第14話 貧者の創作

 小説を書く上で最も重要なものは何でしょう。


 人それぞれ意見があるでしょうが、わたしはずばり人間力だと思います。


 知識、経験、洞察。


 それらの要素が作品を豊かにするのだと。


 洞察力のない作家に人間ドラマは書けませんし、科学知識のない作家にSFは書けないでしょう。


 その点、胸を張って言えるのですが、わたしは小説を書くのに全く向いていません。



 以前にも言いましたが、わたしは大学に進学していません。専門分野がないのです。部活も、習い事もしたことがありません。ペットすら飼ったことがありません。旅行の経験も、幼い頃に何度かあるだけです。高校以降は友達すらいませんでした。あとはもうバイトの経験くらいしかありません。ちゃんと就職したことは一度もないです。


 学もなければ、経験も、洞察力も不足し、そもそも何かを学んだり何かを経験しようにも、そのためのお金がない。あらゆる意味で、貧者と言うほかありません。


 それでもわたしは小説を書き続けてきました。貧しさを自覚しつつ、その上でいかに戦うかを考えてきました。それがわたしの創作歴です。


 その方法の一つが、ずばりミステリを書くことでした。



 SFをハッタリの文学とするなら、ミステリはプロットの文学です。科学的な根拠で納得させるのが前者で、伏線で納得させるのが後者とも言い換えられます。


 つまり、ミステリにおいては作者が好きにルールを設定できる。異世界本格、特殊ルール本格に象徴的ですが、科学的にデタラメでもあらかじめ作者がそれはそういうものだと決めれば、本当のことになるし、読者を納得させられる。もちろん、それは伏線をうまいこと張っていることが前提となってきますが。


 どうしてかと言うと、ミステリがフェアプレイを重んじるからです。


「探偵の推理に何の前触れもなく専門知識を用いてはならない」という決まり事が象徴するように、ミステリにおいては、最低限の常識を前提としつつ、作中ですでに提示されたデータから因果関係を説明することが要求されるんです。特定の知識を持つ人しか、犯人を言い当てられないなんて興醒めでしょう?


 いささか極端な結論になりますが、知識がなくても書けるのがミステリと言えます。実際、以前にも言った通り、わたしの初期作はどれもミステリの構成を踏襲していました。


 もちろん、ただ楽をしていたわけではありません。ミステリならではの方法で、読者を楽しませる工夫を考えていました。たとえばそれは魅力的な謎であり、巧妙な伏線や、意外な真相などです。


 尤も、わたしの作品は一見してミステリとは断じがたいものだったのも事実です。


 ミステリを書くのに知識は必要ないと言いましたが、知識が役に立たないわけではありません。むしろ、知識があった方がいいに決まってます。そうでないとできることが極端に絞られる。トリックだって思いつきません。


 ミステリといえど知識や経験がなければ書きえないことは多く、わたしの作風は貧者の武器としてカスタマイズされた歪なものだったのです。その歪さを一言で言い表すとするなら、「ストリック偏重」になると思います。


 ストリックとは、以前にも触れましたが、ストーリーとトリックが一体となった構成法のことで、早い話が叙述トリック系統の趣向を指します。尤も、わたしの場合、直接的な叙述トリックというよりも、書簡体や2人称を利用したサプライズに興味があったのですが。


 いずれにせよ、学がなくても思いつくようなトリックであることには違いありません。その自覚があったため、見せ方にはこだわり、主題としても必然性を持たせるように工夫してきました。


 かように、わたしはミステリの構成法を突き詰めてきました。


 え、初期を除いてミステリなんてほとんど書いてないじゃないかって?


 いや、それはそうなんですけど、水面下ではいろいろと考えていたんですよ。たとえば、長編の構想が何作かあるんですが、それらはいずれもミステリの構成を採っています。


 とまれ、実際ミステリから距離を置いた創作をしてきたのも事実なんですよね。これはたぶん、短編程度の分量ならにわか仕込みの知識でも乗り切れることに気づいたからだと思います(一度、中編用の取材で処理能力が死にかけましたが)。逆に言うと、長編はミステリじゃないと絶対書けない。


 だからわたしは貧者こそミステリを書くべきだと思うのですが、あんまり共感を得られない気がします。というか、カクヨムを見てるとみなさん知識も経験も豊富で、わたしみたいな貧しい書き手はそういない。いたとしてもミステリは書いてない。異世界転生なんかよりミステリの方がよっぽど簡単に書けると思うのですが。


 たぶん、わたしみたいな貧者が小説を書こうと思い立つこと自体が変な話なんでしょうね。あるいは、普通は貧しさを自覚した時点で勉強する。極貧家庭に生まれた永山則夫が獄中で猛勉強して作家になったように、ホームレス同然の暮らしをしていたジェイムズ・エルロイが図書館に通い詰めて独学で小説の書き方を学んだように。


 わたしも勉強してないわけじゃないですけど、「貧者」というテーマへの執着が強いので、あんまり「お勉強しました」って話は書きたくない。


 それよりは、自分と同じ貧者を主人公に、「世界のことなんて何もわかりはしない」という話を書いてた方が性に合ってるし、テーマとしてもエンタメの見せ方としても他人との差別化を図れる気がします。何より、中高生の自分が読みたかったのはきっとそういう話だったと思うのです。


「ただ最近考えているのは、豊かで滋味に満ちた訳知り顔の現代ミステリに、もう一度貧しさと不毛を取り戻したいということです(誤解を招く言い回しであることは承知していますが、他にうまい表現が見つからない)。ぼく自身の資質が、どんなに豊かさや懐の深さを目指しても、結果的にその対極にあるものを露呈することしかできないとしたら、潔くこの地点で回れ右して、ミステリが本来はらむ貧しさと不毛に向かって捨て身の跳躍をすべきではないか。今は漠然とそんなふうに思っています」

 法月綸太郎『頼子のために』あとがき


 とてもうなずける話です。


 人間力の豊かさを前提としたエンタメのフォーマットが主流とされる中、あえて貧しさをエンタメに昇華すること。


 無視されがちな貧者に光を当てること。


 それがわたしの創作上のテーマと言えそうです(もちろん、だから勉強しなくてもいいってことではないです)。 

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