45 愛とか情とか、そういうものがなくても人は他人や故郷を大切に思う。

 津村記久子という作家は僕にとって、少し特別な位置づけにいる方です。


 僕が小説を学ぶ専門学校に通っていた2010年頃、純文学を好きと自称する方から、エンタメが好きと言う方から、双方に高い評価を受け支持されていた作家、それが津村記久子でした。


 と言っても、支持する作品はそれぞれで純文学界隈の人は、太宰治賞を受賞したデビュー作「君は永遠にそいつらより若い」を推していて、エンタメ界隈の人からは「ミュージック・ブレス・ユー!!」を推している印象でした。


「ミュージック・ブレス・ユー!!」は野間文芸新人賞を受賞しているので、文学作品に位置するんですが、音楽を題材にしつつ居場所のない女子高生を描いており、テーマは娯楽小説の手触りがあってエンタメ小説好きからは好まれていた印象でした。


 当時、十九歳か二十歳の僕は双方から支持されている津村記久子は必読の作家と思い、デビュー作の「君は永遠にそいつらより若い」を手に取ってみたんですが、冒頭の数ページで挫折してしまいました。


 自分には合わないのかも知れないと思いつつ、他の津村記久子作品を読んでみようと、近所の図書館へ出かけて「アレグリアとは仕事はできない」を借りて読みました。OLがアレグリアと名付けたコピー機にぶち切れる作品で、え? どういうこと? っと戸惑ったのを今でも覚えています。

 その「アレグリアとは仕事はできない」には短編の「地下鉄の叙事詩」というのも収録されていて、こちらも読んで、津村記久子の書く世界観の広さみたいなものを感じ、もっと読まないと分からない気がして「ミュージック・ブレス・ユー!!」を手に取りました。


 青春小説として「ミュージック・ブレス・ユー!!」は本当に優れているけれど、「アレグリアとは仕事はできない」と比べると共通点が見つけにくい印象がありました。

 続けて、芥川賞を受賞した「ポトスライムの舟」を読み、津村記久子の視点が一定で、このぶれない視点こそが純文学界隈やエンタメ界隈から好まれる所以なんだろう、と僕は自分の中で一つの納得を得ました。


 僕は、それが正しいか間違っているかは脇に置いて自分の中で答えらしい納得があれば、ひとまず満足する癖があります。

 そんな訳で、津村記久子に対して一つの納得があってからは、特別に追ったりはせず生活していたんですが、偶然買った新潮で川端康成文学賞の発表が載っていて、それが「給水塔と亀」でした。

 津村記久子の「給水塔と亀」は、六十歳で定年退職した独身男性が、故郷に戻って生活をはじめる、という原稿用紙換算で二十枚の掌編でした。


 今回のエッセイで書きたいのは、この「給水塔と亀」から連想する話です。この掌編は津村記久子いわく、テレビで青森出身の六十代の男性が、家族もなく東京の自宅で一人亡くなった、という話を見たことがきっかけだったそうです。


 もし亡くなった男性が「故郷に帰っていたら、どんな感じだったか、ひいては故郷とは何かということについて考えるようになりました」と続けています。

「給水塔と亀」は故郷について考えられた物語なんです。


 僕は今、故郷から離れて一人で生活をしています。

 地元に帰る理由は両親がいて、弟や後輩がいて、彼らと一緒に過ごしたいから、高速バスや新幹線へ乗って広島へ向かいます。

 しかし、もし僕が「給水塔と亀」の主人公のように六十歳で、親も兄弟も親戚も知人もいない状態でも、故郷は戻りたい場所なんだろうか、と考えます。

 僕にとって故郷は十八歳の頃までしか生活していない土地であり、決して楽しい思い出だけが残っている訳でもありません。


 それでも、僕は(どんな六十歳になっているかにもよりますが)広島へ戻りたいと思います。

 ただ、僕が育った地元ではなく、初めてアルバイトをしたレストランのある町を選ぶ気がします。理由は単純に地元が田舎過ぎて交通の便が悪いからと、アルバイトをしていた町の景色が好きだから、です。


 高校時代のアルバイトはそれほど楽しい思い出はないんですが、駅からアルバイト先のレストランまでの道のりには小さな住宅街と綺麗に管理された公園、こじんまりとした川と河川敷があり、僕はそこをゆっくり歩くのが好きでした。

 老後という時間をその付近を歩いたり、できるアルバイトを見つけて働いたりして過ごすのは楽しいんじゃないか、と思うんです。


 最近、その話を母にすると「私も一人で住むなら、今の家じゃなくて、以前に住んでいたアパート付近にすると思う。車じゃなくて、自転車で色々行ける方が楽しいじゃない?」と言っていました。

 なるほど。


 人それぞれ、戻りたい場所というのはあるようですが、母が以前に住んでいたアパートは彼女の地元ではありませんでした。

 なんとなく、そこに僕は母と同じ血のようなものを感じました。僕と母が似ていると、誰にも言われず今まで来てしまいましたし、今後も言われることはないでしょう。


 僕と母の共通点は少なく、傍から見ると指摘しにくいもののようです。けれど、ひとまず共通点を挙げろと言われれば、帰りたい故郷が地元ではない部分になるかと思います。


 最後に、津村記久子の話に戻らせてください。

 僕は二十歳そこそこの頃にデビュー作「君は永遠にそいつらより若い」を読むのを挫折しましたが、その後に挑戦し読破しました。本当に素晴らしく、熱量のある作品でした。

 なので、「君は永遠にそいつらより若い」は当然オススメしたい一作ですし、今回取りあげた「給水塔と亀」も短くて、大好きな一編です。


 とくに故郷へ引っ越してきて、自転車で近所のスーパーへ向かう際の「ビール、ビール、と思う。体が少し軽くなったような気がする。」なんてシーンは、まさにそういう六十歳になりたいと僕は強く思っています。


 そんな将来、僕がなりたい憧れが描かれている「給水塔と亀」と同じくらいオススメしたい津村記久子作品があります。

「サキの忘れ物」という短編で、僕は文藝に掲載された時に読んだので、単行本などでは加筆されているかも知れませんが、これがとんでもなく良い一編なんです。


 病院に併設されている喫茶店で働く女の子が、母親と同い年くらいの女性が忘れていった本を拾い、それを読む、というお話。

 言ってしまえば、それだけなんですが、一冊の本によって生まれた二人の交流が決して深入りしない、店員と客という関係でありながら、互いの心を支え合っていたんだと分かるラストは素晴しすぎます。


 愛とか情とか、そういう如何にも特別なものがなくても人は他人を特別に思うし、自分が望むとか望まないとか関係なく、変えられてしまう瞬間はあるんだ、と「サキの忘れ物」を読むと気づかされます。


 もし、本屋などで見かけたら、ぜひ手に取っていただきたい一編です。

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