第2話 最悪の想定外
「最悪だ」
最悪。
同じ言葉を抱えた頭の中でつぶやいていた神官長補佐官セオ・センゾーリオは、心の中を当てられた驚きで顔を上げた。
最悪と宣言した外見だけ勇者である人は、開け放たれた居間の戸口へ現れて、軽くため息を吐く。白金の装飾がついた腰帯を引き上げて、その下にのぞく白い上着の裾の乱れを直し、こちらへと歩みながら、またため息を吐いた。
居間の壁に掲げられた大きな姿見へ、勇者は渋面を向ける。それより大きな鏡が続き部屋の洗面台横にもあったはずだが、目覚めたての救世主はまだ、自分の新しい姿を見慣れていないようだ。
「もう体が
見慣れてはいないが動かす分には違和感はなくなってきたらしい。最悪発言の理由を述べて、人違い勇者は円卓へとやってきた。
自分の主人である存在に「いいからそこへ座ってて」と命じられるまま、円卓に着座して黙していた世話役、セオ・センゾーリオは、勇者と卓上の聖なる遺物を交互に見やった。
白と金で統一された主と持ち物は、窓から入る日の光に輝きを増している。互いの距離が縮まるごとに双方の輝きは強くなっていくようだ。
その不思議な感覚にセオは勇者の覚醒をこの目にしてもなお、目覚めた救世主様が歩く姿ばかりか、すぐそこにいることも信じられなくなりそうだった。
艶やかな木の円卓に、側へと立って卓上を見やる勇者の顔が映り込む。絵に描いたようと月並みな言葉でしかその神々しさは表せられないと称賛されていた顔が、中身の心情を吐露するごとく
「この名前、なんでしたっけ?」
ひどく渋い表情に合わない砕けた口調で勇者が己の世話役にたずねたのは、卓上に横たえられた一振りの剣の名だった。
「神剣バイロギートジョフト、と申します」
勇者が自分の体の持ち物の名前を聞くのは、二度目だ。なぜにこの名が付いたのかは一度目、召喚の成り行きうんぬんの長話で聞いて覚えていた。
「鍛造した神族の名前だったんでしたね……じゃ、バイロギートで。いや、短くバイロで良いですよ」
何のことでしょうか?
と間抜けにも声に出しかけて、セオは口をつぐむ。勇者様が所用で席を立つ前の会話を思い出し、口にするものは別の問いに変えた。
「御名前ですか? 神剣の名を名乗られるのですか?」
「それで充分ですよ。本当の名前は自分でも知らないし、身代わり勇者だし、この世に名前なんか残したくもないし」
冷ややかに発せられた勇者様の言葉には、この世界への軽蔑にも似た感情があった。
確かに、何も分からないまま見知らぬ土地に来て、己の記憶もなければ人違いなのに帰ることも出来ないというのは最悪な気分だろう。
それは間違いこそ起こしてしまったが、待ちに待った救世主様のお目覚めを迎えられたこちらとは、桁違いに最悪であるはずだ。きっと心細く腹立たしい思いをしておられるに違いない。
セオ・センゾーリオが今日の出来事を最悪だと思ったのは、勇者様の気分を害してしまったという意味合いでだった。
だが、外見だけ勇者様の態度には正直、納得出来ぬところもある。
世界を救う神々しい存在であらせられる勇者であることの、何がそんなにお嫌なのか。知らないとはいえ、この世界でどれほど勇者の存在が敬われているかは、誠心誠意お伝えしたはずなのだ。
そう思った途端、セオの背中が一気に冷たくなる。
この世界を知ってここへ来ているのではない御方が、勇者という役割をそこまで悪く思うということは、それを言って聞かせた者が悪いのだ。
自分の長い説明が原因ではないかと思い当たって、冷や汗が神官長補佐官の礼服の下を流れた。
外見だけ勇者もとい人違い勇者バイロは、世話役の背中が汗で濡れているのを知ってか知らずか、セオへさらに冷水を浴びせるような言葉を紡いだ。
「さっき神官長が言ってた真の勇者の魂の探索については、あなた方には悪いけど、あまり期待してはいないんですよね。中身が違うのにも気付いてなかったし、いままでそんなことがなかったっていうなら、今度のことは不測の事態ってやつでしょう。人違いは悪気があってしたことじゃないだろうから、仕方ないと思ってます。そうなると元に戻れる方法がすぐに見つかるかも疑問ですから、さっき、みなさんに言ったように救世主様の役目は
独りで、をわざわざ強調して締めくくった勇者バイロは、自身の名となった神剣の柄を無造作につかみ、引き寄せた。
抜き身で置かれた剣は音ひとつ立てず、主の所作に従う。真っ白な両刃の刀身を勇者の手のひらへ預け、選ばれし者にしか何ひとつ切ることが出来ぬ神の剣バイロギートジョフトは、朝露に濡れたような清い輝きを円卓に落とした。
神官の礼服のひざに落ちたのは、うつむいた補佐官の額を伝い流れた、汗の玉だ。何事もなくこの時を迎えられていたら、彼は言うまでもなく、一対一で我らが勇者様とこの場にいる栄誉に酔いしれていただろう。
再来なさる勇者様直々に、勇者の魂として目覚めかけていた
だというのに、これまた前代未聞の事態が起こり、さらには主人の怒りを買っている。
主席神官長補佐官兼救世主様付き世話係のセオ・センゾーリオは、ここにたどり着くまでのとてつもなく幸運な一週間を想うと、一瞬ですべてを台無しにした自身の
目の前に救世主様のお姿がなかったら間違いなく号泣している。居たら居たで、そのありがたさに泣きそうになってはいたのだが。
それほど待ちわびていたのだ。勇者様の目覚めを。世界を救ってくれるという存在が復活する時を。
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