劇中劇
マスターが暗いバーの店内に舞台上手より入り、照明を点ける。手にはビニールの買い物袋、いつものルーティンで開店の準備を始める。
舞台はカウンターとテーブル席が2つ、舞台下手に細木のロッキングチェアがあり、それに黒い帽子をかぶった男が深く腰掛けてギターを弾いている。男の隣にはサイドテーブルがあり、その上にグラスとボトルが置かれている。帽子の男は、舞台上の人物からは意識されない存在であるが、常に舞台上で起きている物事に注意を払い、それにあわせて断続的にギターを爪弾き、バックグラウンドで音を奏でる。
帽子の男が開店の準備をするマスターに合わせてギターの音でそれを真似る。しばらくじっと見つめる。それを繰り返す。開店準備が終わり、マスターは舞台下手に退場、白地のシャツ・黒いベストに着替えた後、再度登場。グラスを磨いて棚に戻す作業を始める。帽子の男は、それに合わせるように聞こえないほどの小さい音量でフォーク調の曲を弾き始める。
マスター いらっしゃい。なんて、誰もいない。
誰もいないよ。
いらっしゃい。(にんまりと笑う。)
間
マスター いらっしゃい。なんて言っても、いないよ。
いないよ、誰も。
いらっしゃい。(にんまりと大きく笑う。)
ドアが開いて男が入ってくる。
マスター いらっしゃいませ。(普通に)
男は店内を見渡してから入り、バー・カウンターに腰掛ける。
男 ホットコーヒー。
マスター ブレンド?
男 他にあるの?
マスター ないよ。
男 ホットコーヒー。
マスター あいよ。
男 暑いね、外は。こう暑いと外を歩くのも大変。そう言ってもさ、暑くたって外で働いてる人だっているんだろうし。大変だね。
マスターがマグカップにはいったコーヒーを出す。湯気が上がっている。
男 暑いね、外は。
マスター クーラーの効きが悪いかい?
男 そうでもないよ。
マスター 暑い暑いって言うからさ、
男 外は、と言ったろ?
マスター そうだね。
男が湯気の上がっているコーヒーをゆっくりと飲む。
男 どうも熱いね。
マスター そのうち涼しくなるよ。
男 え?
マスター 外だよ。この時間になるとね、この辺の通りはいい風が吹くんだよ。
男 そうかい?
マスター この辺のひとなの?
男 違うけどさ
男が湯気の上がっているコーヒーをゆっくりと飲む。
男 風っていっても、扇風機みたいなもんじゃないの?
マスター 扇風機はすずしいだろ?
男 食べるものは無いの?
マスターがメニューを指さす。
男 ミックスサンド。
マスター あいよ。
マスターが手元を動かしてサンドイッチを作る。黒い帽子の男がグラスから酒を飲み、ギターの音量を上げる。
男 身体がだるくならない?
マスター え?
男 扇風機
マスター そりゃあんた、あたり過ぎだよ。寝るときに直接あたってるだろ?
男 あたるだろ、普通。
マスター 駄目だよ。
間
男 あたらないか、普通。
マスター 駄目だよ。風に当たったら気化するんだから、
男 でもあたるだろ、
マスター あたるけど、あたり過ぎは駄目だよ。
男 疲れるだろ?
マスター 疲れるんだよ、汗が気化するんだから。
間 黒い帽子が音楽のペースを上げる。
男 疲れるだろ?
マスター 疲れるんだよ、
男 だから嫌なんだよ。
マスター あたり過ぎるから
男 疲れるんだろ?
マスター 疲れるよ。
男 気化するんだから。
マスター そうなんだよ。
間 黒い帽子が音楽のペースを更に上げる。
男 なんで気化すると疲れるんだ?
マスター そりゃあ、熱が奪われるから。
男 疲れるんだよ。
マスター あたり過ぎるから・・・
男 疲れるだろ?
マスター そりゃそうだ。
男 気化するんだから、
マスター 疲れるんだよ・・・。
男がゆっくりとコーヒーを飲む。黒い帽子が音楽をやめる。
男 マスターって、よくしゃべるね?
マスター そうかい?
男 よくしゃべるよ。
マスター しゃべり掛けられるから
男 もっとマスターってのは無口な人がやってんのかと思ってた。
マスターがしばらく黙り、手元でサンドイッチを作り上げる。男に出す。
男 ありがとう。
男がサンドイッチを食べ始める。
マスター しゃべり掛けるから
男 え?(口をもごもごさせながら)何か言った?
