66 「望めばなににでもなれる自分」を捨て、一つだけの席につく。
今回が4月最後のエッセイの更新で、5月から半年は一週間の連載を不定期にして小説を書こうと思います。ただ、本当に小説が書けていないので、半年とか言いつつ一年くらいエッセイを不定期連載にするかも知れません。
その場合は、またお伝え致します。
半年エッセイを書かない代わりに小説を書くのですが、掌編をひと月に一本書こうとも思っています。それは「拳銃と月曜日のフラグメント。」に公開しますので、時々覗きに来ていただければ幸いです。
さて、エッセイを再開した、この半年間(2020年11月から2021年4月)なにがあったかなぁ、と考えてみたんですが、個人的なトピックスとしては30歳になったことでした。
ということで、30代になって2ヶ月くらい経った今、改めて20代というものを振り返ろうかと色々考えてみた結果、中村文則が浮かんできました。
中村文則は23歳か24歳でデビュー作「銃」を書いて、2002年に新潮新人賞を受賞して、純文学という世界で常に存在感を放ってきた作家でした。
僕が学生の頃、先生に君はこれを読んだ方が良いと言われて渡されたのが、中村文則の「掏摸」でした。二十代前半の僕は間違いなく中村文則のような作家になりたいと夢想していました。
けれど、そんな夢は叶わず、30歳を迎えた僕がいます。
中村文則がどこかで二十代の全てを小説に捧げた、というニュアンスのことをインタビューで答えていたのを見かけた覚えがありました。
ちはやふるの真島太一の「青春ぜんぶ懸けたって 新より強くはなれない」ではないですが、僕は二十代のぜんぶを懸けて、小説を書いたのだろうか、と改めて考えてみました。
書いていなかっただろうな、と思うんです。
そこにあったのは甘えです。
丁度、東浩紀の「ゲンロン戦記」にて、的確な一文があったので引用させてください。
――やるべきことを発見するというのは、ほかの選択肢を積極的に切り捨てることでもある。30代のぼくは、たんにそれが怖くてできなかった。臆病だったんです。だから、「望めばなににでもなれる自分」を守るため、なにもかもできるふりをして選択肢を捨てずにいた。とても幼稚な話です。
僕の二十代はまさに「望めばなににでもなれる自分」を守って過ごすような日々でした。純文学作家にも、エンタメ作家にも、ライトノベル作家にも僕は望めばなれるんだ、と心のどこかで思っていて、何者でもないからこその万能感に酔いしれていました。
だから、今この瞬間の僕がいます。
何者でもない、怠惰で、臆病な僕です。
僕はこの先の人生で「ほかの選択肢を積極的に切り捨て」ていくことを迫られるのでしょう。そうしなければ「やるべきことを発見」できないのですから。
そのタイミングを自分で選択できるのだとすれば、今はもう少しだけ何者でもない郷倉四季でいようと思います。
モラトリアムを謳歌する学生のようですが、大人になることを決して拒否しないでいたいとは思います。
さて、現状の僕はさきほども書いた通り何者でもなく、怠惰で臆病な人間です。そんな僕が、こうしてエッセイを書いてきて、時折「いっぱい本を読んでいますね」とか「知識が凄いですね」と、お褒めの言葉をいただくことがありました。
すべてが心から嬉しくて、一生宝物の中にそっと収めておこうと思う反面、その言葉たちを僕の手柄にするのは違うんじゃないか、とずっと考えて来ました。
そう考えていた本日、エッセイの中で中村文則について書こうと、インタビューを読み漁っていたら以下のような言葉にぶつかりました。
――もしかしたら、オリジナリティというのは、30代くらいから出てくるものなのかもしれないですね。20代の若い頃は、何かの模倣や影響のなかで揉まれて、30代くらいでオリジナルが熟してくるというように。だから、自分が何に影響を受けたのかということは、もっと前面に出してしまった方がいいのかもしれない。
なるほどなぁ、と腑に落ちました。
僕のエッセイは「何かの模倣や影響のなかで揉まれ」た中で生まれてきたもので、決してオリジナリティのあるものではないんです。
だから、エッセイでいただく言葉は僕の手柄が半分はあっても、もう半分は僕が「模倣や影響」された作品にあるんだと、改めて気づいたんです。
気づいてから考えたのですが、昔のエッセイに僕は似たようなことを書いた記憶がありました。
探してみると、「オムレツを作るためにはまず卵を割らなくてはならない。」の「⑩ 多様性の世界で。」に以下のような一文がありました。
――ただ、今も僕は僕の言葉なんてもっているつもりはありません。
僕の考えや、言葉はあくまでこれまで僕が読んできた物語や思想の蓄積でしかない、と思っています。そこにあるのは、好みか好みでないか、という選択があるだけです。
書かれたのは2018年6月27日で、当時の僕は二十七歳。
三年弱前の僕の結論と被ってしまうのは、成長していない証なのか、軸が変わっていないということなのか。
何にしても、今のエッセイの方が文章は滑らかになった気はします。うん、どこかしかは成長している。そう信じたい。
僕はこれから小説を書きます。
それを読んでもらった時、褒めていただけるのであれば、それら全てを僕の中にある一番大切な宝箱に収めて、「これは僕だけの手柄だ」と胸は張って言えるようになりたいと思います。
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