第18話 貧者VS長編小説 ROUND3「自分の作品」

 さて、前回はさらっと流しましたが、その実、幻想ミステリとは定義が難しいジャンルだったりします。


 幻想という以上は、何らかのファンタジー要素が必要なのですが、その描き方は作品それぞれになってきます。いわゆる「特殊ルール本格」のようにファンタジー設定を前提にあくまでロジカルな謎解きを志向するものもあれば、『火刑法廷』や『暗い鏡の中に』のように、幻想と現実的解釈がせめぎ合う作品もあります。


「神隠し」という設定を導入したころ、わたしがぼんやりと想像していたのは後者のパターンでした。幻想と現実的解釈の間で宙吊りとなるような、不思議な読感を目指していたのです。


 ただ、そうなると問題になってくるのが、幻想ファンタジーの演出方法です。これが難しかった。


 その路線の大傑作である『火刑法廷』にしても『暗い鏡の中に』にしても、超自然的な現象がいったんは合理的解釈によって説明されるプロセスを描いています。そうであればこそ、幻想と現実の釣り合いがとれる。「なんでもあり」を免れているのです。


 早い話が、何かトリックがないとファンタジーなんて描けないんです。だから、幻想ミステリを書こうとしたはずなのに、けっきょく本格ミステリに立ち返ることになってしまった。


 どうしたものか、と悩んでいたとき、ふと浮かんだのがバイブルである『スパイラル ~推理の絆~』でした。


「あれは一種の「信仰」でしょう? 別に「信念」と言ってもいいし「迷信」といってもいいわ。実態も根拠もなくても人はときに不確かなものを信じる。考えてもみなさい。霊魂とか呪いとか占い。どれも科学的根拠はない。でも多くの人はそれらに漠然とした恐れを感じる。そして歴史を見ればそれらがひどい争いを招いた例もある」

 (中略)

「その内容がどんなものでも恐怖を覚える者が現実にいるかぎりファンタジーと否定するだけじゃ何も解決できない。現実に力を持っているんだから」

 城平京原作/水野英多作画『スパイラル ~推理の絆~』第60話「そして私のおそれはつのる」(読点引用者)

 

 これだ、と思いました。


 ネタバレになるので詳しくは書けませんが、『スパイラル』の終盤「火澄編」において主人公・歩が対峙するのは一種のファンタジーです。ファンタジーを前提とした世界に対して、いかに論理で立ち向かっていくかが描かれます。


 それって特殊ルール本格なんじゃないのと言われそうですが、そうではないのです。歩の示す「解決法」があまり本格らしくない、というのもあるのですが、それ以前に、ファンタジーの描き方が特殊ルール本格と一線を画しているのです。


 というのも、『スパイラル』におけるファンタジー要素は、直接的な形ではいっさい描写されないのです。奇跡で海が割れるとか、魔女が空を飛ぶとか、そういうわかりやすいファンタジーがいっさい存在しない。描かれるのは、ファンタジーを信じてしまった人たちであり、その人たちが作ってしまった強力な「流れ」だけです。


「そいつを信じ込んだ連中がその物語を実現させようとしていやがる。季節の巡りみたいに強力な流れになっちまったそれをいきなり俺ひとりの力ですっかり変えるなんて絶望的な抵抗だ」

 城平京原作/水野英多作画『スパイラル ~推理の絆~』第68話「しあわせの理由」(読点引用者)


 つまるところ、『スパイラル』におけるファンタジー要素はロジックの前提ではあるものの、そこに確たる証拠はない。前提そのものが間違ってる可能性もあるわけです。


 が、この物語において重要なのは、その前提を信じ込んでる人たちを説得することなので、それでもかまわない。前提が正しくとも、正しくなくとも、どちらでも話が成立するのです。


 もちろん、ミステリとして見たとき、賛否が分かれる手法ではあるでしょう。実際、『スパイラル』も終盤の展開には批判も多かったと聞きます。ただ、わたしはむしろその終盤に心動かされたのだし、それに倣ってもいいような気がした。

 

 とにかく、そんなわけで、「神隠し」そのものというよりは、それを信仰する人たちを描くことになりました。それも、単にそう信じている人たちがいる、というだけではなく、『スパイラル』同様、社会的な力を持たせることにしたんです。