マスター いや・・・しゃべり掛けるから
男 (口をもごもごさせながら)美味しいね。
マスター しゃべり掛けるから話すだけで、
男 (口をもごもごさせながら)うん、美味しいよ。
マスター 普段は無口な方だと思うよ、
男 (口をもごもごさせながら)たまごが美味いよ。
マスター 別に客と話したって、楽しいわけじゃないし
男とマスターは、それぞれ別の方向を向いてぶつぶつと似たような言葉をつぶやいている。徐々に二人の身体が別々の方向に向き始め、ぶつぶつと更に繰り返しながら、完全に違う方向に身体を向けてぶつぶつと呟く。
黒い帽子の男が唐突に「スタンド・バイ・ミー」の前奏を弾き鳴らし、全力で歌い始める。男とマスターは初め、その音楽に気付かないが、ゆっくりと動きを止め、聴き入るように全身の力を抜いていく。
曲はしばらく続くが、ドアが開いて若いカップルが店に入ってくる。唐突に曲は止まり、男とマスターも現実に戻る。
マスター いらっしゃいませ。(何も無かったように)
カップルがテーブル席に座り、メニューを広げる。
カップル男 ビール2つもらえます?あと枝豆
マスター あいよ。
カップル女 今日、楽しかったね。
カップル男 そうだね。
カップル女 ちょっとメニューみせて
カップル男 はい。
カップル男がスマホを取り出していじる。カップル女は手渡されたメニューを見ている。
カップル女 枝豆なんてあるのね(小声で)
カップル男 あるみたいだね。メニューにもあるし、
カップル女 バーでしょ?ここ(小声で)
カップル男 そうだね。
カップル女がメニューをじっと見ている。カップル男はスマホをいじっている。
カップル女 普通、ミックスピザとかそんなんじゃない?
カップル男 あいよって言ってたよ。あるみたいだね、枝豆。
間
帽子の男が奇妙なメロディーラインでギターを爪弾く。
カップル男 かまどが無いんじゃない?(スマホをいじりながら)
カップル女 え?
カップル男 ピザ。ほら、こういうやつがいるんじゃない?
カップル男がスマホの画面を見せて、カップル女が覗きこむ。
カップル女 あぁー。こういうやつ・・・暑そう。
男 コーヒーおかわりちょうだい。
マスター あいよ。
カップル男 あいよって言ったよ。
カップル女 確かに。レンジでチンってのも侘しいわね。
カップル男 大変だよ。かまど入れるのは。
カップル女 かまどって、オーブンでしょ?
カップル男 オーブンって・・・これだぜ?(スマホの画面を見て、見せる)
カップル女 オーブンじゃん。石窯オーブン。
カップル男 あぁ・・・石釜、オーブンね。
マスターがビールと枝豆を持って戻ってくる。男はずっとマスターの持っている枝豆を見ている。
カップル男 石釜無いと、大変じゃない?
マスター 何、石釜?
カップル女 あったら、大変って話じゃないの?
カップル男 なんで、便利じゃん。
カップル女 だって暑くない?
カップル男 それもそうだね。
マスターがカウンターに戻っていく。
男 あるんじゃん、枝豆。
カップル女 乾杯しよ。
マスター ありますよ。
カップル男 はい、カンパーイ。
マスター 食べるんですか、枝豆?(驚き)
カップル女 お疲れー。
マスター ホットコーヒーで
カップル男 お疲れー。
男 なんで?美味しいでしょ、枝豆。
マスター いや、組み合わせの問題だと思うんですけど。
男 よく言われるよ。俺はコーヒーでおにぎりいけちゃうタイプだから。
マスター そうですか、じゃあ・・・。
マスター 暑いですか?
男 そう?
カップル男 あぁー、残念。この枝豆イマイチ。
マスター 冷房上げますね。(男に)
カップル女 ゆでてないんじゃない?
カップル男 電子レンジ?
カップル女 そうね・・・きっと。
カップルの枝豆が止まらなくなる。
男がちらちらと腕時計を気にしている。
マスター はい、おまち。(枝豆を男に出す)
カップル男 でも、合うね。(ビールを飲んで、枝豆を食べる)
カップル女 うん。美味しい。(枝豆を食べて、ビールを飲む)
カップル男 でもよ、いまのレンジって凄いんだろ?
カップル女 知ってる。ウォーターオーブンってやつでしょ?
カップル男 またオーブンかよ。ヘルシーレンジとかって言うんじゃないの?(スマホに戻る)
男 美味いね、枝豆。(腕時計を見るしぐさをまだやめない)
カップル女 オーブンレンジで調べてみたら?
カップル男 オーブンレンジか・・・。何これ?石釜って出てきたよ。
カップル女 何それ?
カップル男 だって、ほら。(画面を見せる)
カップル女 ほんと、石釜ドームだって。(スマホをすぐにカップル男に戻す)
カップル男 やっぱ、石釜なんだって・・・。
カップル女 ほんと。
カップルの枝豆とビールが止まらなくなる。男は腕時計を見るしぐさが頻繁になり、しきりにコーヒーと枝豆を繰り返す。
カップル女 (ビールを一気に飲み干して)なんか寒くない?
カップル男 そう?
カップル女 トイレいってくる。
カップル女が立ち上がって舞台下手に退場。
カップル女がいなくなると、舞台上の人物の動きがゆったりとなり、止ったように静かになる(ストップモーションでは無い)。
帽子の男もギターを止めて静かにしている。
カップル女が再登場、舞台上の人物は動きを正常のテンポに戻す。
カップル女 ただいま。
カップル男 おう。
カップル女 やっぱり寒いね。(座りながら)暖かいの飲みたいわ。(立ち上がる)
カウンターまで歩いてマスターに話しかける。
カップル女 すいません。あったかいお茶ってもらえます?
