第9話 どういうものを書いてきたか

 今回は簡単に創作歴を振り返っていきたいと思います。なお、タイトルを出しているものはカクヨムにも掲載しています。



 以前にも書きましたが、わたしがはじめて発表したのは某小説シリーズの2次創作です。その後も3作ほど、同じシリーズの2次創作を発表しています。


 実は、この頃が一番ミステリっぽいものを書いていて、最初の2作は叙述トリックもの、3作目はロス・マクドナルドやジェイムズ・エルロイを意識したハードボイルド、4作目も視点のトリックを使った内容になってます。


 完璧主義に縛られていたわたしがブレイクスルーできたのは、おそらく最初の話が「オチ」のある話だったからだと思います。やりたいことがはっきりしているので話を組み立てやすかったというか。以後、叙述トリックを連発しているのがいかにもミステリ書き初心者っぽいですが、それなりの必然性は与えたつもりです。その後発表した初のオリジナル作でも叙述っぽいことをやってます。


 ただ、オリジナル2作目となる「ババ抜き」以降、徐々にミステリ色が後退していって、「ランドセル同盟」のようなコメディを書いてみたり、「ハクチョウ」のような心理小説、あるいは私小説めいたもの、魔法少女ものを書いてみたりしています。ただ、これらの話も多くはオチがあるので、基本的にはそれまでの延長線上のつもりで書いてます。


 これも前に書いたのですが創作2年目の2014年はわたしが最も多産だった時期で、未発表長編のスピンオフのシリーズだったり、実在の事件を題材としたシリーズなんかを発表してたのもこの時期だったりします。


 読み返してみると、小説の書き方がわかってくるにつれオチが弱くなっていくのがわかりますね。それでも、基本的に心理の流れをロジカルに組み立てて構成しているだけなので、そう難しいことをしてるわけでもないんですが。


 この頃は読者にロジックを共有させるため、心理描写を丁寧にやっているのがいま振り返ってみると隔世の感があります。


 ちなみにこの時期に書いた「わたしがこれから出会う鳥」は自作の中で一番のお気に入りです。


 2014年も後半になってくると、不条理でよくわからないオチの話が増えてきます。「鼠を殺す」や「嵐」なんかがそういう話ですね。


 一方、はじめて同人誌に寄稿したのもこの頃で、ここでは借りてきた猫のようにおとなしくわかりやすいエンタメをやっています。自分の中で集大成的な意味合いもありました。


 その流れで書いたのが代表作と言える「心の重さ」だったりします。出来もそうなんですが、作風としても初期の戸松らしさが最も感じられる話だと思ってます。まだ創作歴は浅いんですが、文章表現に最もこだわりがあった時期でもあり、文章を褒められるのはこの頃の話が多いです。



 2015年に入ってくると、もっと小説に厚みを持たせたいなと考えるようになり、その結果、徐々に自らの貧しさを自覚するようになります。自分らしさとは何か、と考えはじめたのもこの頃で、自分なりの創作論が組み上がっていく一方、発表頻度は一気に落ちます。


 元々興味のあった「信頼できない語り手」の技法を取り入れはじめたのもこの頃のことで、ミステリと組み合わせることで自分なりの方法論にたどり着いてます。



 2016年。


 それまで考えていた自分らしさに対する一つのアンサーとして提出したのが同人誌に寄稿した「Vladimira外伝」の本編です。構成の面でも新境地と言えるお話でした。


 簡単に言うと、物語の節目から逆算してカタルシスを演出する段取り臭い作劇をやめ、あるがままの心理を綴る方向性にシフトしたのです。この話以降、自分探しの結論として得た、「何者でもないのが自分」という主題が頭を占めるようになります。



 2017年はカクヨムデビューの年です。


 記念すべき1作目は「the cat's meow」。これも自分の中ではエポックメイキングと言うべき1作でした。前年に映画ばかり見ていたのでその影響も強いですね。以降、行動主義的、表現主義的というか、心理描写をほとんど省いて、演出に主題を込める意識が強くなっていきます。


 あと、pixivで久しぶりに2次創作を発表していますね。初期の2次創作があんまり2次創作らしくなかった反省から、原作のキャラを重んじた内容になってます。



 2018年は久しぶりに多産のターンが回ってきました。


 この頃になってようやくカクヨムの使い方を覚えて、自主企画にも積極的に参加するようになってます。特に「短編リライトの会」から得たものは多く、ふだん自分が書くことのないジャンルに挑戦することで新境地が拓けたと思います。


 この頃の特徴は、発表作品のほとんどが掌編で、やはり心理描写が少なく、舞台設定や物語の構造、道具立てに主題を込めて表現している点です。この道具立てにはこういう意味があって……という暗号表みたいなものを作って一人で喜んでいた記憶があります(「短編リライトの会」の「コメンタリー」で詳しく解説しています)。


 だから、基本的に話がわかりづらい。不思議な話を書くね、とよく言われるようになったのもこの頃です。


 そのわかりづらさにテーマ上の必然を設けてエンタメに昇華しようと試みたのが連作「ハロー、ワールド」で、不条理とミステリの止揚を目指しているのですが、これを書いてる頃から違和感を感じはじめます。


 そして、夏ごろ、とうとう鬱のような何かに突入です。



 2019年。


 リハビリとして何作か書いて、あの狂乱のKACにも参加して完走しています(余談ですが、完走したのに運営のメールを見落として図書カードがもらえなかったんですよ!)KACでは、あんまり自分らしさにこだわらずわかりやすいエンタメを狙って書いたものが多いです。


 ただ、やってみて思ったのはやっぱり自分には向いてないよなあ、ということです。スランプ(?)であることを抜きにしても、なんだかなあっていう出来のものが多かったですね。


 あとKACに限らず、文章の書き方がうまく思い出せなくなっているのを実感します。思うに、それまで持っていたこだわりを捨てたのがまずくて、たとえ無意味でもこだわりは必要だなと痛感しました。



 と、振り返ってみて改めて思うのですが、どうしてわたしはミステリ書きにならなかったんでしょうか。物理トリックは思いつかないにしても、「心の重さ」のようなストリック(1)路線に活路を見出すことはできたはずです。その道の大家である連城三紀彦なんかを読んでると、なおのことそう思います。が、どういうわけか、創作をはじめて早い段階で、そういう心理主義的な話が嫌になってしまったのですよね。


 そんなわけで今後書くことがあるとしても、不思議でわかりづらい話が中心になってくると思います。



(1)ストリック


 ストーリー+トリックの略。斎藤栄が提唱した造語です。マイナーなタームで、ミステリ読みでも知らない人の方が多いんじゃないかと思います。検索してもほとんど引っかからないのでここで簡単に解説しておきます。


 意味としては、犯人ではなく作者が読者に仕掛けるトリック、あるいは物語そのものに仕掛けがある趣向とされています。


 叙述トリックと同一視されることもありますがたぶん違います。ソーセージとウィンナー、パスタとスパゲッティくらい違います。


 この辺は提唱者がろくに解説してないので、わたしが勝手に解釈して、ニッチを埋めるタームとして使ってます。その方が便利なので。詳しくはまた別のエピソードで語ることになると思います。

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