鳥籠楽園の幼妻

冬村蜜柑

とある夫婦

ここは楽園の中






「風が気持ち良いですね、ラオイン」

「そうだな、ルリ」




 ふわり。黄と白の花びらが混ざった可愛らしい風が、二人を撫でては通り過ぎる。

 伏籠ふせご家の本邸からは少し離れたところにある花園に、愛しい人と二人だけでピクニックにやってきていた。

 ぴぃぴぃと小鳥たちの歌声も、歓迎してくれている。

 

 ここは、二人が秘密基地と呼んでいる花園だった。

 敷地全体からみればごく小さなスペースが高い生け垣や樹木に囲まれて、外からは様子を窺い知ることはできない。

 中では、アーチに絡んだ薔薇を始めとして初夏の花々が今を盛りと咲き誇っていた。



 優しい風が、さらさらと彼女の長く美しい黒髪を揺らしている。

 十四才という、まだまだ幼い年である伏籠ふせごルリの髪は、若者特有の生命力を持ったツヤと滑らかさがあって、美しい。

 ラオインは自分のぱさぱさと乾いた銀髪はあまり好きではない。だが、こういう髪ならいつまでも触れていたくなる。実際、今朝も彼女の髪をいていて……。櫛を通すたびに気持ちよくさらさらになっていくという魅惑的な行為を止めるまでには、随分と時間がかかってしまったのだった。


 それでも、ルリはそんな彼に呆れたりなどしない。

 誰かの――ぬくもりある手に自分の髪を触ってもらえることが嬉しい。と、そう言って笑う。年相応に幼く緩むその顔が、たまらなく可愛らしくてまた触れたくなる。




 芝生の上にシートを敷いて持ってきた荷物を置く。

 これは自分が持つのだと、大きなピクニックバスケットを大事そうに提げていたルリもシートの上に丁寧にそれを置いた。

 彼女は小柄だ。上背があり筋肉もついているラオインと比べると、ほんの半分ぐらいにしか見えないだろう。

 華奢で、どこもかしこも小さく繊細で、そして愛らしい十四才の少女。

 青の可愛らしいワンピースがよく似合う可憐な令嬢。彼女をじっと見つめていると、恥ずかしそうに顔を赤らめて、きれいな青い瞳もそらしてしまう。その瞳にしても、重たそうに思えるほど長くてたくさんのまつげが取り巻いているのだ。

 それになにより、彼女の白くて指先まで傷一つないなめらかな肌だ。まるで陶磁器のようにすべすべだが、触れると温かで柔らかいことはよく知っている。


 正直言えば、ラオインは自分の容姿ではルリの隣に立つはふさわしくないと思っている。

 これまでの人生の苦労と疲労が積み重なった、ひどく不格好な姿。

 むやみに高いばかりの身長と、それに見合う量の筋肉。

 そこまではまだいい。

 ぱさぱさの白い髪と武骨な顔。母が異国出身だったものだから、肌は濃い褐色。しかも全身には指先にまで戦傷が刻まれているのだ。

 二十九歳という年齢にしてもいかつい風貌。ルリのような可憐な令嬢の隣に立つには気後れしてしまう。

 そう思ってはいるのだが……当の彼女はそんなこと気にする様子もない。その柔らかく小さな手でラオインの傷だらけの手を握るのだ。




 隣には愛らしい彼女が幸せそうに微笑んでいて、自分の手には読みかけの詩集。

 バスケットの中には美味しそうな食べ物と温かなお茶がたっぷりと。

 目の前に広がるのは色とりどりの花々と生き生きとした緑。

 蝶がふわふわと空を踊り、小鳥たちのさえずりがちょっと向こうから聞こえてくる。

 気温は少し暖かいと感じる程度で、太陽も風も穏やか。そして、澄み切った青空にはわたあめのような雲がふわふわりと浮かぶ。



 この場に足りないものなどなく、逆に過ぎるものもない。

 まさにそう思える、幸せで満ち足りた光景。



 そう。

 ラオイン・サイード・ホークショウは何の不足もなく満ち足りていた。



「さっきから何を作っているんだい?」

「お花の冠ですよ。上手に作れたらラオインの戴冠式をしましょう」

 ルリが濃いピンク色をした小さな花を集めてきて、ずいぶんと楽しそうに何かを作っていると思ったら、自分のための花の冠を作っていてくれたらしい。

 しかし、こんないかつい男にこういう可愛らしいものは似合うだろうか。いや、似合わなくても彼女が作ってくれたのならば喜んで着けるのだが。

「上手に作れるまでは私は冠なしの身分なのかい。お姫様」

「む、私はお姫様じゃないです」

 ラオインの言葉に、ふっくら柔らかなほっぺを少し膨らませて不満げに抗議してくる。


「私はあなたのお妃様ですよ。お姫様とお妃様は違いますからね」


 あぁ、この妻は……どうしてこんなに可愛いのか。

 やはり彼女が愛情込めて作るのなら、どんなものでも笑顔で着けなくては。

 自分が彼女の倍もある年齢のいかつい大男で、体に無数のひどい傷痕があり、手はごつごつで数え切れないほどの人の血に塗れてきたとしても――それでも彼女がこの白く柔らかな手で花冠を捧げてくれるのなら、きちんと受け取らねばならないだろう。


「あぁ、そうだな。ルリは俺のお妃様だ」

「それならいいんです。……ふふっ、ふふふふ。そんなあなたが大好きです」



 可愛らしく笑う彼女の頭を優しくなでながら、ラオイン・サイード・ホークショウは今までのことを思い出していた。

 この場所にやってくるまでの人生と、そして、あの日……全て失ってここで暮らすようになってからのことを。


 あぁ、そうだ。ずっと。

「こういう恋を、してみたかった」

「ふふっ。私もです……こんな温かくて幸せな恋を」

 そう言って彼女はにっこり笑い、もっと頭を撫でてくれとねだるのだ。




 まさにここは楽園の中。

 自分が、まさかこのような生き方が出来るとは、あの時はまだ知る由もなかった。





 さらさらと、気持ちがいい風が吹いていた。

 歌っていた小鳥たちは、いつしかシートのすぐ側にまで来ている。

「もう、その花は食べてはだめですってば……今、パンをあげますから待ってて……!」

 どうやら、せっかく摘んできた花冠用の花がちょっとしたピンチだったらしいが、この様子なら大丈夫だろう。



 ラオインはシートの上で横になり、目を閉じた。

 彼女が花冠を作るまで、ほんの少しの間だけ眠りにつく。



 うつらうつら。ふわふわ。

 ラオインは夢を見始めていた。


 ……この場所にやってくる前のこと。そして、来てから今までのことを。





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