マスター お茶?緑茶ですか?それは、さすがに・・・バーなもので。
カップル女 そうですよね。バーですもんね・・・。(カウンターの男を見る)
男はすさまじい勢いで枝豆、コーヒー、腕時計を見るを繰り返している。
カップル女がそれをじっと見ている。
帽子の男がカウンターの男の動作にあわせて「キューピーの3分クッキング」のようなテンポの良いリズムを刻む。
カップル女 あれ、ホットコーヒーですか?
マスター そうです。
カップル女 同じもの、もらえます?
マスター わかりました。
カップル女がテーブルに戻ろうとして、引き返す。
カップル女 冷房、ききすぎじゃないですか?(マスターに小声でささやく)
カップル女、テーブルに戻りながら「頬を膨らませて、両手で両腕をさするしぐさ」をして、マスターを見て「ね?」ってしぐさをする。何回か繰り返しながら、テーブルに戻り、椅子にゆっくりと腰掛ける。(ダンスのように行うが、音楽・ギターは無い)
マスターは、首をかしげながらコーヒーを入れる。
カウンターの男は、落ち着きを取り戻し、周りの風景を見ている。時折り、腕時計を見る。
カップル男は、スマホをいじっている。
カップル女は、カップル男の顔をじっと見ている。
帽子の男は、ゆっくりとギターを置く。グラスに酒を注ぐ。グラスの酒を照明に翳し、舞台上の人物をコハク色の液体を通して観察し、ゆっくりと酒を飲む。笑顔、ゆったりと目を閉じる。
マスターがマグカップのコーヒーをカップル女のテーブルまで運ぶ。
カップル女 ありがとう。
マスター お待たせしました。
マスターがドアのところまで行って、ドアを開けて外をのぞく。
カップル女 美味しいよ。(カップル男にコーヒーを差し出す)
カップル男 何これ、コーヒー?(カップを受け取る)おっ、いい香り。
マスター うわぁー。満月ですよ!(顔をドアの外に出したまま、大声で)
マスターがドアを開けたまま、戻ってくる。
マスター 大きい。今日の月は大きいですよ。(喜びいっぱいに)
みなマスターの顔を見るが、誰も立ち上がらない。
マスター いやあ、大きい。今日のは大きいです。
男 そう?
マスター いい風も吹いてますよ。
男 え?
カップル女 あっ・・・今日、スーパームーンってやつじゃない?
男 なに、扇風機の話?
マスター そうですよ、スーパームーン。絶対それですよ。
カップル男 正確には、明日だって。(スマホを見せる)
カップル女 へえー、そうなの。この辺でも見れるの?
カップル男 見えるんじゃない、晴れてれば。
誰も外を見に行こうとはせず、マスターはドアを閉じる。
男 そろそろ行こうかね。
マスター え?帰るんですか?満月なのに
男 帰るっていうか、まあ月もきれいだって言うからさ・・公園でも歩くと気持ち良さそうだし。
マスター そうですか・・・こう、ウイスキー飲みながら満月の夜をってのは?
男 まあ、テラス席でもあればね。
カップル男 マスター、明日だよ。満月
男 お会計もらえる?
マスター はい。
男はマスターが出した金額の紙を見て、金額を払う。
その様子を見て、帽子の男がギターを手に取る。小さくカットで不協和音に近い音を繰り返す。
男 マスター、ありがとう。
男がドアに近づく度に、帽子の男の不協和音のカッティングの音が大きくなる。男がドアノブに触れたときに最大限で大きく不協和音を響かせ、その後不規則なカッティング、身を捩りながらギターを演奏する。
震度4から5の地震が発生。
帽子の男は身体を静止させ、不規則・大小のカッティングを行う。
舞台上の人物たちは、それぞれに揺れ、恐怖、驚きを表現する。
グラスが落ちる音。
本が落ちる音。
舞台上の人物(帽子の男以外)は最後にテーブルの下にそろって寄り添う。
激しく横に揺れるテーブル。
静寂。
カップル女 大丈夫・・・?
マスター いやぁー、これは。
カップル男 マジかよ。マジかよ・・・。マジかよ。
マスター いやぁー、いやいやいやいや。
カップル女 怪我してない?大丈夫・・・?
それぞれ立ち上がって、うろうろする。
マスター ちょっと外の様子、見てきます。
カップル女 ちょっと・・・大丈夫、危なくない?
カップル男 俺も見てくる。中の方が危ないだろ。外だったら地割れとか無い限り大丈夫でしょ。
カップル女 建物のガラスとか
カップル男 道の真ん中歩けば、大丈夫だよ。
マスターとカップル男女、店を出る。
男はじっと立っている。ドアの方に歩き、自らドアを閉める。
静寂。
男 まいったな。(ぐるぐると同じ場所をゆっくり歩く、立ち止まる。また歩く)
静寂。
男 まいったな。
黒い帽子の男がギターを抱いて、目を閉じる。地面に足を着いたまま、ゆっくりとロッキングチェアを揺らせる。
暗転
一幕了
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