バベルの塔 ~バビルの塔じゃない、と小学校高学年で知った筆者~

【バベルの塔】


 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。

 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。

 石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。

 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」 と言った。

 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。

「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」

 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。

 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。



 創世記 11章1~9節



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 小さい頃、『バビルの塔』だと思っていて、笑われた。

 ある、アニメ番組のせいである。

(悪いのは自分である……)

 天才バカボンでも、「西から昇ったお日様が東へ沈む~♪」という歌詞のせいで、疑うことを知らない無垢な当時の私は、それを信じてテストにそう答えを書き——

 見事に、30点を取りましたとさ。

 まぁ、そんなことはどうでもよい。



 皆さんは、旧約聖書にある『バベルの塔』という物語を知っているだろうか。

 信仰をお持ちの方で、聖書は間違いない書物と認識されている方は、事実だと思うだろう。ただそんな方は、危険な本書には寄り付かないだろうと思うので——

 存分に、筆者流解釈を書かせていただこうと思う。



 神ではない、つくられた側である人間風情が、己の力を過信して傲慢になり、天に届こう(神のようになろう)とした。

 神に挑戦しようとした。

 そこで神は、戒める意味でひとつであった言葉を乱し、そのようなことをできなくした。神を畏れよ。人は神の創造物であり、神にはなれない。

 矮小な傲慢さを捨て、神の御心のままに生きよ——。



 まぁ、キリスト教的解釈としてはそんなところか。

 人間の傲慢さ、そして人類のチカラの象徴である科学技術への過信への戒め、と読める。しかし、この物語は思いっきり違う方向から読めるのだ。

 実はこの物語、神が創り出したこの二元性世界ゲームが、なぜか早い段階でクリアされかけたことを言ったものだ。ゲームができて、お楽しみはこれから、という時に——



●人類が全体性(ワンネス)に目覚めかけた。

 自分が神であることを、早い段階で知りかけた!



 プレイヤー意識にしてみれば、エエツ!? って感じだよね。

 せっかく、壮大な宇宙ゲームを作ってさぁ存分に楽しむぞ、ってやる気になっているのに、もう最短でクリアかよ! みたいな。もっと「神じゃない分離ドラマ」やってよ~!

 ゲーム延長のため、ワンネスに帰るのにまったをかけた。

 さぁ、そんなにすぐ上がってこないで、もっとやってなさい!

 んで、人類はまた「オオゥ、ドウイウコッチャワカリマセーン」みたいな分離意識になり……思惑通り、この現代まで何千年も地球の歴史が刻まれてきたわけ。

 バベルの塔の時はさすがに早いや、ってんで止めたんだけど、今度(現代)のは、充分人間ゲーム見てきたんで、そろそろ上がってもいいかな、と。

 これが、今言われるアセンション。 

 でも、くうはそれでよし、終わりとするわけではない。

 次の、新しいゲームを考えて、ワクワクしているのである。(人間的な表現だが)



 バベルの塔の故事は、人間の傲慢さに警鐘を鳴らすためではない。

 だって、それでいいんだから。



●傲慢もなにも、人は神なんだから。



 傲慢でも何でもない。その通りだ。

 それを許さないのは、錯覚からくる宗教上の縛りだけである。

 傲慢が悪いんじゃない。「恐れ」と「飢餓感」のせいだ。

 何か成果を挙げ続けていないと、怖いのだ。自分には力がある、と信じ続けさせてくれる実績が、常に見えていないと不安なのだ。また、実績が右肩上がり(発展)でないと、これまた不安。

 その不安を解消するために、「もっと、もっと」となる。

 でも、いつまでもその心は満たされない。目の前にアンパンをぶら下げて、走り続けるようなものである。人が神のごとくなる、というのは誤ったイメージである『傲慢』ととらえるのではなく、『自己受容、自己肯定』でとらえるべきだ。

 自分が神だ、と思えるのは、デメリットよりもメリットのほうが断然大きい。

 自己否定的価値観があるからこそ、自分が神というメッセージを「傲慢」ととらえるのだ。



 悟ろう、ワンネスに帰ろう、と焦らなくていいよ。

 そもそも、永遠の時間の暇つぶしに来てるんだから、まぁゆっくりしていきな。

 お母さんはここいいるから、安心してもう少しお砂場で遊んでおいで。

 そう語りかけてくれているのである。

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