1 目覚めし勇者と中の人
第1話 見ず知らず
「それで。この身体に入るはずだった腐れ野郎は、どこ行ったんですかね?」
召喚したての勇者が放った、この世で初めての問いかけは、その場にいたすべての者の思考を停止させ、救世主のお目覚めに華やいでいた場を凍り付かせた。
「いま、何と……何とおっしゃいましたか?」
どうにかそう問い返して神官長補佐官が己の凍り付いた思考を再び動かすことが出来たのは、つい先ほどまで我らが勇者様にこの度の召喚のあらましを、とうとうと語って聞かせていたからに過ぎない。
若さゆえ救世主を出迎えるという大役に舞い上がり、一心不乱に口を動かし続けていた余力で、失礼にも問い返してしまっていたのだ。
礼節をわきまえた主席神官長以下の高位の者たちなど、若造補佐官の質問返しにうなずくことすら出来ず、目覚めし救世主様の端正なお顔を見つめ、初めの言葉の意味を探して黙している。
この日この時まで召喚の成功を信じて疑うことすらしなかった彼らは、思いも寄らぬ御言葉に棒立ちで祭壇を見上げ、形ばかりの出迎えの儀式を続けていたのだった。
祭壇の上に置かれた己のための寝台を背に、天からの光を受けて立つ神々しい勇者は、出迎えの者たちへもう一度たずねた。
「いや、だから。世界を救う見返りに
言葉尻の「だが?」には、明らかな、いら立ちが含まれていた。
そのお怒りは質問を未だに呑み込めていない未熟な自分へと向けられているのだ。そう判断した補佐官は、ここはひとつ素直に謝り、教えを
「申し訳ございません。突然のことで、勇者様が何を尋ねていらっしゃるのかが分かりかねるのです。高尚な世界よりおいでになって早々、さらに
深く大きなため息が、天窓からの光に包まれた広間にこだました。
我らが主として新たに降臨されたばかりの勇者様が呆れてつかれたため息に、神官長以下、広間に集った者たちが身震いで応える。警護に身が入っていなかった王立兵団の精鋭たちなどさすがに危機を感じ、思わず身を引いて背筋を正した。
御言葉を何度も胸の内で繰り返し理解しようと試みていたのは、特別も特別に、勇者様の魂直々に世話役を任命された若造補佐官だけではない。
神聖な天守の広間に集められた者たちは皆、救い人である主の御言葉は絶対と言われて育ち、それを今も心から信じているからこそ、ここに立ち会う許可が出ている。
繰り返すが、救世主様の、勇者様の御言葉は絶対だ。
だからこそ、ため息をつかせずとも勇者の怒りの意味を皆はもう分かってはいた。だからこそ震え、たじろいだのだ。
我らが救い主様が、別の者だとは、どういうことであるのかと。
そのような訳で、次に聴かされた勇者様の独白に心の底から驚く者はいなかった。召喚失敗という名のとどめを刺された衝撃で、主席から末席まで勢ぞろいした神官長たちが全員、ひざから崩れ落ちはしたが。
「いい加減認めたらどうかな。あんた方は人違いしたんだよ。その腐れ勇者の魂を、この見ず知らずの、生粋の人嫌いとね」
我らが救世主、魔王をくだすためにこの世に
主の再来を祝う祝典は軒並み中止か延期となった。勇者として覚醒した異世界人が言い捨てた御言葉は、天守の広間を包んだ静寂と共に受け入れられたのだ。
ただし、祝典中止について国民に届いた知らせには、召喚失敗とか救世主の中身がどうのという言葉は、一文字も無かった。祝典は不急の病により倒れた国王の回復を待ってと発表され、勇者様のご厚意により、魔王討伐の折にと延期が決定されたのである。
それを聞いた国民からは、救世主再来の祝賀を邪魔する魔王側の呪いが王様に降りかかったのではないかという憶測が、すぐにも湧いて出た。
意図をもって広められた噂で誤解された真相はというと、憶測からそう遠くないものだった。主席神官長から秘密裏に届いた報告が、王宮殿で待っていた病弱な国王に本物の高熱を出させたのだ。ある意味、呪いのようなものである。
「王様には悪いが、これ以上、人前で
生粋の人嫌いとやらを中身にした勇者様が、つぶやく。
新たな魂を得た救世主の存在に考え込んでいた世話役には、ありがたい声で吐いた毒ですら聞こえては来なかった。
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