第3話 魔術がつかえませんっ!

「へぇ、中はこうなっているんですか」


 シャッターと呼ばれる持ち上げ式の扉を潜ると、そこは何も無いガランとした空間でした。

 天井も高く、僕の身長のさらに二倍ほどはあるでしょうか?


「ここならば天井も高いし、ヤマダさんでも問題なく生活できるでしょ?」


 たしかにここならば天井に頭をぶつけたり、ドアに体が挟まって動けなくなくなったりする事も無いでしょう。

 ただ、ちょっと埃っぽいですね。


「ちょっと暗いので明かりをつけますね……光あれ!」


 僕はいつものように明かりの魔術を使ったのですが、なぜか全く反応はありませんでした。


「……あれ?」


 それどころか、魔力の動く気配すら無いし。

 これ、どういうこと!?


 首をかしげていると、横で夏美さんがクスクスと笑いました。


「ダメですよ。

 ヤマダさんの世界の魔術は、そのままでは使用できません」


 えぇっ、それすごく困るんですけど?

 日用魔術すら使えないって、どうやって生活すればいいんですか!?


「でも、そのままでは……と言う事は、何か使う方法があるんですよね?」


 僕の予想通り、夏美さんは大きく頷きました。


「はい。 ヤマダさんの知っている魔術や魔法は、元になっているエネルギーやシステムが存在しないので、この世界では作動しません。

 なので、この世界のシステムとエネルギー源で再構築する必要があるんです」


 なんだか面倒そうな話ですね。

 まぁ、そういうの考えたりいじくるの嫌いじゃないですけど。


「異世界の存在である僕がこの世界のシステムに触れても大丈夫なんですか?」


「どうもこっちの魔術システムがかなり融通のきくもののようでして。

 今までやってきた異世界難民の皆様も、こちらのシステムをある程度理解すれば問題なく元の世界の魔術を再構成できたようですよ」


 なるほど、この世界はわりとアバウトな魔術体系なんですね。

 もしかすると、イメージがそのまま魔術として発現するタイプでしょうか。


「ただ、簡素な法則で放たれる魔術よりも、複雑な法則で放たれる魔術のほうが威力もあって微調整もききやすいようですよ。

 一説ではその労力を魔術の代償として世界に捧げたことになっているからだ……という説もありますが、まだまだ研究中ですね。

 まずはこれをどうぞ」


 そう言いながら、夏美さんは一冊の本を差し出しました。


「これ一冊でわかる基礎魔術講座……ですか」


 つまり魔導書と言うことでしょう。

 うーん、魔導書というと抽象的な言い回しや難解な構文が多くて、自分なりにノートをつくりながら解読する必要があるんですよね。

 なじみのない言語で書かれたものとなると、大変な作業になりそうです。


「はい。 その本を読んで基本的な魔術の法則を勉強してください」


 笑顔の夏美さんから魔導書を受け取ると、僕はなぜか期待の視線を浴びながらページをめくりました。

 いったい何があるというのでしょうか……?


「なんですか、これ!?

 ありえないんですけど!!」


 次の瞬間、驚愕のあまり僕の全身汗だくになってしまいました。


 なんと、その魔導書には異常とも思えるほどに文字がすくなく、簡素で抽象的な絵がほとんどを占めてました。

 しかも、その内容が普通ではありません。

 犬と人間が、会話形式でこの世界の魔術について語り合っているのです!


