を重ねて何かボソボソと呟いた。それを見て、俺もレグナの隣に並んで手を合わせた。


 渡されたローブはまだ新しい物なのか生地も張りがあってしっかりしている。靴はかなり履き込まれていたが、穴は空いていないし、サイズもピッタリだった。


 正直、死体から物を盗むのは気持ちのいい事ではないが、現状、生きていくためには仕方がない。俺はこの人のおかげでまだ生きていける。


「埋葬できなくて申し訳ないけど」


「マイソウ?」


「土に埋めてやれなくてさ」


「うん……」


「……それにしても、どうして死んだんだろうな? 行き倒れか?」


「多分、ククイかな」


 聞いた事のない単語に首を傾げていると、レグナはゆっくりと言葉を続けた。


「えっと、私達ククイって呼ぶの。ククイ、は、リトナ語で『悪魔の尻尾』って意味」


「悪魔の尻尾……って?」


「ヘビ。毒ヘビ。住んでる所たくさんあって、黒くて、怖いよ。すぐ噛むの」


「こいつはそのヘビの毒にやられたって事?」


「そう。太ももに噛み傷がある。きっと夜、休んでる時、噛まれた」


 レグナは俺に剣を渡すと、俺の前を歩き出した。


「そのヘビ、まだ近くにいるかな?」


 俺が声をかけるとレグナはすぐにその大きな耳を片方だけこちらに向けて自信なさげに言った。


「ここはククイのナワバリだと思うけど……どうかな? いるかも」


 レグナはその後、耳を左右バラバラに動かしながら注意深く地面を見て歩を進めた。

俺はその背中を追いながら、再びバッグの中を見てみた。

とりあえず銀貨があったのでそれ以上さっとしか見なかったのだが、改めて確認すると、他にも煙草が5本、空の革の水袋、小さなナイフ、火打ち石が入っていた。


 特に火打ち石は有用だ。しかし、火打ち石を使っているところを見た事はあっても、使った事はない。俺は少しためらったものの、せっかく話しかけるチャンスなのでレグナの横に並んだ。


「これ使える?」


 声をかけると、先程までずっと動いていたレグナの耳がピンとして正面を向いた。


「あー、火打ち石! あるよ。使える。これで夜、少し寒くないね」


 レグナは嬉しそうに笑うと、俺が持ってるバッグを指さした。


「他にあった?」


「えっと、煙草と水袋、ナイフが入ってた」


「そっか、水袋いいね」


「あとは食料だな」


「うん、お腹空いてきた」


 少しの沈黙。俺も腹は減ってきた。朝に木の実を食べたきり水しか口にしていない。辺りには食べられそうなものは見当たらないし、早く人のいる所を見つけないと。


 そこでふと、レグナが俺に食べさせてくれた木の実の事が気になった。


「レグナ、俺にくれた木の実ってどこから採ってきたの?」


「木の実? あれは、若いルカの木からたまに取れるの」


「へー……本当に便利な木だな」


 水も食料もとれて、虫よけになる樹液まで出るなんて。


「旅人の木って言う人もいるよ。強い木で色々な所にある」


 それからレグナとは色々な話をする事ができた。レグナは話し方こそたどたどしいが、一生懸命に話してくれた。


 レグナは『ラコ』という種族で、住む場所を求めて旅をしていたらしい。


「親は? 家は?」


「いない。家はあったけど……」


 更に聞くと、元々住んでいた場所が山賊に襲われたと言っていた。次々と仲間が殺されたり、奴隷として捕まったりするなかレグナは命からがら逃げ出したそうだ。そしてこのバンカトラ領に入ってすぐに寝込みを襲われて、奴隷になってしまったという。


「バンカトラのどこ?」


「ダァト」


「ああ、サンドラの近くの……」


 スキを見て見張りを襲い、衣服を奪って逃げ出してきたらしい。その後、走り疲れて倒れた所を俺が助けたそうだ。


「俺もダァトには一度行った事があるよ。荷物持ちで、だけどさ。見た事ないものがたくさんあってワクワクしたな……」


 サンドラはバンカトラ領の首都のようなものだ。そこに近い町とだけあって、ダァトには様々な店が出ており、かなり栄えていた。それに色々な種族が歩いていた。レグナと同じ種族の「ラコ」や、種族名は不明だが、太く大きな尻尾に角の生えた人、「ニットラー」と呼ばれる大人になっても子供のような背丈、容姿の種族など。ニットラーは奴隷として扱いやすいらしく、それなりに見かけていたからか、あまり珍しくは感じなかったが、いわゆる人間とは異なる特徴を持った彼らは堂々としていて、歩いているだけでどこか超然的で、気高く見えた。ラコのような他種族を見たのはその時が最初だった。


