読み合わせ

 配役を決める読み合わせは、それから数日後の夜に行われた。場所はライム・ライト、時間は深夜を回った頃だった。タカシはサークルの知り合いという役者を二人連れて来た。紹介をうけた後で、

「ツエは知ってるだろ?」

と大きな目を閉じて微笑む女の子を紹介した。

「元気?お久しぶり。」

恭介は、詩織の言っていた『おっぱいの大きな羊』のことを考えていた。

「今日は、台本を読みながら大まかなイメージが共有できればと思うんだけど?」

とタカシが言ったところで、恭介は

「まあ、コーヒーでも淹れるよ。」とカウンターの後ろに回った。

 恭介は舞台用にと買ってきたコーヒーが二袋、お湯を沸かしてその一つの袋を開けた。


 詩織がまだ二幕を仕上げている最中だった為、その日の読み合わせは前半部分のみ行うことになっていた。

「すぐ出来上がるから」

そう言った恭介に、

「稽古期間も短いから、早く全部読みたいんだよ。」

タカシが連れて来た役者の一人が言った。虚弱そうに見えた痩せ型の男は、

「急に長ゼリフがあったりすると大変だからね。」

そう言った。

「この倍ほどの量だろ?大したこと無いって」

もう一人の小柄の男が言う。

「そうそう、どのみち稽古が終われば全部覚えてんだから。」

タカシが言うと「まあ、そうだろうけど」と虚弱の男は納得した。

「出来上がり次第、タカシにコピーは渡すし、少なくとも次回のリハーサルには準備するようにするよ。」

「出来るのかい? 作家さんを急かせるのは大変だぜ?」

「まあ、いずれにしても心配はしないで欲しい。」

恭介は、自分でいれたコーヒーを口に含んだ。

 

その後、読む役を何回か変えながら、テーブルを囲んで台本を読み込んでいった。恭介は、その時に初めて実際に台詞が読まれるのを聞いた訳だが、役者というのはずいぶん声を張ってしゃべる人たちだなと感じていた。多分、いつもはもっと大きな空間で演じることを前提にしているんだろうけれど、テーブルを挟んだこの距離で聞かされると何か脅されているような圧迫感を感じずにはいられなかった。

「もっと声のトーンを落としてやってみようよ。」と恭介は言った。

「それは、もっとセーブしてやれってことなの?」

「エネルギーはそのままで、」

「囁くようにってこと?」

「そんな感じで。」

ちょっと違うけどと思いながら、恭介は笑顔を見せた。

 しばらくして、恭介は繰り返していく度に読むスピードが上がっていることに気付いた。台詞の掛け合いのようにテンポが自然と上がり、食い気味にお互いが掛け合っているといった感じだ。

「もっと、ゆっくりやってみない?」と恭介は言った。

初回から色々と言うのは気が引けたが、

「もっと間を取れってこと?」

「セリフと同じぐらい、間があってもいいんじゃない?」

「それは、間っていうのかい?」という小柄の男に

「沈黙って言ってもいい」

恭介が言うと、

「確かに、実生活でもそれぐらい会話のなかに沈黙があったって不自然じゃないよな。」

そうタカシがフォローしてくれた。


 一時間ほどそうして台本を読んだ後で、「ほんとに、ありがとな。」とタカシは二人の役者に声を掛けた。

「今日はもうこれぐらいでいいよ。後は、俺と恭介で日程とかを詰めるから」

「ありがとうございます。」

恭介も、

「二人に来て頂いて、ほんとに心強くて。今日はすごく安心しました。」

二人に頭を下げた。

「よせよ。俺らはおもしろい舞台さえできれば、それでいいのよ。」

小柄の男はそう言って、痩せ型の男に「帰るか?」と言った。

「まあ、いいんじゃない?」

タカシは二人が帰った後で、そう声を上げた。

「俺もリアリティーを追求した舞台をやってみたいって思ってたから、空間を作るって意味で言えば今回の舞台はおもしろいと思うよ。」

「リアリティーっていうのかな?」

「なんだよ。『便意の後に続く爽快感をモチーフにした日常』なんじゃないの?」

「なにそれ?」

「恭介が表現したいテーマだってさ。」

そう笑ってタカシが初恵にその時の話をした。

「ウイスキーとか飲んじゃまずいかな?」

「いいよ。僕が払っとくから」

恭介は、カウンターの向こうに歩みを進める。

「私も」

そう言った初恵に恭介は頷いて、棚からジョニー・ウォーカーのブラックラベルを取り出した。「ボトルも買った方がいいかも」と思いながら、恭介はオン・ザ・ロックをダブルで作るのだった。


 配役は、すんなりと決まった。小柄の男がマスター、痩せ型の男がカップル男、初恵がカップル女、タカシが男役になった。

「カウンターに隠れて見えないんじゃないの?」

そう初恵が心配したけれど

「それほどじゃないだろ?反対に遠近法みたいでインパクトが出るんじゃない?」

実際に恭介が立って見せて、おおよその高さを確かめてみても問題は無かった。

「二人の予定は聞いてるから、今後のスケジュールを固めておきたいんだ。」

タカシは、手帳のカレンダーを取り出した。

「もうこの辺は合わせるしかないな。恭介は大丈夫だろ?」

「私、この日はダメ。」

「いいよ、抜きでやるから。」

タカシに言わせれば、最終週を除いて週三回の稽古をして、最後の週だけ公演の日まで五日続けてリハーサルの日程を固める必要があった。

「わかった。」と恭介は言った。

「後はチケットとポスター。デザインどうしようか?」

「『このまんま』で、いいんじゃない?」

初恵が少し離れたところからバー・カウンターの写真を何枚かスマホで撮っていた。

「こっち向かないでね。」

撮れた写真を見直しながら、

「ほら、セピアにしてぼかすとそれっぽい。」

初恵は笑顔を見せる。

「いいね」

「後で作っとくね。紙代は請求するけど。」

「チケット代は?」

「マスターと話しておくよ。明日、メールする。」

中途半端な時間に終わったが、

「歩いて帰るから」と言ってタカシと初恵は店を出て行った。

恭介はテーブルを元の位置に戻し、洗い物をしてから始発までの時間を潰すことにした。


 恭介が明け方にアパートに戻ると、詩織はめずらしくベッドで布団にくるまっていた。普段ならば飲みさしのコーヒーやアイスティーが机の上で残されており、電源の入ったままのPCや書きかけのメモ、吸い殻を押し潰した灰皿などが詩織の格闘の跡を残している。机はきれいに片づけられ、食器やグラスはすべて台所の洗い棚に上げられていた。

「ただいま」と声を掛けようと思ったが、何も言わずにシャワーを浴びて寝支度を整えることにした。恭介がシャワーを終えてバスタオルで頭を乾かしても、詩織は壁側を向いたまま、ぴくりとも動かなかった。

 明日の恭介の予定は、これといって無く、昼過ぎまで寝て、それから読み合わせの間に取ったメモを読み返してみようと思っていた。恭介は、詩織のかぶっていた布団を軽く持ち上げてその中にもぐりこもうとしたが、身体の半分ほどがはみ出したままだった。「それでもいいや」と恭介は思い、無事に終わった読み合わせを思い返し、ゆっくりと息を吐きだした。

今日は、もう眠ることにした。

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