72 人間らしい生活の中で、肯定から小説を始めたい。

 最近、「生活」というものについて考える。

 コロナ禍の自粛生活の影響もあって、明日の朝ごはん用のホットサンドと弁当を夜に作るようになった。


 緊急事態宣言が明けたら作らなくなるかな? と思ったけれど、今も続いている。平日の夜は夕飯の後にお風呂に入ってから、朝ごはんと昼の弁当作りがプラスされて、小説やエッセイを書く時間が一日一時間くらいになってしまった。


 その分、仕事の帰り道(40分くらい歩いてる)にバラエティーや海外ドラマ(今はエレメンタリー ホームズ&ワトソン in NYかトッケビ)を見たり、夕飯を食べる時も流してたり、お風呂を半身浴にして、本を持ち込んで読んだりしている(今は松田青子の「おばちゃんたちのいるところ」)。


 料理をする時もラジオやユーチューブを流している。エンタメに触れている時間は多いし、パソコンの前に座っても本を読んでキーボードを叩かないってこともある。


 今の生活を二十代の頃の僕が知ったら絶望するのだろうけれど、この今を生きる僕はなかなか充実していて悪くないと思っている。

 それがなんだか不思議だ。

 というのも、二十代の僕にとって生活は小説やエッセイを書く為にあったから。


 毎日パソコンの前に座ってキーボードを叩かないと、いつか小説やエッセイが書けなくなる、と当時の僕は信じて疑っていなかった。

 何事もそうだけれど、がむしゃらにやり続けるべき時間というのは絶対にあるし必要だ。

 けれど、初心者の頃のやるべきことが十年続けてきた人間にも適用されるか、と言えば、ちょっと疑問が残る。


 小説やエッセイを書く上で毎日書くことは、もちろん大事だし、続けるべきだと思う。ただ、それを18歳頃から続けて、何者にもなっていない僕が、それで良いのかというのもある。

 というか、大前提として僕は小説やエッセイを書く才能はない。少なくとも賞を取ったり、書籍されるような才能はない。


 ない、と言うと語弊があるとすれば、今は価値がない。

 これは、あくまで僕はそう思う、ということだ。

 そして此処がスタート地点だと思う。


 30歳もそろそろ10ヶ月を過ぎた。

 二十代の頃の常識や意識を手放しても良い頃合いなのだろう。もちろん、それは手放さなくてもいい常識や意識はある。精査は必要だ、何事においても。


 ただ、手放さければ腐って周りをダメにしてしまう常識や意識もある。

 僕の以前までの生活は小説やエッセイを書く為にあった。

 考えてみると、それはおかしい。

 おかしいと気づくの二十代丸ごとかかった、というのも恐ろしい話だ。


 生活を辞書で調べると以下のように出てくる。


 ――《名・ス自》生きて生体として活動すること。「野鳥の―」「芸術―」。世の中でくらしてゆくこと。また、そのてだて。くらし。


 生きていくことが生活の主で、それ以上を求めるべきではない。ただ生きることは、つまりただ生活することで、それはそこで完結している。

 僕は、ただ生きている。

 もしも、明日死ぬとしても、僕は明日の自分の為に朝ごはんと弁当を作りたい。それを明日の僕が食べないとしても、生活とは常に明日を生きることを前提に作られているから、僕はそうしたい。


 そうできる人間でいたい。

 けれど、同時に人間の人生が生活をするだけで完結するほど短いものではないことは知っている。

 平日で言えば、一時間。休日で言えば、もっと多くの時間を僕は自由に使うことができる。

 そこで、僕は小説やエッセイを書く。

 書いているけれど、その動機は何なのだろう? とも最近は考える。


 小説を書き始めたきっかけは?

 と聞かれたら村上春樹の「ノルウェイの森」の結末に納得ができなくて、ワタナベトオルと直子が幸せになる「ノルウェイの森」を書いてみたかった、と答えている。

 これは嘘じゃないけど、本質的なところで環境もあったんじゃないか、と思う。


 そんなことを思ったきっかけは、イルメラ・日地谷=キルシュネライト編の『〈女流〉放談-昭和を生きた女性作家たち』に収録されている、河野多恵子のインタビューを読んだからだった。


 河野多恵子が文学を書き始めたきっかけを「はっきりしないんですの」と答える。それでも、環境としてあったのは、「数え年の二十歳、十九歳四か月」の頃に訪れた終戦。


 ――私にはね、もう始まっているべき人生がまだこう、止められているという感じがあったの。それで終戦になった時、こういうこと言うと戦死なすった方たちに悪いけど、非常な解放感があったの。


 河野多恵子は自分が文学を志したきっかけを、この終戦後の「解放感」に求めつつも、終戦という体験がなかったとしても、文学を書いたんじゃないかという気がする、とも言う。

 それに対して、インタビューをしたイルメラ・日地谷=キルシュネライトは以下のようにまとめる。


 ――もし戦争が終わった解放感が、お書きになるきっかけだったとすれば、普通の場合とちょっと違いますね。普通は、たとえば結婚してその生活に満足できず、自分で何か表現するものが欲しくて書き始めたとか、つまり何らかの困難に突き当たって初めて、書く意欲が湧いてくる、そういうものが多いようですが、それとは違いますね。解放感というか、どちらかと言えば肯定的な……。


 これに対して、河野多恵子が食いぎみに「それ、それです、肯定!」と言う。

 河野多恵子のこの文学や感覚における純粋さが僕は好きで、それを通して「文学」そのものを好んでいるところがある気もする。


 何にしても、河野多恵子の文学の根底にあるのは否定ではなく、「肯定」なんだと言う。

 この感覚が分かると言って良いのか分からないけれど、僕も否定的な(何らかの困難に突き当たって初めて、書く意欲が湧いてくる)ものから始まっている、というよりは、「ノルウェイの森」という小説の別の可能性とかって言う妄想から始まっている。

 だから、何か困難があったとは言い難いとも思いつつ、もしも僕が高校時代の家庭環境がぐちゃぐちゃで家にいたくないって考え続けるような日々でなくとも、小説を書いていたのだろうかと思う。


 河野多恵子が終戦の解放感から文学を志したように、僕も実家から離れたいという意思から小説を書こうとしたような気もする。

 そこには「もう始まっているべき人生がまだこう、止められている」と言うほど切実な感覚ではないけれど、抑圧されたものはあった。


 アル中寸前の父親と共の生活は砂を噛むような味気なさと、一日一日を如何に穏やかにやり過ごしていくか、に頭を捻っていたからこそ、小説という逃げ場所が欲しかったというのは間違いない。

 そういう以前の生活を鑑みると、今の生活は平和そのもので、人間らしいものになっているなとも思う。


 そして、できるなら、この人間らしい生活の中で小説を生み出したい。それが、河野多恵子の根本にあった「肯定」と繋がるものであるとも思うから。


 僕は根本的には肯定的な場所から小説を始めたい。

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