「私、ダァトを目指してた。でも奴隷で行くとは思ってなかった」


 そして、レグナで二度目だ。当時は話しかけるなんてとんでもない話だったから、今こうしてレグナと話している事に少し感動を覚えている。


「ダァトを目指してたって……住むつもりだったの? あそこで家を持つとなれば、かなり金が必要になるんじゃないか?」


「……ううん、ダァトには仕事を探してた。お金が貰える仕事。奴隷じゃなく」


 レグナは不満そうに眉間にシワを寄せて足元を睨みつけると、ため息をついた。


「でも、うまくいかない」


 少し落ち込んでいる様子のレグナを元気づけるような言葉を何かかけてやりたかったが「きっと、これから良い方に行くよ」とか「諦めなきゃいつか報われる」だとか、自分自身が思ってもいないような無責任な言葉を言う事ができなかった。そう言って死んでいった奴隷達をたくさん見てきたからだ。


 そんな彼らはいつでも前向きで、勇敢だった。鎖や鞭に自由を奪われてもなお、もがく事をやめなかった。


 俺はそんな彼らを羨ましく思う反面、どこか冷めた目で見てもいた。理想と現実の境目が俺のすぐ目の前にある気がして、俺はいつでも現実側に立っていた。そこで傷んで硬いパンを食べながら、柔らかいパンに思いを馳せていたのだ。


 世の中は不公平だ。諦めずに努力を続けたヤツが死んで、何もかも諦めていた俺みたいな奴がただのラッキーで自由になり、しかもまだ生きている。もはや皮肉という他ない。


「でも、頑張る」


 レグナが笑顔を向けた。


 また"境目"が現れた。ような気がした。顔が引きつるのを感じる。


「セト?」


 目を逸らし、足元を見つめて浅く息を吸う。


 着の身着のまま、金も僅かしかない。逃亡奴隷になってしまった今、このバンカトラ領では仕事をさがすのもままならないだろう。違う領地に行くといっても、いまだ村さえ見つかっていない。こんな状況下で希望を持ったままでいられるのだろうか。


「……レグナは頑張れるのか?」


「うん」


 レグナはすぐに答えた。顔を上げてレグナを見ると、まっすぐ前を見ていた。それが意外で、腑にも落ちず、訳のわからない焦燥にこみ上げてきた声を吐く。


「も、もし、頑張っても駄目だったら……どうするんだ?」


「え?」


 レグナが少し間の抜けた声を出してこちらを見る。


「ご、ごめん……」


 そんな事を言うつもりはなかったのだ。つい、本当につい口から出てしまった。


 レグナは驚いた表情のまま、ゆっくり足元を見ると、静かに声を出した。


「どうする……? どうするかって……んー……今は、分からない。だめだったら、それから考えるよ」


 この世界では、何かをするなら命がけだ。ダメだった時に、どうするかを考える余裕もないかもしれないのに。


「不安、じゃないか? 結果が出なかったら……」


「だって、頑張らないと、どうやって生きるの?」


「えっ」


 今度は俺が驚いて声を出してしまった。レグナは不思議そうに俺を見ていた。俺は慌てて言葉を探したが、レグナの素朴とも言える問いに、言葉は見つからなかった。


 俺は今までどうやって生きてきたんだろう。俺には子供の頃から仕えなければならない主人がいて、機嫌を損ねないようにしてきた。


「お、俺は奴隷だったんだ。10年間……。だから働いてさえいれば食べ物が手に入ったんだ」


「それ、頑張ってないの? 働くの大変。でしょ?」


「そうだけど、努力はしてこなかったよ。ただ言われた通りに動いていただけ」


「……よく分からない。どうして逃げたの?」


「どうしてって、奴隷でいるのが好きな奴なんかいないだろ?」


 レグナは少し間を置いたかと思うと、俺の腕を軽く叩いた。


「我慢、辛い。好きじゃないのによく頑張ったって思う。だから、セト生きてる」


 レグナはにこにこしながらそう言うと、突然「あっ」と声を出し、前方を指さした。

その指と視線の先、水平線上に森が広がっていた。


「行こう行こう!」


 レグナが興奮した様子で俺の腕を強く引っ張り走り出す。

その時、なんとなくだが"境目"を飛び越えたような気がした。肩の荷が下りたような、隙間に何かがぴったりとはまったような、そんなスッキリとした気分だ。俺はこれから……。


「ひぁっ!!」


 その時、突然、前方にいたレグナが悲鳴と共に後ろに飛び退いた。俺も驚いて飛び退くと、レグナの足元で何か細長い黒色の生き物が、地面を這いながら草の中に逃げていったのが見えた。


 ……あれは、ヘビか?