 わたしはまだこの話を諦めてないのであんまり具体的なことは書けないのですが、その方法を導入することで、それまで空白だった中道の展開がほとんど決定できたように思います。


 なお、同じように真偽不明のファンタジーへの信仰をミステリの手法で描いた作例として米澤穂信『リカーシブル』があります。わりと最近読んで衝撃を受けた1冊でもあります。というのも、信仰という主題だけでなく、主人公の設定まで、この話と被ってたので。詳しくは言えませんけど、終盤の展開にも似たようなところがあって冷や汗が流れました。しかも、構想されたのが2009年というところまでシンクロしている。


「土地の人が何かを信じているようだけれども、それが何なのかは外部の人間には見えにくい、というところを書きたかった。伝説の姫にしろ高速道路の誘致にしろ、街を救う絶対的なものなどありません。それでも、それらを信じてしまう人々の心のもの悲しさみたいなものが書けたら、と思いました」

 米澤穂信インタビューより


 閑話休題。


 きっと、話として成立させるだけならアイディアは何でもよかったのです。ただ、結果としてこのアイディアはわたしの方法論にもよく合い、主題の上でも必然性を与えることができた。パズルの欠けたピースがぴったり収まるような感覚でした。


 この件に限らず、この長編に関してはなんとなく思いついたことを手当たり次第に試してる気がします。それで数年に一度の単位で、次に進む鍵を手に入れる。長編の書き方が徐々にわかってくるという気の遠くなるような作り方をしている。


 とにかく、このアイディアを得るに至って、ようやく物語に柱が立った気がします。するとどうでしょう。そこから派生的に、新しいテーマや展開が生まれ、徐々に物語としての形が整ってきたのです。


 以前、長編には、多元的なロジックが有機的に結びつき独自の強度を持っていることが求められると書きました。ことここに至って、ようやく、その多元的な構造を自分なりに構築する方法にたどり着いた気がします。


 具体的には、テーマとプロット、ストーリーを組み合わせることで一定以上の強度の物語を考えられるようになったというか。3本の矢じゃないですが、3つ束ねてはじめて納得のいく強度になったという感じです。この時期、他にも何作か長編のプロットを考えられたのは、そのおかげでしょう。


 また、この頃にはもう創作歴が3年近くになっていたこともあって、うっすら考えていた「自分らしさ」というものが見えてきていました。それまで「ケイパーもの」とか「学園ミステリ」といったジャンル意識に縛られていたのが、はっきりと「自分の作品」と意識できるようになり、自分が描きたいテーマやモチーフ、それを表現するための方法論を盛り込めるようになっていたのです。


 もちろん、試行錯誤はあり、当初の予定にはなかった1部をつけ加えたり、後からやっぱりそれを省いたりといった混乱はあったのですが、最終的にはどうにか最後まで密度を保ったままフィニッシュできる道筋が見えてきました。


 ただまあ、元々がろくな戦略もなく作った話を無理に転がしているので、構成としてはなんだか歪だなあという感もあり、そこからいったん大幅にプロットを書き直しています。結果として賑々しいライトミステリから、もっとリアルなトーンの青春ミステリにコンバートした感じです。ただ、これも細部を詰めていくと構成が破綻してきて、けっきょく元の形に戻す結果になってます。


 何はともあれ、プロットはほとんど完成しました。構想からおよそ9年。ようやく自分が書きたかった話の輪郭を捉えたのです。


 もちろん、ハッピーエンドにはまだ早いです。どれだけ優れたプロットであろうと、実際に本編が書かれなければ意味がありません。


 プロットだけ立てて満足することも多いわたしですが、この話の場合は違いました。何としても形にしたい。そう思っていました。


 そう、去年の8月までは。



 もしも、と思います。


 もしも、例の症状がなかったらいま頃すでに執筆を開始して、あるいは完結までこぎつけていたかもしれないな、と。


 しかし実際にはどうでしょう。執筆に着手できないまま、時間だけが過ぎ、今年、とうとう着想から10年が経ちました。


 いつか、書ける日が来るのでしょうか。


 わたしの趣味もあって、特別時代性を反映した内容でもないのですが、近い将来、我々の知る学校生活というものが大幅に変化してしまう可能性も否めません。そうなると、この話が成立しなくなる可能性もあるでしょう。可能なら、そうなる前に形にしたいものです。

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