68 手塚治虫が描く「記号絵」を引き継いだエロ漫画の歴史。

 エロ漫画にはうんざりだ!

 って、叫びたくなる瞬間が時々あります。そんなにエロ漫画を読んでいるのか、と問われると全然なんですけどね。


 この手の話って昔の方が良かったみたいな方向に進みがちですが、昔のエロ漫画と今を比べるなら断然、今なのでは?と思っちゃう部分はあります。

 というのも、今絵を描かれる方の技術の進歩は凄まじいものがありますから。


 それでも言いたいことは、エロ漫画のご都合主義と予想通りすぎる展開にはうんざりだ!

 いや、エロければ何でも良いみたいなスタンスなんだと思うんですけどね。更に言えば、売れればそれで良くて、売れっ子漫画家ってとんでもない売上になるらしいんですよね。


 僕が販売というか、帽子屋で働いていた頃の後輩が数年後に会って「俺、エロ漫画家になりたいんっすよ!」と言った理由の一つは儲かるからというものでした。


 考えてみると、納得できる部分ではあるんですが、今は海外でも売れるシステムができつつある、というのも大きいのでしょう。

 エロは世界共通なんだと思うと、人間の三大欲求って侮れない。


 ちなみに、お笑い芸人のニューヨークがyoutubeで「このエ●マンガがすごい!2020 ジェラードンにしもと・ニューヨーク屋敷・そいつどいつ松本が本音で語る最新漫画事情」という企画をやったことがあります。

 そこで語られたのはエロ漫画(正確にはエ●マンガか)は、現実じゃないから良いんだ!ってことでした。


 結局そこに尽きるんだろうな、というのが一つの納得ポイントでした。後輩がエロ漫画を描きたい理由も、自分の望むシチュエーションがないから、というものでした。

 その情熱はすげぇ。


 現実にはないエロ漫画の根底にあるものとして、大塚英志は「「おたく」の精神史 一九八〇年代論」で手塚治虫の発言を引用しています。

 それは以下のような内容でした。


 ――〈僕(手塚治虫)の画っていうのは驚くと目がまるくなるし、怒ると必ずヒゲオヤジみたいに目のところにシワが寄るし、顔がとび出すし、そう、パターンがあるのね。つまりひとつの記号なんだと思う。で、このパターンとこのパターンと、このパターンを組み合わせると、ひとつのまとまった画らしきものができる。だけどそれは純粋の絵画じゃなくて非常に省略しきった記号なのだと思う(中略)。つまり、僕にとってのまんがというのは表現手段の符牒にしかすぎなくて、実際には僕は画を書いているんじゃなくて、ある特殊な文字で話を書いているんじゃないかという気がする〉(『ぱふ』九七年一〇月号)


 ちなみに引用した中で「符牒」という単語を僕は知らなくて、調べました(無知ですみません)。


 ふちょう【符丁・符牒】

1.商店で、商品の値段を表す隠語・記号。

2.合図のための隠語。あいことば。


 なるほどなぁ。手塚治虫が言いたかったのは2の意味合いになるんだろうけれど、つまり彼にしか分からない「合図」「あいことば」が、あの夥しい数の漫画と言うことになるのだろう。


 そういえば、少し話はズレるけれど、書評家の三宅香帆が「手塚治虫記念館」へ行った話をネットの記事で書かれていて、「令和の働き方改革に慣れた20代は戦慄していた。」と言うほどの年表やインタビュー動画が「手塚治虫記念館」にはあるらしいので、ちょっと行ってみたい。

 兵庫県宝塚市なので、関西に住んでいる身としてはそんなに難しくない。


 話を戻して、さきほど引用した手塚治虫の言葉を受けて大塚英志は以下のように書きます。


 ――手塚は自分が描く女性は現実の肉体を「写実」したものではなく、女性の肉体を符牒として示したにすぎない、という。つまり手塚においては、現実の身体及びそれに向けられた欲望と、彼の絵は切断されている。


 手塚治虫自身自分の絵は「ひとつの記号なんだと思う」と書いている訳ですしね。

 けれど、大塚英志は「手塚が自嘲した「記号絵」による性表現、それが、いわゆる「ロリコンまんが」の本質であり、新しいエロティシズムの形であった」と書きます。


 手塚治虫の記号的な絵って本当にエロいのか、は一つ検証の余地がありますが、その部分も大塚英志は本編で中島梓の言葉で「手塚治虫が、たとえば宇宙人ウサギのボッコ、ライオン、レオ夫人のライヤ、ムービーのタマミ、といった異生物のヒロインを描くとき、どうも不思議な色気が――人間の女には感じられない色っぽさが出てきてしまう」という部分を引用していました。


 何にしても、エロ漫画って記号的な文脈を持ってここまで進化してきた部分があるんですよね。もちろん、写実的なエロ漫画もあると思うんですが、好まれているのはお笑い芸人のニューヨークが言っていた現実じゃないから良いに通じる記号的な方の印象です。

 そして、記号的なものであるからこそ、そこにあるパターンとかルールを理解していけば、実はエロ漫画って誰でも描けちゃうもので、それ故に僕の後輩も描こうと思うんっすよ!って言って来た訳ですよね。


 この誰でも描けるって思わせることは業界にとっても重要な部分があって、「異世界居酒屋「のぶ」」の作者、蝉川夏哉がツイッターで「「ライトノベルは誰でも書ける」は偽なんだけど、「ライトノベルは誰でも書けると思ってもらわないと先細って死ぬ」は真なんですよ」と呟いていて、強く頷いてしまったんですよね。


 ライトノベルはある時期、必死に記号的なパターンやルールを作ろうとしていたんですよね。その時期のライトノベルに僕はうんざりしてしまって離れた読者なんですが、それが業界的には必至な足掻きの一つだったんだと思うと、感慨深いものがあります。

 そして、そんなライトノベル業界がどうなっているのか、僕にはよく分かりません。


 などと書いていると結構な分量になってきました。まとめに入りたいと思います。

 帽子屋時代の後輩は仕事中の雑談では当時のカノジョの相談ばっかりでサブカルな話題を口にした記憶はありませんでした。ぱっと見、高身長でお洒落でもありました(帽子屋でアルバイトしたい大学生なんてお洒落以外の何ものでもないですよ)。

 そんな彼が今はIT関係の会社に入社し、良いなぁ!って言いたくなるような給料とボーナスを貰っていながら、「俺はエロ漫画家になるんだ!」って言っているんだから、面白いしかありません。


 ただ、まぁどうしてエロ漫画かって言うと、敷居の低さみたいなところが起因していたのかな、と僕は思ったという話を今回したかったんです。

 細かいところで、エロ漫画特有の擬音や効果音というのがあるんですけど、それがもう「合図」になってエロく見えるって言うのもあるから不思議です。


 ということで、今週はこれくらいで。

 ちなみに、まじでまったく関係ないですが、これが更新される付近に弟の誕生日があって二十九歳になります。

 弟が二十九歳……。

 あと、一年で三十歳! やべぇ、なんか分かんないけど、やべぇしかない。


 さて、二週続けてエロ関係だったので、次回はほっこりラブレター回をしようと思います。多分、全然ほっこりじゃないけど。

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