「まさか、レグナ噛まれたのか!?」


 レグナは地面に座り込んで、自身の右足首を押さえていた。その手をやんわりと退かして裾をめくってみると、足首に二つの丸い点のような傷がついていた。そこから僅かに血が滲んでいる。


「ククイか!?」


 こういう場合にどうすべきか分からず、俺は酷く取り乱した。この世界にはまだ病院と呼べるような施設はない。ましてや血清なんて物があるわけもない。


「どうしたらいい!? とりあえず毒を吸い出して……!」


 レグナは慌てふためく俺の胸元に手を添えると、少し語気を強めて声を出した。


「大丈夫だから」


 思わず耳を疑った。


「大丈夫って……そんなわけ……!」


「ウィララ様、守ってくれる……から……」


「ウィララ様?」


 その名前は聞いた事がある。誰の名前だったか……。


 そう考えている間にもレグナの足が痛々しく腫れて膨れていく。なのに、レグナは呪文のように「大丈夫」と繰り返していた。


「レグナ、本当にまずいって。このままじゃ……」


 だからと言って、俺に何か案があるわけじゃない。でもいても立ってもいられなかった。


 レグナは辛そうに顔を歪めながら細く息を吐くと、先ほどのしっかりした声とは打って変わって、絞り出すような声で言った。


「これ、見て」


 レグナは顔を覆っていた布の首元を少しめくると、俺に見せた。そこには動物の牙のようなものを、おおよそ等間隔にいくつも紐でくくった首飾りのような物が付いていた。その首飾りには見覚えがあった。俺のような奴隷の中にはいなかったが、町民、兵士の中には同じような首飾りをしている奴がいた。


「ウィララ派だから平気……」


 この首飾りは魔除けのようなものなのか? レグナはそれからしきりにウィララ様、ウィララ様と口にしていた。まるで神様にでも縋るような姿を見て、俺は思い出した。


 『ウィララ』というのは神様の名前ではなかっただろうか。


 この名前は労働中にたまたま聞こえてきた兵士の会話から拾った。ウィララを始め、他にも信仰の対象となっている神様があと3柱いるはずだが、あまりよく知らない。そもそも真剣に聞き取ろうとしていたというよりかは、はなからラジオや音楽を作業中に聞き流す程度の気持ちだったので覚えている事などたかが知れていた。


「セト……」


 レグナに名前を呼ばれてその顔を見ると、虚ろな目でこちらをじっと見ていた。


「なんだ? どうした!?」


「眠い……から、寝るね」


「寝んの!?」


「寝る……」


 生きるか死ぬかの状況で治療の手立てもないのに、眠いから寝るね、とはどういう事だ!? この後、俺はどうすりゃいいんだ!? 


「しっ死ぬなよ!? そのまま死なないよな!?」


 俺は慌ててレグナの肩を掴んで揺さぶってしまった。だがレグナは目を瞑ったかと思うと、すぐに全身から力が抜け落ち、そのまま気持ち良さそうに寝息を立て始めた。


「ね、寝た……? 寝て……」


 本当に寝てしまった。混乱している頭でこれからどうするか考えるがあまり良い案が思いつかない。このままここでレグナが起きるのを待つか? こんな目立つ場所で、しかもバンカトラ領を出てすらいないのに? 駄目だ。辺りを見渡して息を呑む。毒ヘビだってまだ近くにいるかもしれない。俺まで噛まれたらそれこそ終わりだ。とりあえずこの場から離れなければ。


 俺はレグナの体を持ち上げて、背負った。レグナはそれでも起きる気配がない。


 とにかく森の方へ行こう。安全とは思わないが、身を隠す場所もたくさんあるはずだし、雨風もしのげる。食べ物も見つけなければ。


 レグナは子供だからか、とても軽かった。それに加えて体温が高いというか……、と、そこまで考えてハッとする。もしや、熱が出ているのでは? 慌ててレグナの額に手を当ててみると、かなり熱い。やはり熱がでているようだった。心なしかさっきより息も荒い気がする。


 ……急がなければ。

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