53 真の紳士にはなれないので、紳士予備校生からはじめる。
noteをはじめたのが2020年4月12日で、カクヨムと併用して今も更新を続けています。区分けとしては、カクヨムが小説やエッセイと倉木さとしの小説、noteが日記とエッセイになります。
先日、noteの日記にコメントをいただき、「ファンとしての要望なのですが」と(気を使っていただいたのでしょう)、ご指摘をいただきました。
まとめると、文章量が多いので小分けにして更新頻度を上げてほしい、というものでした。
実際に他の方のnoteを読んでいると、紀行ものだったり評論、考察系は結構な長さのものが多いのですが、日記やエッセイ系はすっと読める短めのものが好まれています。
好む、好まない以前に誰が二十九歳、男性の日記を誰が長々と読みたいんだと言う部分はありますよね。
短くした方が読みやすいのは、もうおっしゃる通りなんですよ。また、このカクヨムのエッセイにしても、色々詰め込もうとして長くなっているパターンが多くて、短くて面白い内容をすっと更新できる方が格好良くないですか?
スタイリッシュに、というか。
こう、イケてる(死語)紳士って、長話をしないイメージがあるじゃないですか。長話というか、無駄話?
意味のあることを短くポンっと言って、あとは相手の話を聞いている、みたいな。
そういう紳士に憧れている僕がいて、人生を懸けての目標として粛々と目指している節があるんですよね。多分、吉行淳之介や村上春樹の小説を読み漁って、影響を受けた故なんでしょう。
ちなみに村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」の冒頭にて、以下のような文章があります。
――真の紳士は、別れた女と、払った税金の話はしないという金言がある――というのは真っ赤な嘘だ。僕がさっき適当に作った。すみません。しかしもしそういう言葉が本当にあったとしたら、「健康法を語らない」というのも、紳士の条件の一つになるかもしれない。
なるほど、別れた女と払った税金と健康法。
どれもたいした話ができないから、「語らない」とわざわざ言うことができない。
不甲斐ない限りだけれど、二十九歳(そろそろ三十歳)で真の紳士になれる訳がないので、この三つを語らない為に何かしら行動を始めなければならない訳だ(ややこしい)。
そんなことを考えてか、最近筋トレをはじめた。
語らない為の「健康法」の一歩だ。
何にしても紳士はあらゆることを長期的に考えているような気がしていて、村上春樹の「走ることについて~」の中でもサマセット・モームの「どんな髭剃りにも哲学がある」を引用し、「どんなつまらないことでも、日々続けていれば、そこには何かしらの観照のようなものが生まれるということなのだろう」と書いている。
つまり、日々続けていることに意識を向けてみろ、ということなんだろうけれど、僕にとってそれは何だろう?
毎朝職場まで三十分ほど歩いて出勤していることかな。
帰る時もだから、一日一時間くらいは歩いていて、その間にラジオやテレビの見逃し配信を見ているけれど、そこにどんな哲学があるんだろうか。
あるいは、帰り際に寄るスーパーで安くなっている食材を使っての夕食だろうか。
安くなっている食材には偏りがあるので、作る料理の顔ぶれも変わらない上に、僕自身それほど料理スキルは高くない。なので、新しい料理に挑戦すると時々失敗する。
うーむ。
前者は、合計一時間歩く程度のことだけれど、ちょっと良い靴を買ってみる、とかは楽しそうだ。なんとなく、足元を見る度に気に入った靴が目に入るのは哲学的な体験が引き出せそう。
って、書いてみたけど、本当に?
後者の夕食に関しては帰りにスーパーに寄るのではなく、土日に一週間の献立の材料を買っておいて、その通りに過ごしてみる。
これは完全に節約知恵でまったく哲学的な意味合いは持たないけれど、あらゆる料理に挑戦することは面白いし、小説の中で使うこともできそう。
よしながふみの「きのう何食べた?」という料理漫画があって、僕はドラマを見ただけだけれど、大好きだった。
そんなよしながふみが対談の中で「エッセイそのものは描かれないんですか?」と尋ねられた際、以下のように答えていた。
――今の私は「きのう何食べた?」がほぼエッセイで。人としゃべってて、「あーそうそう!」とか「うちの親もね」みたいな会話をほぼ「何食べ」に使っちゃってますね。
なるほど、日常のあれこれを作品に落とし込めるって良いなぁと思う。その際に誰もが日常的に関わる料理が物語世界と現実の橋渡しになっているのだから、上手いとしか言いようがない。
僕の場合は多分、今書いているエッセイやnoteの日記になるんだろうけれど、めちゃくちゃ荒いし、ネタ探しみたいに今回のような定まらない内容になってもいる。
我ながら、書きながら何か出て来るだろう、と思っていたんだけれど、何も出てこない。
ただただ、反省しているだけの回になりそうだなぁ。
そういえば、小説を書いていて参考にしようとして結局しなかった、さわぐちけいすけの「妻は他人」という漫画が、ずっとパソコン横に詰まれている。
この漫画は考えてみれば、その通りなんだけれど、言われないと「その通りだ」って頷けないような金言が幾つも散りばめられている。
個人的に好きなのは以下のものだ。
――結婚したからこそ得られる幸せ
子どもがいるから得られる幸せ
…は、確かにあるのだろう。
だが 結婚や子どもを選択しない。
だからこそ得られる幸せも当たり前にある。
どの幸せもそれぞれ、本人だけが感じられるたった一つの幸せだ。
中略
一人だろうが夫婦だろうが、もっと「好きなこと」をしたり、
「意味もなく生きる」のを楽しんだりしやすくなればいいのに…
本当にその通りだよ! さわぐちけいすけ! って、彼の漫画を読む度に僕はなるんですよね。
僕は結局のところ、紳士でも小説家でもないけれど、「だからこそ得られる幸せも当たり前にある」訳で、仕事も特別好きではないけど、行き帰りの合計一時間の歩く時間は結構気に入っているし、帰ってきてからの夕食をとりながらの映画やアニメを見る時間は純粋に楽しい。
今日は「dele (ディーリー)」を見た。最高だった。
小説家にならないといけないとか、結婚して子どもを作らないといけないとか、そういう拘りから一歩離れて、何者でもない自分を楽しむのも紳士の嗜みの一つ。
村上春樹は、真の紳士の条件に「何者かになることに拘らない」とは書いていないけれど、紳士予備校のホワイトボードの上に貼られた目標の一つくらいには載っていってもおかしくないと思う。
そういうことにして、今日も生きていこうと思います。
せっかくなら、これを読んでいる方も色んなことに拘り過ぎずに、共に生きていきましょう。
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