 おまけに、その内容のわかりやすいこと……。


「秘匿すべき技術である魔術をこんなわかりやすく本に書いてよいのでしょうか!?」


 それはあまりにも想定外のことでした。

 魔導書とは技術を秘匿するために他人にわかりにくく書くのが普通だからです。

 それこそ、同門のものにしか理解できない符丁や暗号がそこかしこに仕込まれているものなので、この一冊を解読するのに数年はかかると思っていたんですが……。


「異世界から来た方々はみんなそうおっしゃいますね。

 これは日本名物の、漫画式解説書です。

 お気に召しましたか?」


「お気に召すも何も、これは……これは完全に僕の理解の外です。

 画期的な方法ですが、常識はずれすぎて理解が追いつかないというか……」


 日本の文化恐るべしです。

 正直、これはショックでした。


「こちらの世界では知識の共有という概念があるので、よほどの機密情報でも無い限り新しい技術は論文などで購入できるのです。

 さらにその知識をわかりやすく解説することで収入を得る文化もあるので、この手のものはいろいろとあるんですよ。

 なんでしたら、アニメで見る魔術講座と言う代物もあるんですが、どうします?」


「やめてください。 アニメが何かはわかりませんが、これ以上ショックを受けたら頭がおかしくなりそうです」


 僕が首を横に振ると、夏美さんは満足そうに笑いました。

 たぶん、僕がこうなることを予想し、期待していたのでしょう。


「では、私は別の職務があるので、一端失礼しますね。

 後で戻ってきますが、何かあれば警備の人が何人か残っておりますので彼らにお尋ねください」


 そう告げると、夏美さんはその建物の外へと行ってしまいました。

 たぶん僕に危険は無いと判断したのでしょうが、ちょっと寂しくもあります。


 なお、警備の人は僕を監視するためではなく、異世界を知るためのサンプルとして僕を狙う連中への警戒なのだそうです。

 ……異世界、おっかないです。

 もとに世界にも似たような連中は少なくなかったですけどね。


「あの、入り口で本を読みたいのですが」


 残っていた警備の方にそう尋ねると、快く了承していただけました。

 さぁ、お勉強開始です。


 とりあえず、椅子が無いので床に座るしかありませんね。

 布を腰に巻いただけなので、地面に触れたお尻が冷たいです。


「ふむ、この世界で魔術を使うにはなんらかの宗教カルトに基づいたシステムを理解する必要があるのですね。

 お勧めは星の霊の力と精霊の力を借りる新約西洋魔術という宗教カルトか、五行の法則というものを使う近代陰陽道という宗教カルトですか。

 いろいろとつまみ食いしてもいいようですし、一通り試してみるのも悪くなさそうですね」


 この世界の魔術も、色々と面白そうです。


「まずは試してみますか。 警備のお兄さん、今日は何曜日ですか?」

「金曜日ですね。 新約西洋魔術の触媒にするなら、そこのキンポウゲがお勧めですよ」


 僕の質問で、警備のお兄さんは何がしたいのかを悟ったようです。

 さすが地元の人間ですね。


 そして僕は警備のお兄さんのお勧めどおり、キンポウゲという黄色い花を一輪摘むと、金星の霊の秘められた名を呼びました。


「Kedemel」

 そう呟いた瞬間、キンポウゲはエメラルドの光を放ちながら僕の手の平で細かな緑の鱗粉とその姿を変えたのです。


「これがティンクチャーですか」

 僕が選んだ新約西洋魔術では、魔力ではなくこのティンクチャーと呼ばれるものを主に消費して魔術を使うようです。

 そして僕が魔術の第一歩を成功させ、次は何をするか決めるために適すとを読み返そうと思ったその時でした。


「ニャー」


 なにやらモフモフとした……僕の片手の手の平にちょうど納まるぐらいの生き物が、甘えた声と共に近づいてきたのです。

 その生き物は僕の膝の上にヒョイと飛び乗ると、足元に体を摺り寄せてゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らしはじめました。


 えーっと、とりあえず危険はなさそうですけど、これどうしましょう?

 助けを求めて警備の人に目を向けると、彼はニッコリと笑ってこう言いました。


「ヤマダさん、猫に懐かれてますね。

 猫は金星や月の星霊と相性のいい生き物ですから、さっき作った金星のティンクチャーに反応したのかも。

 人に慣れているみたいだし、首輪があるからどこかの飼い猫かな?」


「こ、これは猫と言う生き物なのですか?」


「かわいいでしょ?」


「え、えぇ、まぁ……ちょっと身勝手な生き物ですけどね」

 

 魔王城の猛獣ばかり相手にしていたので馴染みはありませんでしたが、実を言うとこういうモコモコしてちっちゃな生き物は大好きです。

 魔王城の奴ら、モフモフどころか粘液を纏っていたり、棘だらけだったりして触り心地悪いんですよね。


 そんな事を思い出していると、ふたたびどこからともなくニャーと声がして、今度は白地に黒いブチ模様の猫さんが僕の膝に上がりこんでしまいました。


「おや、またですか。

 ヤマダさん、猫に懐かれやすいみたいですね」


 だが、警備の人がそう告げた次の瞬間……。

 ニャーニャーニャー

 どこからともなく、そんな大合唱が聞こえてきたのです。


 え、ちょっとまって……なに、これ?

 あっ、あああ、猫さん、いいえ猫さま、おやめください!

 もう、無理です! 限界ですから!!

 それ以上は、それ以上はなにとぞ!!



「あの、ヤマダさん。 それ、どうしたんです?」


 戻った来た夏美さんは、僕の状態を見て驚きに目を丸くしてそういいました。


「た、助けてください……」


 僕の体は、押し寄せてきた無数の猫さんたちの下じきになり、完全に占拠されていたのです。

 もはや魔術の練習どころではありません。


 あまりにも数が多すぎて身動きも出来ず、猫さんたちを押しつぶさないようにするにはこうして仰向けになって動かないようにしているしかないんですよぉ!

 ど、どうしてこうなったのでしょう!?


 そして助けを求めた夏美さんですが、彼女は手の平サイズの板のようなものを構えて僕にこう告げたのでした。


「SNSにアップしていいですか?」


「SNSが何かは存じ上げませんが……それ、何かこの状況を改善してくれるのでしょうか?」


「いいえ、まったく」


 その後、夏美さんの語ったところによると、僕の恥ずかしい姿は「マッチョと猫」という名前で10000個ちかい「イーネ」とやらがついたそうです。

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