応援コメント

59 祭は世界を変えないけれど、言葉は容易に人を変えていく。」への応援コメント

  • ある状況を的確に表した言葉を知った途端、それ以外の表現が出てこなくなるような怖さがありますよね。だからこそ、ラベリングやカテゴライズというのは非常に人気で威力を持っているのだと思います。

    ただ、郷倉さんが仰るように、そのような分かりやすさにはある種の同調作用がある。アバター(仮想上の自分)が現実の自分の性格に影響を及ぼすみたいな、研究があるみたいですし、有名なスタンフォード監獄実験からも分かるように、役割付けって思った以上に人に影響を与えます。だからこそ、言葉による区分けって簡単なだけに怖いですよね。

    僕は「こんな人間です」という言説を避けたい。僕もそう思います。自己紹介というか自己PRが苦手なのはそういった意識もあると思います。ポジティブなことを言ったとしても無意識に「嘘つきだ」というカテゴライズを自分にしてしまいそうで、言葉にするのが怖いんですよね。

    でも、これからはそうはいかないのかなぁ。言葉を書いている人間として、これからどう言葉に向き合っていけばいいのか。それを考えていきたいですね。

    作者からの返信

    Askewさん、コメントありがとうございます。

    ある状況を取り出して、名づけるラべリングやカテゴライズはとくにSNS時代になってから、人気になった印象がありますね。
    自分が、そうだと名乗ると言うよりは、他人が他人に対して勝手に名づけるような形をよく見かけます。

    アバターが現実の自分の性格に影響を及ぼす研究は初めて知りましたが、ありそうな話ですね。
    前回同様、東浩紀の話を引っ張り出してきて恐縮ですが、3.11が起こるまでの彼はツイッターの呟きを架空の「東浩紀」というアバターを育てているような感覚でツイートをしていたが、それも3.11以降は虚しくなったと斉藤環との対談で語っていました。

    「僕はこういう人間です」と語ることが、SNSでの戦略になることは確かなのですが、Askewさんがおっしゃる通り、そこには嘘(あるいは誤解)が混ざり込んでくる可能性は高いんですよね。
    そういうものが、文章を書いていると絶対に発生してきますし、今の気持ちを誠実に書いても、明日には違ってくるかも知れない。

    続ける限り生まれてくる矛盾に、どう対処していくべきなのか、という点も向き合うべき一要素なのでしょうね。
    言葉は厄介で、考えるべきことは多いですね。

    Askewさんの答えが見つかりましたら、ぜひエッセイで書いてください。
    楽しみにしています。