「そのまえに」

恭介は、でっかいアイスコーヒーを持って席にもどってきた。

「おっ、ちいさい。」

そう恭介は言って、タカシのカフェラテを覗き込む。

「おっ、おおきい。」

今後はそう言って、手のグラスに驚いたふりをする。にっこりと笑顔を浮かべて向かいに腰掛ける恭介を、タカシはしらじらとした目でみつめていた。

「さて、」

と口を開いたタカシを、恭介は唐突にさえぎった。


舞台は、どこにでもあるフランチャイズのコーヒーショップ。恭介とタカシがテーブルをはさんで座っている。


恭介   本当に感謝してるんだ。僕も思っていなかったことだけど、なんでそんな気持ちになったのか判らないけど、今回のことは僕自身も驚いてる。とても大事なことなんだ。

タカシ なんで、舞台なの?

恭介   だから夢

タカシ みるんだろ?

恭介   毎日じゃないけど

タカシ だから・・・なんで舞台の夢なの?どんな夢なんだよ。舞台に立ってる夢か?舞台を見てる夢なのか?

恭介   舞台には立ってないな・・・きっと。僕が、こうカーテン越しに観客を見ていて、カーテンは閉まってて見えないけど、向こうに客がいるのがわかるんだ

タカシ なんで舞台に立ってないのにカーテン越しにお客がいるんだよ?

恭介   舞台袖にいるんだよ、きっと。それで、ずっとどきどきしてる。

タカシ ふうーん

沈黙

タカシ それって、自分が見えてるわけ?

恭介    なに?

タカシ だから、それって・・・こう上から見てるの?それとも自分はいない?いないって言い方はおかしいけど・・・こう前から、いま見てるみたいに見てるの?言ってることわかる?

         間

恭介    わかるけど、つまり夢のなかでの自分の視点ってことだろ?

タカシ そうそう

         間

恭介    それって大事なの?

タカシ 大事だよ。

         間

恭介    大事なの?

タカシ 大事だよ。

     長い間

恭介    大事?

タカシ 大事。

        短い間

恭介    こう・・・上からかな?

       間の後、テンポよく

タカシ やっぱりね。

恭介    やっぱりって

タカシ そう思ったよ。

恭介    何か恥ずかしいな。

         無言で二人、アイスコーヒーを飲む

タカシ やっぱりね。

恭介    やっぱりって

タカシ そう思ったよ。

恭介    何か恥ずかしいな。

       無言で二人、アイスコーヒーを飲む

タカシ 思ったよ。

恭介    恥ずかしいな。

タカシ 思った。

恭介    そう言うなよ。

タカシ おまえはそういうやつだから。達観的に

恭介    恥ずかしいな。(照れる)

タカシ 見てるというか

恭介    恥ずかしい(大いに照れる)

タカシ 馬鹿にしてるのか?

恭介    え?

タカシ 俺たちのことを馬鹿にしてるだろ?

       間

恭介    え?

       間

タカシ 。

恭介 。

タカシ 。


 タカシはしばらく黙った後で「なんで演劇なんてやってるんだろうな」と言った。

「俺だって思うんだ。こんなことやって学生の期間を過ごしてさ」

「そりゃ楽しいけどさ、」

「いつか終わる時間じゃないかって、思わなくもない。」

グラスのコーヒーをゆっくりと口に含み

「仕事にするべき世界では無いんじゃないかって、気付いてもいる。」

そうタカシは言った。


「これまで時間も費やしてきたし、それなりの自負や思い入れだってある。お前より舞台のことを解ってると思うぜ、俺は。」

恭介は、何かを言おうと思う。でもタカシは遮るように言葉を続ける。

「お前は演出をやりたいと言う。演劇をやりたいと言う。興味を持ってもらうのは嬉しい、やればいいさ。」


「協力するよ。」

タカシはそう言って、ポケットから煙草を出して火を付けた。

「役者だって演出助手だって、なんだってやってやるよ。」


「どんな世界に興味があるんだ、お前は?」

そう言ってゆっくりと煙を上に噴き上げた。


 リアルという感覚は、客観的に捕らえると滑稽に思えることがある。ひりひりとした『生きている』という実感は、何気ない日常の中にもあり、決して非日常的な体験のみが生きているという実感を再認識させるわけでは無い。

例えば、交通事故にあって死にかけたという状況になれば、改めて生きているという感覚はリアルなものとして感じることはできる。そうした極端な死と直面する機会自体はそう無いにしても、リアルに生きていると実感する感覚は不快なものではない。むしろそうした感覚が今生きていることそのものを肯定し、これで良かったと思い直す機会ともなり、次の人生の選択へと肯定的に促してくれたりもする。

さて・・・リアルという実感は、日常的な中でどう繰り返されているのだろうか?生を肯定する感覚は、実感として心を専有的に占める強い気持ちで無くとも、常に感じている感覚で無くてはならない。

そうでないとすれば、人は生きるという行為に意味を見出せず、自然に死を選択することになるだろう。そうした状態は不安定であり、不健康な状態である。人間が自我という意識命令に従う有機的なロボットのようなものであるとすれば、そうした個体は自ずと死を選ぶ行為を選択肢として選ぶことにもなるのだろう。

つまり、感情のトーンが低いとしても、人は生きているという実感を常に認識し、正しく『生き続ける』という選択肢が選ばれるように生理的に自らの意識を導いている。簡単なことで言えば、食事に対する欲求であり、美味しいと感じられる実感であったり、トイレで排泄を行った際に感じる開放感であったりする。その感覚こそがリアルであり、生きているということに他ならない。


「うんこしたときに、『ぱあぁぁー』って目の前が明るくなる感覚って無い?」

「なんかわかるな・・・それ」

「つまりそういうこと。」

恭介はそう言って笑った。

「リアルに『生きている』って実感できる日常的な時間と空間を再現したい」

「非日常的な時間と空間にか?」

「そう。」

「つまんねえやつだな、お前は」

タカシはそう言って笑った。それから、ゆっくりとアイスコーヒーを飲んだ。

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