32 見えないモノも見ようとする準備はできている。
僕がラジオにハマったきっかけは「朝井リョウ・加藤千恵のオールナイトニッポン0(ZERO)」でした。
パーソナリティー二人が小説家のラジオはどういうものなのか、と言うのが最初の興味でした。
本来、小説家は人前で喋ることが仕事ではありません。
その為、ラジオでの立ち振る舞い方や、リスナーとの関わり合い、声のみの情報や感情を伝えることの難しさ、そういった戸惑いを朝井リョウと加藤千恵はラジオ内で赤裸々に語ってくれました。
ラジオの戸惑いをラジオで解消していく。
その姿が垣間見えた時、舞城王太郎の「熊の場所」という短編の一文が浮かんできました。
――恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐに戻らねばならない。
戸惑いと恐怖は当然、異なります。
しかし、その二つは感情であり、その感情を消し去る方法として、その源の場所に戻ることは、有効な手段の一つでしょう。
実際、後半の朝井リョウと加藤千恵は自らの立ち振る舞い方を見つけ、ラジオでしか語れないエピソードを語るようにもなっていました。
そんなラジオを聞いていた結果、面白いラジオは喋る人間の素を隠した状態では成立しないんじゃないか? と僕は考えるようになっていました。
けれど、それはまったくの素の状態でいる、という意味ではなく、取り繕って演じている部分は当然あります。
ただ、その取り繕っている状態が自然で、無理していない人のラジオが面白いように思うんです。
ということを念頭に置いて、今回は「King Gnu 井口理のオールナイトニッポン0(ZERO)」について書きたいと思います。
まず、King Gnuというロックバンドは御存知でしょうか?
公式サイトには以下のような説明がなされています。
――東京藝術大学出身で独自の活動を展開するクリエイター常田大希が2015年にSrv.Vinciという名前で活動を開始。
その後、メンバーチェンジを経て、常田大希(Gt.Vo.)、勢喜遊(Drs.Sampler)、新井和輝(Ba.)、井口理(Vo.Key.)の4名体制へ。
――突如として現れた、音・ビジュアル共に圧倒的オリジナルセンスと完成度を誇るトーキョー・ニュー・ミクスチャー・スタイルバンド「King Gnu」
作詞作曲をしているのが常田大希な為、King Gnuの中心(脳)は彼と理解して問題ないかと思います。
ちなみに、King Gnuの曲を僕が初めて聞いたのは、去年(2019年)の紅白でした。
それよりも前に話題になっていることは知っていましたが、まともに曲を聴くタイミングがありませんでした。
カクヨムでもKing Gnuがお好きだと言う方がいたり、職場の後輩で音楽をやっている男の子が熱く語ってきたりしていた為、全てのアルバムを聴くまで、それほど時間はかかりませんでした。
あの世界観を常田大希が作っているのだと思うと、鬼才と呼ばれていると菅田将暉が言っているのも頷けます。
とは言え、バンドは一人では成立しません。
メンバーの技術や協力があって「圧倒的オリジナルセンスと完成度を誇るトーキョー・ニュー・ミクスチャー・スタイルバンド」と呼ばれるようになったのも間違いありません。
今回、書こうとしている井口理はボーカル、キーボードを担当しています。
作詞作曲をしている常田大希とは幼馴染とのことで、ラジオなどでエピソードを求められると、中学校の時に常田大希と連れションしたことを話している印象があります。
ただ、僕は去年の紅白でKing Gnuにハマった人間なので、誤ったエピソードや勘違いの部分があったら、指摘していただくか、「あ、間違ってんな」と心に収めていただけると幸いです。
さきほど、ラジオの面白さは「喋る人間の素を隠した状態では成立しない」と書きました。
井口理のラジオはまさに、その素の状態(まったく取り繕っていない訳ではない)で、おこなわれていました。
聞けば聞くほどに、井口理の人柄に触れているような感触さえあって、最終回を聞く時には彼のことを嫌いな人間は一人もいないんじゃないか? と思うほどでした。
すみません。
書くのが遅れてしまいましたが、「King Gnu 井口理のオールナイトニッポン0(ZERO)」は少し前に最終回を迎えてしまいました。
僕はその最終回を職場へ行く通勤中に半分くらいを聞き、残りを仕事の休憩中に聞いて、テーブルに顔を伏せて泣きました。
まさか、二十九歳にもなって、職場の休憩中に泣くとは思いませんでした。
ちなみに、井口理がラジオを辞める理由の一つとして、面白くしなければと咄嗟に出てくる言葉が誰かを傷つけるような内容だったことを挙げていました。
聞いている中で迂闊かな? と思う部分は言われてみれば、あるような気はします。
けれど、それよりも井口理の素直なトークはKing Gnuという、やや謎めいたバンドが、普通の若者たちが悩み、葛藤しながら作り上げたモノなんだ、と分かるものになっていました。
もちろん、井口の語りによって「井口理」という個人がどういう人間か、というのも分かってきて、彼のファンになる部分はありました。
それでも、King Gnuというバンドは大きく、井口理という個人を見ているようで、「King Gnuの井口理」と認識している感覚は残り続けていました(King Gnuがなければ彼を知り得なかった訳ですから)。
井口理はKing Gnuというバンドに属して、ボーカル、キーボードを担当しているのですから、それは当然です。
分かっています。
けれど、「King Gnu 井口理のオールナイトニッポン0(ZERO)」を一年続けた功績は、「King Gnuの井口理」と言うよりは、井口理個人のものです。
そのような意味のメッセージが、最終回にKing Gnuのメンバーである新井和輝からメッセージとして届いていました。
引用させてください。
――今日のこの最終回が、理が一年間かけてどれだけのものを築いたのかを表していると思います。
いつもメンバーの視線を、目線を気にしてるけど、もうお前は立派に一人で人前に立てるし、俺ら他の三人では間違いなく出来ないものになってるから、自分でやった分は、自信もってもっと自分を認めてやりなね。
King Gnuのメジャーデビューが2019年の1月でした。
「King Gnu 井口理のオールナイトニッポン0(ZERO)」の最終回は2020年の3月26日でした。ラジオは一年とのことですので、2019年の4月から開始しているはずです。
と考えてみると、井口理という人間の転換点とも言える一年をラジオを通して知ることができた、というのはとても貴重な番組だったのだろうと思います。
最後に菅田将暉の「第41回日本アカデミー賞」最優秀主演男優賞を受賞した際のスピーチを引用させてください。
――2017年、いろいろほかにも賞をいただいたりしましたし、段々自分がどこにいるのか、そしていま、人格的に何なのか、何を大事にしているのかを実感する機会は、自分で作らないとないんです。
今日は、ちゃんと菅田将暉としてうれしいです。
井口理が今後、どのような方向へ進んで行くのかは分かりませんが、もしも菅田将暉の言うような状態に陥ったとしても、「King Gnu 井口理のオールナイトニッポン0(ZERO)」の中に「自分がどこにいるのか、そしていま、人格的に何なのか、何を大事にしているのかを実感」する為の要素が詰まっているように感じます。
そういう意味で、井口理はこの先に何があるにせよ、自分を見失うことはないのだろうと僕は勝手に思っています。
そして、いつかまたラジオをやってくれると信じています。
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