まるで、神殿のような
「では、参りましょうか」
ルリは、アクアシェリナの申し出を断り、ラオインの車椅子を自ら押してゆっくりと移動しはじめる。
「いってらっしゃいませ」
モルガシュヴェリエの開けてくれた扉から……初めてラオインはあの部屋の外に出た。
車椅子の通行には何の問題も無い、広い廊下。清潔で、大きな窓からは午前中の生き生きとした太陽光が射し込んでとても明るい。
床はよく磨かれた木目の綺麗なもので、でこぼこもない。なので車椅子もスムーズからからと動く。
「マザーコンピューターは」
ルリが、堅い声音で話し始める。緊張、しているのかもしれない。彼女はラオインの背後にいるので、彼女がどんな表情をしているかはわからない。
「伏籠のお屋敷を存続させようという意思。もう少し正確に言うならば、その意思を果たすための機構です」
からから……車椅子はどこまでも真っ直ぐな廊下を行く。
「人形たちを管理しているのも、マザーコンピューターです。『あれ』は人形を使ってお屋敷の掃除や手入れをさせて、守っているのですよ」
そこでルリは一度言葉を切る。
少しして、ややためらいがちにこう教えてくれた。
「その……あなたを最初に見たときに、廃棄処分された人形だと……思ったのですよ。お屋敷のどこかで、酷い使われ方をしてぼろぼろの状態で修復もされずに処分された人形だ、と」
ぎゅぎっ、と不快な音がする。
車椅子が大きなドアのような場所で停まったのだ。
「ラオイン、これから地下に降ります」
「と、いうと階段を下るのか?」
「いいえ、この昇降機を使います」
「……しょうこうき」
ラオインは少なくとも聞いたことの無い言葉だった。
困惑の顔で首を傾げていると、察したルリがぱたぱたと身振り手振りで説明してくれる。
「え、えぇと、この向こうにある大きな箱のようなものに乗るんです。その箱は上下に移動するように出来ていて、ですね」
なるほど、それはまた随分と便利なものだ。生活の場にあれば年寄りなどの体の弱いものも階段の上り下りをせずに済む。重い荷物を運ぶにもいいだろう。
……城や砦などにはなくていいかもしれない。そんなものがあれば、昇降機をおさえられたが最後、あっという間に攻め込まれて陥落するに違いない。
「で、それで地下に降りるのですが、こう……なんというんでしょう……箱が下に移動すると、乗っている私たちは微妙な浮遊感を感じることになるんです……」
「……あぁ、なるほど」
「えぇ、そういうわけです……じゃあ行きますよ」
ルリがそう言って、ほっそりした指先で扉の横にある装飾のようなものに触れると、それは光りだす。
そして、鐘の音のようなものが響き、扉が両側から開いた。
「……私ですね、この昇降機苦手なんです」
あきらめたようにそう呟きながら、彼女は車椅子を押して移動するのだった。
昇降機で移動するのは、ラオインにとっては悪くない感覚だった。
車椅子に座っていたためだろうか、若い頃の遠乗りで馬鹿で阿呆な仲間の無茶に付き合い、ほとんど崖といえるようなところから馬で落ちるように降りる羽目になった事を思い出す。あんなのに比べれば、こちらはまだ安全で安心だと言えよう。
けれど、ルリはそう言うわけにも行かないらしい。
一度などは「っ……!」という声にならない声を上げそうになっていた。
ごく短い時間で、昇降機は停まって扉が開く。
先には、窓も無い白い廊下が続いている。
「行きますね」
「あぁ。頼む」
また、からからと車椅子は動き出す。
白い廊下をしばらく行くと、また大きな扉。今度のそれは目の覚めるような深い青い色をしていた。
ルリが、扉の前にある短い柱のようなものに手をかざす。
「解錠まで七秒ほどかかります。……いつもそうなのですよ」
「鍵をポケットから取り出して開けるよりは早そうだな」
「ふふふっ……そうですね。ふふふっ」
どうも何かおかしかったようで、ルリはほんの少しの間笑い続けていた。
……彼女の緊張がほんの少し、溶けたのを感じられてラオインはほっとする。
今から対面する『マザーコンピューター』なる存在。
ルリはそれを苦手としているようだった。
屋敷のすべてを管理する存在。それは、住人であるルリのことも含めて管理しているのだろう。
「……行きましょう」
彼女の小さな呟きと供に、車椅子は青い扉の向こうへ――
青く青く青い空間に、時折ほんのりと白い光が浮かぶ。
その空間は広くて、どこまでも青い。
壁の向こうは薄暗くて見えないが、大きな青い柱が規則正しく並んでいるのが見える。
これは、まるで……そう、古代の神殿だ。
青く美しい、異邦の神を祀る場所。
「マザーコンピューター、ラオインを連れてきましたよ」
ルリが、神に民衆の意思を伝える巫女がごとく言葉を投げかけた。
すると。
白い光はほわほわふわりと移動し、集まり始める。
ふわり。
ふわり。
ふわり。と、光の塊となっていくそれは、だんだんとルリと同じぐらいの背格好をした人のカタチを取り始めた 。
ふわ、ふわり。
『ごきげんよう、ルリ。ごくろうさまですわね』
なぜか二重に重なって聞こえる奇妙で不思議な、声。というよりは――音。人間の作り出した無機質な音。それが、響き渡る。
――そして
青髪青眼、ゆったりとした青い衣を纏った、まさに女神のような幻像が、ラオインの目の前でにこやかに微笑んでいた。
『そして、はじめましてラオイン』
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